コプト正教会は、エジプトに根差した長い歴史を有する教会であり、その典礼や教会暦についても、西方教会とは異なる伝統を持つ。「コプト正教会を知る」シリーズ第5回目の今回は、コプト暦に焦点を当てていきたい。
暦法と紀元
コプト暦は、古代エジプトの暦に起源を持つ暦である。古代エジプトでは幾つかの暦が使用されていたことが知られているが、そのうちコプト暦の基になったとされているのは「民間暦」と呼ばれる暦である。この民間暦は1年を365日としており、同暦の1年は30日から成る月が12カ月と5日間の追加日で構成されていた。当初、この暦には閏(うるう)年が設定されていなかったが、ローマ皇帝アウグストゥスによる改革により、4年に1度、追加日を6日間にすることで閏年を設定することになった。
ただし、古代エジプトではナイル川の氾濫の時期を知るためにシリウスの動きを観測しており、それにより1太陽年がおよそ365. 25日であることが知られていた。ユリウス・カエサルがローマの暦を改革し、ユリウス暦を制定した際、エジプトの暦を参考に1年を365. 25日に設定したことを考慮すると、ユリウス暦、ひいてはそれを改定したグレゴリオ暦(現在広く使用されているいわゆる西暦)もまた、古代エジプトの暦の影響を受けていると言えるだろう。
この閏年が設定されたエジプトの暦は、アレクサンドリア暦、ディオクレティアヌス暦、コプト暦、殉教暦など、多くの呼び名を持っている。特にディオクレティアヌス暦あるいは殉教暦という呼び名は、この暦がディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒迫害を記憶に留めるため、同帝の即位年である284年を紀元としていることに由来する。
現在では、この暦は一般にコプト暦と呼ばれているが、コプト正教会の教会暦としては殉教暦という名称も広く使用されている。コプト暦の元日は、閏年でなければユリウス暦の8月29日、グレゴリオ暦の9月11日に相当し、この日には殉教者祭が祝われる。
コプト暦の月の名前は、古代エジプトの神々や祭礼の名前に由来するものであり、かつてのコプト語の名称がアラビア語化したものが使用されている。例えば、コプト暦の最初の月は古代エジプトの知恵の神トトにちなんでトゥート月、次の月はナイル川の神ハピにちなんでアビーブ月、そしてその次の月は愛と美の女神ハトホルにちなんでハトゥール月、などと呼ばれている。ただし、暦に古代の神々の名前の名残があるとしても、当然ながら現在のコプト正教会でこれらの古代の神々が崇拝されているわけではない。(参考:Coptic Orthodox Church Network, “The Coptic Calendar of Martyrs”)
エジプトの行政暦・農事暦としてのコプト暦
コプト暦は、7世紀以降にエジプトがイスラム化した後も連綿と使用され続けた。よく知られているように、イスラムが普及した土地では行政暦および宗教暦としてヒジュラ暦(イスラム暦)が使用されるが、ヒジュラ暦は太陰暦であり、暦と気候が大きくずれるため、農事暦には適さない。そのため、多くのイスラム王朝の下ではその土地の太陽暦が併用された。
コプト暦は、ヒジュラ暦と共にエジプトの行政暦として使用されていたが、近代化の一環として1875年に廃止され、グレゴリオ暦に取って代わられた。行政機関におけるコプト暦廃止後も、コプト暦は農事暦・教会暦として使用され続けており、現在に至るまでエジプトの新聞やカレンダーにはヒジュラ暦、グレゴリオ暦、コプト暦の3つの暦が併記されている。
農事暦としてのコプト暦は、宗教を問わずナイル川流域に住むエジプトの農民の間で広く使用された。各月には、季節の変化、ナイル川の氾濫のサイクル、そしてその時期に植えたり収穫したりする農作物や旬の食べ物の名前などが関連づけられており、各月ごとに韻を踏んだ格言あるいは言い回しのようなものが伝えられている。
例えば、現在はコプト暦のアムシール月(グレゴリオ暦の2月中旬~3月上旬)に当たるが、エジプトでは砂嵐の時期に当たるため、「アムシールは多くの嵐の月」という言い回しが伝わっている。なお、アムシール月の旬の食べ物は羊肉である。(参考:Coptic Encyclopedia, “Calendar and Agriculture”)
コプト正教会の暦
一方でコプト暦は教会暦でもある。コプト暦は、コプト正教会の典礼暦として使用されており、聖誕祭や復活祭などの宗教行事の日程はコプト暦を基に計算される。また、コプト正教会には、コプト暦の元日から順に殉教者伝および聖人伝の抜粋が並べられたシナクサールと呼ばれる聖人暦があり、それを基にこれらの聖人の祝日も盛んに祝われている。
聖人の祝日はマウリド(誕生祭)と呼ばれるが、実際には誕生した日ではなくその聖人が死亡あるいは殉教した日を祝う。これは、死を2度目の生誕と見なすためである。現在、エジプトのコプトの間では、聖ギルギス(ゲオルギウス)、聖母マリアなどの聖人崇敬が盛んであるが、崇敬を集める聖人は時代や地域によって変化がみられる。
聖ギルギスのマウリドはバルムーダ月23日(グレゴリオ暦5月1日)、聖母マリアのマウリドは被昇天祭に当たるミスラー月16日(グレゴリオ暦8月22日)に行われる。エジプト中部のアシュート県ドゥルンカにある聖処女マリア修道院で開催されるマウリドは、多くの参詣客が集まることで知られている。ドゥルンカは、聖家族が逃避行の間に立ち寄ったとされる場所の最南端に当たり、マウリド以外でも聖家族の逃避行の足取りをたどる巡礼の一環として参詣する者が多い。
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三代川寛子(みよかわ・ひろこ)
上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻より、2016年に博士号を取得。専門は、19世紀末から20世紀前半のエジプトにおけるコプト・キリスト教徒の文化ナショナリズム運動。現在、上智大学アジア文化研究所客員所員、オックスフォード大学学際的地域研究学院客員研究員。