9月26日(日本では27日)、ついにトランプ氏とクリントン氏(ヒラリー)とのテレビ討論会が始まった。この回を含めて計3回行われるこの討論会は、有権者がどちらに投票しようかを決める最終判断材料となることで有名である。メディア各紙の反応は、大方がクリントン氏優勢を伝えている。しかしトランプ陣営もいろいろと策を練ってくるだろう。まさに全世界が注目する「ガチンコ勝負」である。
この討論会の中で、こんな一幕があった。トランプ氏が、クリントン氏の体調不良を取り上げ、「あなたにはスタミナがない」と3度も繰り返した。それに対するクリントン氏の回答は、「私は年に数百回の交渉に当たり、議会などで演説し、そして時には連続11時間に及ぶ質疑応答をこなしています。これくらいあなたも経験してから、スタミナの問題を取り上げてもらいたいわ」であった。
モニカ・ルインスキー事件という試練
彼女の言葉の背後に、夫にまつわる「あの事件」を通して自身が強められたという自負を筆者は垣間見る。それは1998年に明らかにされた「モニカ・ルインスキー事件」である。国の最高指導者という立場にありながら、夫婦で全米のさらし者にされた経験が、少々のことではへこたれないメンタリティーを作り上げたと考えられる。
これはビル・クリントン大統領(当時)が自身の不倫疑惑に関して、法廷で偽証したこと(大陪審偽証)、そしてこの件で証言する者へ不当な圧力をかけたこと(司法妨害)を巡る騒動である。最終的に彼は弾劾裁判にかけられた。結果、無罪となるのだが、それ以降ビル・クリントン大統領には、必ず「モニカ・ルインスキー事件」がついてまわることとなる。
1995年6月、モニカ・ルインスキーは大学院生でインターン研修を受けることになり、ホワイトハウス・実習生としてビル・クリントンのそばに配置されていた。そこでクリントン大統領とルインスキーは恋仲になり、大統領の書斎で性的な行為にまで及んだという。このような関係は1年半も続き、クリントン大統領が関係の解消を提示し、事が明らかになったときには2人の関係は終わっていたという。
いずれにせよ、モニカ・ルインスキーへとつながる一連の事件は、ビルが州知事時代に立ち上げた「ホワイト・ウォーター」という名の会社を巡るトラブルに端を発している。これに目をつけ、クリントン政権に打撃を与えることができると踏んだのが、独立検察官ケネス・スター氏であった。彼はクリントン大統領の周囲を調べ上げ、他にも大小さまざまなスキャンダルを掘り当てていた。やがて彼は、モニカ・ルインスキーと大統領との不倫疑惑に行き当たった。
大統領にまつわる別件の裁判で証人として召喚されたルインスキーは、そこでクリントン大統領との関係を問われた。即座に彼女は否定した。しかしこの否定証言は、スター検察官にとっては好都合であった。彼は不倫に関する有力な証拠を握っていたため、彼女の否定証言を、「クリントンがルインスキーに意図的に偽証させ、捜査の妨害を図った」ことの証拠として用いることができたのである。スター検察官は、法廷での偽証強要の有無を調査することの一環として、公的にモニカ・ルインスキーとクリントン大統領との不倫を追及することに舵を切った。
議会や司法の場で、およそ似つかわしくない用語が飛び交った。「大統領の体液」「DNA鑑定」「オーラルなセックス」などなど。最終的にクリントン大統領は無罪となるが、こういった話題が国の最高司令官にまつわるトピックスとして挙がってくることに、事の「異常性」を見て取ることもできよう。
モニカ・ルインスキー事件で誰が得をした?
さて、この事件で一体誰が得をしたのか。そう問われたとき、答えは私たちの感覚とは幾分異なった結論を出さざるを得ない。最も得をしたのは、クリントン大統領自身である。そして長期的な視点で見るなら、ヒラリーがこれに続く。
「国家主席の不倫スキャンダル」というと、モラルを問われるという点で最も致命的なミスと思われがちである。しかし、クリントン大統領の支持率を見ていくと、驚くべきことに、弾劾裁判が行われていた時期に、通常の59パーセントから69パーセントへと上昇している。そしてスター検察官の捜査に関して、否定的な意見は国民の6割にも上ったのである。
これは、クリントン大統領の経済政策が好転したことによる上昇と受け取ることもできる。しかし、このような飛躍的な上昇を成し遂げた要因の1つに、98年8月17日に大統領自らが国民の前に謝罪したことが挙げられる。午後10時から、5分程度ではあったものの、クリントン大統領はルインスキーと「不適切な関係(a relationship that was not appropriate)」であったことを全国民、そして家族(ヒラリーと娘のチェルシー)に詫びた。
これが結果的に人々の心を打った。その後もスター検察官らは追及の手を緩めず、ついに弾劾裁判へと発展した。これに対し、国民は大統領ではなくむしろスターや政敵、そしてこれらを面白おかしく訴えるマスコミに批判的になっていったのである。
事件の謝罪会見と聖書の「類型論的解釈」 クリントン大統領は悔い改めたペトロ!?
ここで米国民の心情を大きく左右した考え方に、聖書物語に基づく「類型論的解釈」がある。これは、聖書に基づいて自分たちの歴史と現実を解釈する際に、聖書の中に自分たちの現実を解釈するときの「原型(archetype)」を見て取る手法のことである。
例えば、第3代大統領のジェファーソンは、米国の法的な整備を行った人物であるが、彼を「米国における使徒パウロ」と受け止めることを変に思わない米国人は相当数存在する。また、奴隷解放に尽力し、最後に暗殺されたリンカーン大統領は、「米国におけるキリスト」的な存在と位置づけられる。
では、クリントン大統領はどうか。この質問を筆者の恩師である森孝一教授にしたことがある。するとあながち冗談ではなくまじめにこう答えてくれた。
「おそらくペトロ。イエスを裏切ったけど、ごめんなさいと悔い改めて、使徒の仲間入りできた彼のように、国民と神の前で謝罪したのだから赦(ゆる)してやろうと国民は考えたとしても、それは不思議ではない」
具体的に「クリントン=使徒ペトロ」と明言した資料はないが、ここにこそキリスト教国アメリカの独自の視点を見て取ることができる。その証拠に、不倫して言い逃れをしてきた国家の指導者に対して、国民はその支持率を下げるどころか、むしろ謝罪会見後に支持率を上昇させている。
これは「悔い改めた者は受け入れる」というキリスト教福音理解の根幹をなす考え方を敷衍(ふえん)させたものと類推できる。こういった思考が生み出される国、これこそ米国のユニークなところである。
女性の敵から、回心した夫を支え続けた妻になったヒラリー!?
さてもう1人、大きなメリットを受けたのがヒラリーである。決して夫を見捨てず、夫を信頼し、そして共に弾劾裁判を戦い抜いたというその姿を、人々が称賛した。もちろん今だからこそ開示された夫婦のやりとりは、浮気した夫とその妻の修羅場を連想させる内容である(!)。しかし、あくまでも公的にヒラリーは「ビルの夫」「大統領の妻」を完璧に演じ切った。この在り方が、結果的に彼女の人気を高めたことは否定できない。
そういう後押しの中、ヒラリーは2001年に上院議員へと打って出て、その後政界の王道を歩み始めることとなる。かつて夫の姓を名乗らないことや、夫とは別に仕事を持ちキャリアを積み上げていく生き方から、「女性の敵」としてやり玉に挙げられたヒラリーであったが、自らを侮辱した夫を見捨てずに、その回心を快く受け止めた(と見える)その姿は、多くの人々に女性の鑑(かがみ)、新たな指導者像を提示することに貢献したと言える。まさかヒラリーが夫を「悔い改めた使徒パウロ」と見なしたとは思えないが・・・(笑)。
次回は、政界の王道を歩むヒラリーに立ちはだかる意外な要因について考えてみたい。
◇