カジノを含む統合型リゾート施設(IR)整備推進法案、通称カジノ法案が6日、衆院本会議で自民党、日本維新の会などの賛成多数で可決された。
自民党を中心とする超党派のIR議員連盟は、14日の会期末までに参院通過を目指しているが、与党公明党の一部からも反対の声が上がっていることなどから、先行きは不透明なままだ。
反対派の意見の中で、最も大きな理由の1つが「ギャンブル依存症」の存在だ。国内に数百万人ともいわれる患者数がいる現状の中で、何も対策をとらないまま巨大なギャンブル施設を作れば、依存症の増加は必至だ。
聖書を基盤とした依存症更生施設「ティーンチャレンジ・インターナショナル・ジャパン」の木崎智之牧師に話を聞いた。
――カジノ法案が衆議院を通過してしまいましたね。
木崎 そうですね。残念というか、この先が心配ですね。依存症者が何百万人といる国ですから。そこにカジノ施設を作れば、合法的にギャンブルができるということになりますよね。そうすれば、「国からお墨付き」をもらったようなものです。後ろめたい気持ちがなくなりますよね。
――ティーンチャレンジにも多くのギャンブル依存症者が訪れると聞きます。年齢、性別など、依存症になりやすい人の特徴などはありますか?
木崎 いや・・・ないですね。男性のイメージが強いと思いますが、女性の相談もありますよ。それから若い人が依存症になると思っている方も多いと思いますが、先日は70代の女性からも相談がありました。学歴も関係ないですね。学校の先生など、比較的、高学歴の方にも依存症の方はいますね。誰にでもちょっとしたボタンの掛け違いで陥るのだと思いますよ。
――ギャンブル依存症になる人の「入り口」は、どんなことなのでしょうか?
木崎 最初は、先輩や友達がやっていて、「ビギナーズラック」を求めてやり始めることが多いようです。そこで、例えば大当たりしてしまったりすると、次も次も・・・ってなっていきますよね。最初はそんなものです。
――ビギナーズラックから、勝負の面白さを知って、ハマってしまう?
木崎 そうですね。ギャンブル自体は違法ではないので、入り口は広いですね。薬物は、使用するのも所持するのも違法なので、その時点で「警察に捕まる」というリスクがあります。それから、アルコール依存症とも違うのは、ギャンブル依存症は体に実害がないのです。アルコールは、やはり依存度が進むと体に影響が出てきます。薬物はもっと顕著ですよね。しかし、ギャンブルは体に実害がないのと、体力もさほど関係ないので、高齢でも陥りやすい依存症の1つといえます。こうした理由から、ギャンブル依存症は自覚がないので治すのにも時間がかかるケースが多いです。
――ギャンブルにもいろいろな種類がありますが、依存度の違いはあるのですか?
木崎 いいえ、特に関係ないようですね。パチンコでも競馬でも、麻雀でも何でもいいようです。依存度が強くなってくると、朝はパチンコ、午後から競馬、夜は麻雀というように、まるでバイトを掛け持ちするように、いろいろなものに手を出してしまう人もいます。
――ギャンブル依存症にはどんな傾向があるのですか?
木崎 大きく分けて2つあると思います。1つは現実逃避型ですね。「家に居場所がない」などの理由で、何も考えなくて済むギャンブルに走る。1日居ても、誰にも何も言われない・・・などの理由からパチンコ屋などに出入りするといったパターンですね。もう1つは、脳が勝負するときのスリルや勝ったときの快感を覚えてしまっていて、完全に思考回路を乗っ取られているという状態の人ですね。こうなってくると、「ギャンブルで負けたお金を汗水垂らして働いて返すのはバカらしい」と考えるようになり、「ギャンブルで負けたお金は、一発当てて、ギャンブルで返してやろう」などという無謀な考えをするようになるのです。
――ギャンブルをするにはお金が要りますが、依存症の人はどうやってそのお金を得ているのですか?
木崎 親や友人に借りたり、持ち物を売ってお金を得たりしますが、その多くは返済しないままですね。消費者金融に借りるというのも常套手段です。日本に依存症が多くいるのは、この消費者金融の存在ではないかと個人的には思います。英国や米国にもカジノはありますが、簡単にお金を借りることができないので、日本のような「依存症」というのは多くないと思います。ギャンブル依存症になると物もお金も仕事も家族を含む人間関係も、全て失います。他の「依存症」がそうであるように、生活に支障が出始めたら、それはもう「依存症」なのです。
――海外のカジノなどを見て、思うことは?
木崎 私はマカオに視察に行ったことがあるのですが、マカオは島全体がカジノになっている場所があるのです。華やかな街を見て、私は嫌な気分になりました。例えば、タクシーに乗っているときに感じたのは、「このタクシーの運転手さんはどんな気持ちで仕事をしているんだろう?」ということです。タクシーの運転手は一生懸命働いているのに、カジノでは、その運転手さんが一生かけて稼ぐようなお金を一晩で使ってしまう富豪もいるわけです。そういう対極する価値観が共存する場所で、金銭感覚、人生観さえも歪んでくるのではないか・・・と思うのです。私は、日本がそういう国になるのは嫌ですね。
――聖書はギャンブルについて何か教えているのでしょうか?
木崎 申命記23章18節を見てみると、「どんな誓願のためでも、遊女のもうけや犬のかせぎをあなたの神、主の家に持って行ってはならない。これはどちらも、あなたの神、主の忌みきらわれるものである」(新改訳)とあります。この「犬のかせぎ」というのは、詳細は書いてありませんが、賭け事で使用されるドッグレースであったり、闘犬であったりするのではないかと推測します。はっきりとギャンブルを否定しているわけではありませんが、そうしたお金を神のもとに持って行ってはいけないと言っているとしたら、やはりギャンブルはいろいろな危険性をはらんでいると思います。聖書の教えは、私たちが神様の賜物を用いて、日々感謝しつつ働き、必要な糧を得ることだと思うのです。
――このカジノ法案については、総合的に見て、どんなふうに考えますか?
木崎 まだまだいろいろな規制や対策が不透明な状態ですが、基本的には、私は反対です。