モディリアーニやシャガールと並んでエコール・ド・パリの代表的画家として知られる藤田嗣治(1886~1968)の生誕130周年を記念した展覧会「藤田嗣治展―東と西を結ぶ絵画―」が、東京・府中市美術館で開催されている。26歳でフランスに渡り、81歳で没するまで、年代ごとに作品を追い、東と西の間に花開いた藤田嗣治の芸術の全貌を紹介する。大作も含む国内外の主要なコレクション110点を通して、複雑にして多面的な要素を持つ藤田芸術の真髄に触れることができる貴重な展覧会だ。12月11日まで。
81年の生涯の半分近くを、フランスを中心とした異国で送った藤田の芸術は、まさに東と西の文化の上に誕生したもの。しかし一方で、2つの文化に引き裂かれる苦しみも味わっている。展示は、「模索の時代」(1909~18)、「パリ画壇の寵児」(1919~29)、「さまよう画家」(1930~37)、「戦争と国家」(1938~48)、「フランスとの再会」(1949~63)、「平和への祈り」(1952~68)と6つのパートに分かれ、東西の融合と対立に注目しながら、藤田の創作の歩みを紹介する。
同展の見どころについて府中市美術館学芸員の音ゆみ子さんは、「展覧会を見ていただくと、藤田が多面的で複雑な画家であったことがよく分かると思います。藤田の小さな展覧会では、小さな子どもの絵や猫の絵などがあるのですが、今回は、渡仏する前から始まり、エコール・ド・パリ時代を経て、戦争、戦後、晩年の宗教画まで全てご覧いただけます。その中で、藤田の画風が転々としている時期があり、一部の時期だけとっても展覧会になる非常に面白い画家だなと思っています。今回の展覧会は、藤田の芸術の根幹に触れるような、東と西に悩みながら制作をしていたということを知る絶好の機会かと思います」と話す。
エコール・ド・パリの寵児として大成功を収めた後も繰り返される毀誉褒貶(きよほうへん)、戦中に描いた戦争画をめぐる責任論。同展では、「乳白色の肌の裸婦像の藤田」を「戦争画の藤田」としてイメージづけることになった戦争画の大作「アッツ島玉砕」を含む戦争画3作も同時に見ることができる。それまでの画風とは全く違ったこれらの作品は、藤田にとって生前唯一日本で広く受け入れられたものであると同時に、戦後の悲劇をもたらすものとなっていくのだ。
近年関心が高まる戦争協力画について音さんは、「藤田は、戦争画を描いて、非常に不幸な運命をたどることになります。ただ、忘れてはならないのは、戦争画というのは、西洋の中では伝統のある画題だということです。ですから洋画家なら誰でも挑戦したいと思っているのではないでしょうか。藤田もその1人で、東と西そのものに向き合っていきたいということが、藤田を戦争画に駆り立てていったところにあると思います。
多くの画家が戦争中に戦争画を描きながら、戦後、藤田は戦争責任を1人で背負わされ、日本を離れることになった、それは1つの見方で、藤田の被害妄想だったかもしれません。しかし、『自分は祖国を捨てたのではない、祖国に捨てられたのだ』と言うほど心の傷が深かったことは間違いありません。ただ、藤田が戦争責任をなすりつけられたと書いてしまうとすごく反発する人がいることも事実です。
戦争責任の問題は、多くの場合、それまでとガラリと作風を変えるとか、謝罪して反省を示すことが基本的には多いのですが、藤田はそうではありませんでした。そういうところで非難する人もいますが、反省の仕方はそれぞれだと思いますし、他の人と違って藤田は反省していないのかといったら、決してそうではないと思います。なので、現代の私たちが藤田の戦争画を見て、倫理的に良いのか悪いのかを判断すべきではないと思っています」と語った。
藤田の戦争責任の真相についてはいまだ不明なままではあるが、藤田は深い傷を抱えたまま日本を去っていく。フランスに帰化した後、1959年にキリスト教に改宗するのだが、この時期に藤田は多くの宗教画を残している。同展でも、洗礼を受けたノートルダム大聖堂に寄進した「聖母子」をはじめ、「2人の祈り」「キリスト」などが出品されている。そこには「嗣治」のサインはなく、洗礼名である「レオナール」が記されているのが印象的だ。
藤田と宗教画について音さんは、「キリスト教の題材ということで、藤田は20年代の後半からキリスト教の主題の絵を描き始めています。その時は洗礼は受けていないのですが、ただ、キリスト教は、西洋文明の根幹をなすものなので、キリスト教を主題にしたものを描くということは、当時の藤田の1つの戦略でもあったと思います。ローマ法王庁に関係するスイス人が藤田のパトロンでしたし、日本人がキリスト教の絵を描くということが珍しがられたということもありました。
藤田は、中世のキリスト教絵画に影響を受けて、キリスト教の主題を描き始めるわけですが、その後は(特例はありますが)、キリスト教を主題としたものは描いていません。それが戦争画を経て、1959年にフランスで受洗し、多くのキリスト教画を描くようになります。改宗後「レオナール・フジタ」として初めて描かれた作品が、今回展示されている「聖母子」です。これは当時、ノートルダム大聖堂に寄進された記念的作品です。
藤田の改宗については、戦争責任の問題から逃れて、かつて華やかに活躍した場所であったパリに行っても、温かく迎え入れられず、やはり戦争画に関する質問を浴びせられる。ここも決して安住の地ではなかった。その中で、心のよりどころを求めたのがキリスト教だった、というストーリーが描けます。信者ならば、『やはり、最後の救いはキリスト教なのね』で納得するところですが、昨年公開された『FOUJITA』を撮られた小栗康平監督も同じようなことをおっしゃっていますが、藤田が求めたキリスト教とは本当は何だったのか、私たちにはまだ分からない面があります」と藤田の謎を明かした。
西洋の古典的な画題に日本的な技法を用いて、ヨーロッパの人に認められることを目指した藤田の作品は、「東と西を結ぶ絵画」と呼ぶにふさわしいものであり、当たり前のように西洋化されたものを受け入れ、生きる現代の私たちに多くのことを語り掛ける。
音さんは、「藤田は、早い時期から国際的に活躍し、その中で西洋の伝統に正面から向き合ってきました。単身海外に行き、そこで勝負したわけですから、東と西の違いの大きさを直に感じ、ぶつかったものも大きかったと思います」と、藤田の葛藤や苦しみについて述べた。その一方で、「現代の私たちを見渡すと、当然のように西洋の服を着、西洋の食べ物を食べ、西洋の美術をこぞって見に行くといったことをしていますが、そういうことに対して振り返って考える時期に来ているのではないでしょうか」と話した。
国分寺から見に来たという40代の女性は、「藤田の子どもの絵が好きで見に来た。宗教画のことは知らなかったが、解説を読み悲しい気持ちになった。初期から晩年まで流れに沿った展覧会で、絵が変わっていく様子や、藤田のいろいろな面が見れてとてもよかった」と感想を語った。
開館時間は午前10時から午後5時(入場は午後4時半まで)。月曜日休館。観覧料は、一般1000(800)円、高校生・大学生500(400)円、小学生・中学生200(160)円。( )内は20人以上の団体料金。未就学児および身体障がい者手帳提示者は無料。府中市内の小中学生は「府中っ子学びのパスポート」で無料。なお、同設の牛島憲之記念館も観覧することができる。詳しくは、同展の特設ページ。