インドネシア・ジャカルタ特別州のバスキ・チャハヤ・プルナマ知事が7日、警察から9時間に及ぶ事情聴取を受けた。キリスト教徒のバスキ氏がイスラム教の聖典、コーランを侮辱する発言をしたとして、ジャカルタでは4日には、10万人ものイスラム教徒がデモを行い、バスキ氏の投獄を要求するなどしていた。
インドネシアでは少数派の中国系キリスト教徒であるバスキ氏は2014年、世界最多のイスラム教人口を抱えるインドネシアの首都ジャカルタの特別州知事に、インドネシア独立後50年以上の歴史でキリスト教徒としては初めて選ばれた。
事の発端は、バスキ氏が9月、ジャカルタ北部のサウザンド諸島を訪問した際にしたコメント。そこでバスキ氏は、コーランがイスラム教徒に対し、非イスラム教徒に投票できないと教えているならば、コーランはイスラム教徒にうそを教えていると述べたという。
バスキ氏のコメントがソーシャルメディアを通して伝わった後、イスラム過激派はすぐに、プロテスタントのキリスト教徒であるバスキ氏を冒とく罪で告発し、接戦となっている17年のジャカルタ特別州知事選への立候補を辞退することを求めた。
バスキ氏は問題発言と受け取られた自身のコメントに関して謝罪をし、誰かを不快にさせるつもりはなかったと述べたが、再選を有力視されている知事選への立候補を辞退することは拒んだ。
オーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙は、バスキ氏に対する抗議活動は、日中はおおむね穏やかであったと伝えた。しかし夜間に、警察とデモの参加者が衝突し、警察が催涙ガスを使用した後、デモの参加者の一部が暴徒化したという。
報道によると、警察が使った催涙ガスにより、ぜんそく発作を起こした1人が死亡、数人が負傷した。デモには10万人余りが参加したとされており、警察官も12人が負傷した。
米ニューヨーク・タイムズ紙によると、デモ参加者たちは警察に対して、「アホック(バスキ氏の愛称)を絞首刑にしろ、裏切り者を死刑にしろ」と要求した。一方、他の者たちは「手足を切って、国外に追放しろ」と繰り返し言ったという。
インドネシアでは、冒とく罪に対し最大で懲役5年の刑を定めている。バスキ氏のシラ・プラユナ弁護士は、警察による9時間近い事情聴取の後、メディアに対して、バスキ氏が国家警察からの22の質問に答えたと述べた。バスキ氏に対する事情聴取は、10月24日にも行われており、7日の事情聴取は2回目。
インドネシアの英字紙ジャカルタ・ポストによると、シラ氏は、バスキ氏が警察からの質問に快く答えたと述べた。
7日の事情聴取の後、バスキ氏は「もし他の質問をなさりたいなら、警察にお尋ねください」「私は家に戻りたいのです。私は空腹です」と述べるだけで、メディアに対しほとんどコメントをしなかったという。
デモと事情聴取は、バスキ氏ら3候補が争う知事選の半ばにさしかかった時に起こった。スカイ・ニュースによると、国家警察の広報担当者ボイ・アマル氏は、警察がインドネシアのジョコ・ウィドド大統領の主張に基づき捜査していると述べた。ジョコ氏は4日のデモの暴力化の背後には「政治家たち」がいたと述べていた。
ジャカルタ・ポスト紙によると、ジョコ氏は「私は深夜の物騒な状況を遺憾に思います。デモを終えるべきであった国民が暴徒と化したからです」「政治家たちが状況を利用しています」と述べた。
デモの暴徒化のため、ジョコ氏は当初予定されていたオーストラリアへの公式訪問を延期することを余儀なくされた。
バスキ氏が抗議に直面するのは、今回が初めてではない。14年の知事当選後、宣誓就任前には、キリスト教徒であることで抗議を受けた。ニューヨーク・タイムズ紙は、イスラム過激派がバスキ氏の事務所に突入すると脅迫することさえしたと伝えている。
迫害監視団体「オープン・ドアーズ」が発表している迫害状況の国別リスト「ワールド・ウォッチ・リスト」によると、インドネシアはキリスト教徒への迫害に関するランキングで43位に位置付けられている。キリスト教徒が全人口の約8・8パーセントであるのに対し、イスラム教徒はインドネシアの人口の87パーセント以上を占めている。