日本「祈りと救いとこころ」学会(理事長:榎本稔[榎本クリニック])の第3回学術研究大会(大会長:張賢徳=帝京大学、実行委員長:斉藤章佳=大森榎本クリニック)が11月12日、ホテルメトロポリタン池袋(東京都豊島区)で開催された。今大会のテーマは、「人は何を求めているのか―その理解とケアを考える」。人々の「こころの問題」と向き合っている現職の医療、心理、福祉関係者や、牧師や僧侶などの宗教者が集まり、人々が何を求め、援助者として何ができるのかを多面的、多角的、学際的に考える時間を持った。
キリスト教に関連するプログラム・発表も多く、宗教学者で作家の島田裕巳氏が、「人は宗教に何を求めているのか」と題した基調講演の中で、キリスト教が現代社会に与えている影響について概観。また、学会員による一般演題では、精神保健福祉士の林開氏(飯田橋榎本クリニック)が「依存症から見る現代の宗教的ニーズ―依存症の『症状回復』とキリスト教の『罪・救い』の比較―」、牧師の岩村義雄氏(神戸国際キリスト教会)が「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」と題して発表を行った。
本学会は、現代を「こころの時代」として、「現代社会の諸相が混迷し、人々を取り巻くあらゆる環境に、かつてなかった『不安』が蔓延(まんえん)している。社会は効率追求に追われて、相互にケアしあうゆとりを失い、攻撃的になりがちで、孤立に苦しむ人が増加。このような人々が心のバランスを失い、精神に病を抱え、安らぎのない生と死に直面している」(学会概要より)と捉える。社会がなかなかそこに手を差し伸べることができていない現状に、どう向き合っていくか、医学、看護学、心理学、福祉学などの科学的視点に加えて、芸術や宗教的な視点を取り入れ、「祈りと救いとこころ」について再検討し、諸問題の対策・研究発展を目指すため、2014年4月に設立された。
今大会の大会長を務めた張氏は、「精神科医として日々臨床活動に従事する中で、患者の苦悩や悲しみに対して、医学的な治療だけでは限界があると痛感し、精神医学と宗教のコラボレーションを真剣に考えたいと思っていた。ケアという表現は、宗教なら救済という言葉になるのかもしれない。『救済』から受ける私の印象は、ケアよりも深い意味合いで、 臨床家として、ケアよりも深い救済が患者にもたらされるのであれば、素晴らしいことと思う」と、今大会のテーマの趣旨を説明する(今大会抄録集より)。
メーン会場では、精神科の臨床家らが登壇するシンポジウムや、曹洞宗国際センター所長の藤田一照氏を講師に招いた教育演習「Coming Home(帰郷)~存在の故郷の喪失とその回復」、姜尚中氏を招いての公開講座「心の力」など、精神医学と宗教学を中心とする学際的な本学会らしいプログラムが用意された。
基調講演では、島田裕巳氏が「人は宗教に何を求めているのか」と題して講演。「宗教という観点から見ると、世界は大きく動きつつあり、今後どのようになっていくのか、注目すべき動きが幾つかある」と、現代のキリスト教とイスラム教の様相を概観した。島田氏は、今大会の数日前に結果が出た米大統領選のトランプ氏逆転劇でも、福音派クリスチャンが大きな影響を与えていたことを指摘した。
この福音派は、聖書を文字通りに信じ、病気の治癒や経済的祝福を説くことから、米国だけでなく、特に経済発展している国々で盛んで、中国やブラジルなどで信者数の増加がはっきり数値に表れている。島田氏によると、西欧州で勢力を失いつつあるカトリックは、ブラジルをはじめとする南米の基盤を失っては成り立たなくなってしまうため、福音派の隆盛に非常な危機感を覚えているという。
そもそも欧州全域では、プロテスタントも含むキリスト教離れが深刻なまでに加速し、維持が困難になった教会が、スポーツ施設やライブハウス、さらにはモスクとして売りに出されている。また、モスク増加が顕著なように、イスラム圏からの移民増加に伴って、すでに一部地域ではイスラム教が多数派になっている。再イスラム化が進んでいるスペインでは、10年後のサグラダファミリア完成を、果たしてキリスト教地域のまま迎えることができるのか疑問だという。
しかしながら、クリスマスを祝うイスラム教徒が見られるほどに世俗化が進んでいるので、欧州よりむしろ、イスラム教は世界最大のイスラム国インドネシアを中心とした東南アジアの宗教になりつつあり、今世紀末よりももっと早い段階で、イスラム教が世界1位の宗教になるだろうと推測されている。「さまざまな現象を考える上で、宗教を軸にしないと分からないことがたくさんある」と島田氏は話した。
メーン会場でのプログラムと並行して、別会場では、本学会員による発表と質疑応答の一般演題が行われた。精神保健福祉士の林氏は、前大会に続き「依存症から見る現代の宗教的ニーズ―依存症の『症状回復』とキリスト教の『罪・救い』の比較―」と題して発表した。
依存症の概念形成にはキリスト教(プロテスタント教会)が大きな影響を与えてきた歴史がある。先進国での宗教離れとともに、それまで教会が担っていた機能は、医療・福祉分野等多分野で専門分化されたが、プロテスタント教会の牧師の息子として育った林氏は、クリスチャンとしての視点を持つ立場から、「依存症治療等専門分化したものに、宗教的な視点からの読み直しが必要なのでは」と問題を提起した。
林氏は、依存症からの回復をキリスト教における罪からの救いと比較して類似点・相違点を浮き彫りにさせることで、症状や治療のキリスト教的意味合いや、「救い」と「回復」の違いを洗い出した。また、日本特有の宗教観に目を向けることで、なぜ日本で依存症が広がっているのか、現代日本における宗教的ニーズは何かを明らかにした。
「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」と題して発表した岩村牧師は、東日本大震災被災地の支援活動、また、今大会の前月の妻の召天という個人的な経験を通して見えてきた日本の宗教観や死生観から、日本人の「生きる」という価値観について「弔い」の視点から問題を提起し、「現代の日本では命が安くなってしまっているのではないか」「宗教者には命の重さを伝達していく使命がある」と問い掛けた。
また岩村牧師は、キリスト教会においても聖書に記された弔いの思想が軽んじられていると指摘し、愛する人の死を忘れず、よみがえりの確信を持って、残された者がどのようにして生きざまを示すべきかを深く考えることにこそ、喪の期間の意義があると説いた。
「『死』の反対は『命』ではなく『よみがえり』。死者と再会できる摂理について説くことができるのは、宗教者だけだ。『死ぬはずのものが命に呑み込まれてしまう』というキリストの復活と私たちの復活の信仰によって、死と滅びの恐れや不安から、大きな希望と喜びに移し替えられたことを記念するのが、キリスト教の弔いだ」と、死をできるだけ考えないようにする日本人に対して果たすべき教会の使命を語った。
今大会の各講演の詳細は、2017年夏ごろに日本評論社から発刊予定の学会誌「祈りと救いの臨床」第3巻第1号で特集が組まれる。また、第4回学術研究大会は、2017年11月18日、ホテルメトロポリタン池袋での開催が決定している。学会員以外の一般参加も可能。詳細・問い合わせは、本学会のホームページまたは実行委員長の斉藤氏(電話:03・5753・3361[大森榎本クリニック])まで。