10月に入り、いよいよ米大統領選まであと1カ月という時を迎えた。大統領候補の直接テレビ討論会も盛況だったが、4日には副大統領候補の討論会も開催され、クライマックスへ向けて、もう何も止める者はいないという状態になっている。このコラムも新大統領決定によってその主な使命を終えることになるが、大統領制度と宗教国家としての米国という意味では、まだまだ言うべきことがある。次々回くらいには新大統領が選出されているだろう。書いているこちらも自然と熱が入るというものだ。
ヒラリー・クリントン氏について4回にわたって述べてきた。不屈の闘志を燃やしながら、常にステップアップを願う彼女の生き方は、米国女性の社会進出に大きな希望を与えたことは間違いない。そして自身の夫が大統領経験者であるということは、彼女を単体で評価するのではなく、やはりどこまでいっても「クリントン夫妻」としての方向性が問われることは、もはや宿命ともいえよう。しかし、夫、ビルとヒラリーとの決定的な違いがある。それはビルが45歳で大統領候補となったのに対し、ヒラリーは68歳。上院議員はもちろんのこと、オバマ政権では国務長官も経験している。政治家としてはベテランの域に達した後の大統領候補指名であった。
2008年大統領選に「中道路線」で敗北したヒラリー
2008年の大統領選では、民主党内で現職のオバマ氏と熾烈な争いを展開した。結果はご存じのようにヒラリーの敗北であった。この敗因には諸説ある。1つは、人々が「人種差別」と「女性差別」の争いなら、前者の解消こそ優先されるべきだ、と捉えたこと。つまり、「史上初の」という冠を付けるなら、「女性大統領」よりも「黒人大統領」の方を好んだということである。もう1つは、オバマ氏のユーチューブ戦略の斬新性である。ネット献金というシステムを初めて大統領選に導入し、ヒラリーを上回る政治献金を集めたことが、勝利の要因だと分析する専門家は多い。
しかし最も大きな要因は、当時の大統領、ビル氏が舵を切った「民主党内の中道路線」に対して、民主党員がNOを突き付けたことであろう。ビル氏は、民主党でありながら、共和党寄りのいわゆる「中道路線」へシフトしたため、議会での法案を通過しやすくできたし、8年間も政権を維持することができたのである。しかしあれから10年以上の時がたち、やはり民主党は左派路線を踏襲してほしいという意見が多く、それをオバマ氏がすくい取った形になったのである。
ヒラリーにすると、夫が舵を切った方向の延長線上に自らのスタンスを置くことは、かつてファーストレディーを経験した者としての半ば自明路線であった。しかし皮肉なことに、09年以降にオバマ氏が進めた国民皆保険制度の原型は、ヒラリーがかつて構想したもの(結果的に議会で廃案になった)であった。政治のかじ取りがいかに難しく、時宜を得たやり方を峻別(しゅんべつ)する能力が求められるかを示す一例であるともいえよう。いずれにせよ、08年の選挙でヒラリーは苦汁をなめることになってしまった。
サンダース相手に苦戦したヒラリー
そして8年後、ヒラリーは国務長官を経験し、さらに政治的キャリアを積み上げた。そして満を持しての出馬となった。15年、いよいよ大統領選が真剣味を帯び始めたころ、「民主党はヒラリー」という路線でほぼ決定であった。経験、実績、そして知名度と、彼女を上回る人材など存在しない、と考えるのは決して不自然ではなかった。しかし、歴史は不思議なものである。共和党内でドナルド・トランプ氏に注目が集まる中、盤石であったはずの民主党内にも思わぬ対抗馬が名乗りを上げてきたのである。彼の名はバーニー・サンダース。15年4月に出馬宣言を行ったバーモンド州選出のこの上院議員は、74歳という高齢にもかかわらず、若者たちからの絶大な人気を集め、16年の予備選ではヒラリーとの直接対決で6連勝を成し遂げる善戦を展開したのである。
民主党員1年生で指名の座を争った「民主社会主義者」
ここで、サンダース上院議員について少し述べておこう。1941年、ニューヨークはブルックリンで生まれたサンダース氏は、父親にユダヤ系ポーランド人、母親に米国生まれのユダヤ人を両親に持つ、ある意味生粋の「ユダヤ系一族」である。祖父母はホロコーストの犠牲者であった。シカゴ大学を卒業し、さまざまな職を経て、81年にバーモンド州バーリントンの市長に就任。その後16年間下院議員を務め、2007年から上院議員となり、現在に至っている。最も特徴的なのは、大統領選出馬のために15年から民主党に入党したということである。つまり彼は党員1年生で大統領候補に名を連ねたということである。このあたりは、共和党のトランプ氏と似ている。彼もまた共和党員となる前には、第三党に入っているなど、決してベテランの共和党員ではない。
このサンダース氏が訴えたのは、「政治を一部の富裕層(エスタブリッシュ)から取り戻せ」ということである。政治家が独自の論理で一部の富裕層と結託して勝手気ままに米国を変質させようとしている。経済格差は拡大し、医療保険などの恩恵を受けられない人々がその数を増している。これらの格差を是正するために、ウォール街などの投資家たちとは異なる路線に舵を切ろうと訴えたのである。特に若者たちの耳目を集めたのは、「公立大学の授業料無償化」である。
また彼は、銃規制を強化する考えを推進し、シリアなどへの空爆の禁止区域を米国だけで決定する案にも反対した。平和主義、多国籍主義を前面に打ち出している。そんな彼に付いたあだ名は「民主社会主義者」。米国のような資本主義国家ではアウトロー的存在である。しかも出自がユダヤ系というのだから、ある意味最も大統領候補になれない立場である。そんな彼が、政治界のベテラン、ヒラリーと拮抗する勝負を展開したということに、実は今回の大統領選の特色を見て取ることができる。
それは今回のトランプ現象との合わせ鏡として見えてくる世界観である。つまり、従来の「政治家」たちの常識が通じないくらい、米国は大きな変動を体験しているということである。トランプ氏が繰り返す暴言や失言の数々、サンダース氏が徹底して平等原理に立脚して繰り広げる主張、これらを歓迎する人々の心情は恐らく同じであろう。それは、「建前や形式を整えただけの主義主張では、この現実を変革することはできない」という抜き差しならぬ状態に陥りつつある非富裕層の怒りである。
16年の大統領選で、共和党の第1候補はジェフ・ブッシュ氏であった。彼は「ブッシュ家」の血を引くサラブレッドである。人々は、兄のジョージ・W・ブッシュの地盤を引き継ぐ彼こそが、民主党の有力候補、ヒラリーの本命対抗馬だと見なしていた。しかし、政治の世界とは全くかけ離れたトランプ氏が共和党の代表候補となり、民主党は(結果としては前評判通り)ヒラリーが代表となったが、彼女と対等に戦ったのは、民主党員1年生で、「社会主義者」と揶揄(やゆ)されたユダヤ系のサンダース氏だったのである。
「どの候補か」から「従来のルールを受け入れるかどうか」へ
識者の中には、これまでの戦いを見て、「米国民は、どの候補を選ぶかではなく、従来の政治家たちのルールややり方をこれからも受け入れるかどうか、を問うている」と分析する者もいる。トランプ氏は「ポリティカル・コレクトネス(政治的見地からの正しいこと)なんてクソ食らえ!」と平気で発言している。サンダース氏も言い回しこそはポリティカル・コレクトネスを順守しているが、内容は従来の政治家に比べると闊達(かったつ)かつ過激であることは否めない。そういう意味で、今回の大統領選は、誰を大統領にするか、だけでなく、このような政治機構で本当にいいのか、という米国政治の屋台骨が揺れ動いているといってもいいだろう。
次回、サンダース氏の「民主社会主義」という主張の源流を宗教的に探っていきたい。実はこの考え方は、キリスト教から生み出されたのであった。
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