トランプ氏が弱気だ。「もし負けた場合は・・・」というような発言をしてしまったり、彼の側近からも「選挙後の身の振り方」についてコメントが出てきたり、本番前にもう白旗を上げたような報道が続く。その真偽は分からないが、何だか拍子抜けしたような気がするのは私だけではないだろう。
某国で毎回行われている「誰が大統領になるか」の賭けは、トランプ氏がじり貧のため賭けにならず、エントリーしたギャンブラーたちに掛け金を返金し始めたという。オッズがつけられないくらい偏ってしまったということだろう。
そうなると、ヒラリー・クリントン大統領の誕生だろうか? そう見る傾向は強い。しかし、2016年の大統領選挙全体を振り返ったとき、トランプ氏だけでこのような異常な事態を引き起こしたのではないとしたら、彼がたとえ敗北したからといって、全てが語り尽くされたと考えるのは早計である。本選挙の総括には、11月8日を過ぎてもまだ時間が必要ということになろう。
トランプ現象を深く政治学的に考察した決定的な著作『トランプ現象とアメリカ保守思想 崩れ落ちる理想国家』(会田弘継著)
巷には、この「4年に1度のお祭り」にあやかって、さまざまな「米国大統領選挙本」が出版されている(このような記事が本紙に掲載されるのも、その1つであることは分かっている)。しかし諸説ある「トランプ本」「ヒラリー本」とは決定的に一線を画した良書が存在することをご存じだろうか。青山学院大学地球社会共生学部教授、会田弘継氏が今年8月に出版した『トランプ現象とアメリカ保守思想 崩れ落ちる理想国家』(左右社)である。
会田氏とは、私が同志社大学の院生時代に知り合うことができた。恩師である森孝一先生を訪ねて会田氏が来られたときに紹介された。当時は、キリスト教福音派研究の大家、ジョージ・マースデンの著作に関して意見を交わしたことを覚えている。
キリスト教保守派に興味を持っておられた会田氏は、私の教会にも足を運んでくださり、楽しくお交わりをさせていただいた。その会田氏が青山学院で教鞭を執られ、そしてこのトランプ現象に関して著書を出されるということで、私も勉強させてもらおうと思い、本書を手にした。
手にしてびっくりした。写真でも分かるように真っ赤なセロファン越しにトランプ氏のアップが正面を向いている。これほどインパクトのあるトランプ本表紙は見たことがない。そして中を見てまたびっくり。トランプ現象について書いてあるため、ドナルド・トランプ氏に言及するのは当たり前だが、分量的には直接言及しているのは半分くらいしかないのである。つまり会田氏が本当に訴えたいのは、ドナルド・トランプ氏の人となりではなく、このトランプ現象を生み出した源流を詳(つまび)らかにすることなのである。
第1章では、2016年の大統領選挙に立候補した各政治家の動向も描かれている。どうも淡々として、あまりそこに熱量を感じない。トランプ氏の言動やその背景にある考え方も語られているが、これも巷のトランプ本とさほど代わり映えしない情報である。
第2章「トランプという男」の章では、彼の生い立ちから現在までがコンパクトにまとめられている。トランプ氏について、日本のマスコミが「乱暴者」「独裁者」的なレッテルをこれでもかと貼ってしまったため、彼の真の姿が見えなくなっていることへの危惧から、会田氏はこのようなまとめを付け加えたとしか思えない。
ポピュリズムと反動主義が手を結ぶ忌まわしき未来?
しかし第3章にさしかかると、一気に今までの伏線が回収されていく。今回の大統領選挙でたとえトランプ氏が敗北を喫したとしても、彼を支持した白人中間層に生まれた反動精神は継続されていくことへの考察こそ、会田氏の最も訴えたかったことであろう。そしてここまでしっかりと見据えて今回の選挙を論じなければ、また4年後に「奇想天外な候補者出現!」という表層的な考察しかできないことへの警鐘を鳴らしているともいえる。
このトランプ現象を生み出した思想的源流は何か? そしてこの現象は今後どのような米国を形成することになるのか。この辺りまで踏み込み、米国全体の思想史を掘り起こしながら会田氏は語っているのである。
おそらく本稿がアップされる頃には、いよいよ選挙も最終段階を迎えているであろう。賭けではないが、「ヒラリー氏かトランプ氏か」は数日後にはっきりする。しかしこの選挙戦が米国にもたらした功罪については、しっかりとした歴史観に立って語られる必要がある。
そういった意味で、単なるトランプ、ヒラリー本と本書の決定的な違いは、一過性の流行本として誰からも顧みられないものとなってしまうか、それとも選挙が終わって後も人々が読み返したり分析の参考に用いられる本となるか、ということにあるといえる。
さて、第3章に話を戻そう。ここで語られようとしているのは、1950年代からの思想史である。なぜ50年代かというと、この時期に米国は近代的な保守思想を誕生させたからだと会田氏は語る。そしてラッセル・カークらに言及し、米国にはその時まで意識されてこなかった欧州的な意味での「伝統主義」が本格的に生み出された年代だと論じる。
その時までの米国にも、もちろん保守主義とリベラル主義は存在した。しかしこれらは共に「米国的」進歩思想に根ざしたものだった。だからこの進歩思想をさらに推し進めるか、これに抑制をかけるかの違いで「保守」「リベラル」という相違は存在していたが、欧州的な権威主義的な保守思想、すなわち「伝統主義」の流れは、1950年代になって初めて米国では意識されたのだと会田氏は語る。
そしてトランプ氏を支持する白人中間層は、この1950年代にノスタルジーを感じる人々だとしている。もちろん年代的にはもっと若い層だが、その思想的な源泉という意味ではここに行き着くことになる。このノスタルジーがトランプ氏のようなポピュリストと出会うことでいつしか反動を形成する。それは、現実がそれほど満足できるものではなく、むしろ苦しさを増しているからである。
白人中間層は、民族的にWASPとして君臨する時代が終わりを告げることを知らされている。そして社会階級においても、ブルーカラー層は決して恵まれた者ではなく、いつ何時下層階級へ転落してしまうかもしれない危機感を抱いている。そんな彼らの不満や怒りを代弁し、そして公民権運動やカウンターカルチャーなどの変動が起こる前の米国、すなわち1950年代の活況をもう一度取り戻したいと潜在的に願う人々が、今回の選挙でトランプ氏を支持したのだという。
会田氏の次の言葉は注目に値する。
「そしてトランプは、彼自身がどこまで自覚しているかわからないが、ミドル・アメリカン・ラディカルズの心の奥底に眠り込んでいた、とてつもない反動意識を掘り起こしている可能性がある。巨大な政治勢力たりうる彼らが反動的思想とつながり、その情念にむしろトランプが左右される日が来たら、アメリカはどうなってしまうのか。ポピュリズムと反動とが手を結ぶ忌まわしい未来を、いま私たちは考えておかなければならない」(198ページ)
必読の1冊であると同時に、政治思想史的解釈としては傾聴に値するであろう。では、神学的にこの大統領選挙を分析するなら、どうなるであろうか。いよいよ本コラムもクライマックスを迎えることになる。次回は、新大統領誕生を踏まえて、論を進めていきたい。
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