9・11から15年を記念する式典の最中、ヒラリーが途中退席してしまったことから、健康を不安視する声が後を絶たない。大統領の座を争うことになったトランプからも「一日も早い回復を祈念しています」とコメントが出るほどだ。
この言葉を政治的な意味合いやトランプ特有の攻撃(口撃)とは受け取りたくない。やはり病にある方を気遣う人としての言葉として受け止めたいと筆者は思う。しかしこういった発言ですら、「政治的な戦略では?」と勘繰ってしまう風潮が米国の選挙には付きまとう。それくらい対立候補の「ネガティブ・キャンペーン」合戦は熾烈(しれつ)である。
前回指摘したように、女性であるが故に「見えないガラスの天井」に阻まれながらもそれを破ろうとするヒラリーの営みは、周囲から多くのネガティブな反応を引き出してしまったのである。しかしそれにも負けずに立ち向かっていくものだけが勝者となれる。ヒラリーはこのことを夫ビル・クリントンの大統領選挙でイヤと言うほど味わっていた。その中でも特に彼女の「勇み足」として取りざたされた出来事を紹介しよう。
「あなたに寄り添って」発言で反発を受けたヒラリー
ビル・クリントン大統領候補は、彼が政治活動を開始した当時から常に付きまとう問題があった。それは女性との不倫、情事に関する道徳的な問題である。その最たるものが大統領任期中に発覚したホワイトハウス実習生、モニカ・ルインスキーとの不倫である(これについては稿を改めて述べるつもりである)。
しかしそれ以前にも、彼が女性問題で人々の注目を浴びたことがあった。民主党代表指名候補の座を目指していた時期、「かつてビル・クリントンはクラブ歌手と12年間も密かに付き合っていた」という記事がメディアを騒がせたのである。
ヒラリーとビルはこの「噂(うわさ)話」の火消しに、全米でも人気の高いニュースショー(「60ミニッツ」)に出演することになった。そこでヒラリーはつい口を滑らせてこう言ってしまう。
「私がここに座っているのは、『あたしの亭主のそばに寄り添っている』わけじゃないの。タミー・ワイネットみたいにね!」
タミー・ワイネットとは、『あなたに寄り添って』という歌でヒットを飛ばしていた女性カントリー歌手である。その歌を取り上げながら、最後に彼女はこう司会者に言い放った。
「もしこの私たちの在り方に不満がおありなら、いっそのこと夫には投票しないでちょうだい!」
この一連の発言に、タミー・ワイネットのファンと、保守的な家庭像を抱いていた男性たちが反発の声を上げた。この反発の声は予想以上に大きく、一種のネガティブ・キャンペーンとしてビルの選挙戦にも影響を与えることとなった。
問題を大きく見たヒラリーは、数日後にワイネットが出演するテレビ番組に自らも出演し、公式に彼女に謝罪を申し入れた。結果的にワイネットは、その後のクリントン陣営の資金集めに協力してくれることになる。雨降って地固まる、ということになった。しかし第二波はその数カ月後にやって来た。
“アメリカの母親の敵”と反発された「クッキー発言」
民主党内で大統領候補の座を争うライバルから、夫婦で不正取引を行っているという根も葉もない攻撃を受けたとき、彼女はこう言い返した。
「私が家にいて、クッキーを焼いてお茶でも入れていれば、あなたたちは満足なんでしょ!でもあいにくね。私は専門的な仕事(弁護士)を果たす決心をしてしまっていたの」
この発言に噛みついたのが共和党であった。ヒラリーを「過激なフェミニスト」と決めつけ、「アメリカの母親への侮辱だ」と訴えて主婦層をたきつけたのである。今度は「女性の敵」として反発を受けることになってしまったのである。
彼女が闘っていた「見えないガラスの天井」がいかに巧妙かつしぶといものであったかがお分かりだろう。一部のキャリア志向の女性層からは圧倒的な支持を受けたヒラリーであったが、それでも政治の世界へ女性が進出することの難しさは、依然存在していたのである。
だがヒラリー自身は、これらの体験を決して否定的には捉えていなかった。ビルが大統領候補になる、また本選で大統領に就任するということは、つまりこの手のバッシングに慣れ、いかにしてこれをかいくぐるかという術を身に着けることを意味する。
その後、ヒラリーは自分のクッキー・レシピをネットで公開したり、2016年の自身の大統領選挙では人気料理研究家と提携し、資金集めの料理教室を開催したりして、主婦層へのアピールを決して怠らない如才なさを見せつけている。
ただし、その料理教室への参加費は、1人1回500ドルという高額であるため、参加できる主婦の地位もおのずと限定されていくのだが…。いずれにせよ、逆境をばねにして、彼女は「大統領を支える夫人」という側面と、「自身の政治的立場」の両方を着実に積み上げていくのであった。
上院の毎週の早朝祈祷会で、共和党保守派議員とパイプを築いたヒラリー
彼女の政治家としての手腕は、上院議員となって後にその本領が発揮された。2001年1月に当選して後、民主党員の彼女は、旧態依然とした共和党保守派議員らの心をつかむためにある戦略を実行する。彼女はまず、共和党保守派議員のほとんどが宗教右派であるか、それを支持母体として当選しているという事実に目を留めた。
1943年以来、上院では定期的に朝一番に共に集まり、祈るという会を開催していたため、そこに彼らは集うことを習慣としていたのである。このような政治家たちの祈祷会は、1930年代にメソジスト派牧師たちによって始められた。
議員たちの心を清めることを目的とし、キリスト教精神に基づいた友愛を実践することを旨として発足した。この流れが上院議員たちの中にも浸透していたのである。この会は、民主党・共和党の対立が抜き差しならぬ状況に陥ったとき、両議院が和解したりお互いの非難を思いとどまったりする機会を幾度となく提供してきた。
ヒラリーはこの朝祷会に参加することを決めた。既に述べたように、ヒラリーの家系は熱心なメソジスト派である。彼女の信仰母体(メソジスト派)が立ち上げた会であるなら、彼女自身のキリスト者としての信仰をそのまま表明することはたやすいことである。
取り繕う必要がなく、自然な立ち振る舞いを通して、ヒラリーは保守的な共和党議員に大いに気に入られる場を見いだしたと言えよう。ここには信仰と政治的実践のコラボレーションがあったことは否めない。しかしこのような祈祷会が、米国政治の対立を緩和させ、一致へと導く一要因となっていることは特筆すべきことである。
朝祷会は、毎週水曜の朝に開催され、祈りの後は共に食事をするのが一般的であった。その時だけは、いくら共和党議員であったとしても、神の前に共に集う民主党議員を無下には扱えなかった。友好的な姿勢で交わり、語り合うことを旨とした宗教的会合であったため、ヒラリーは共和党議員とも仲良くするパイプを手にすることができたのである。
ヒラリーはさまざまな困難を乗り越え、失敗を通して学び、立ち上がる中で、いつしか熟練した政治家へと成長していくこととなった。これは一見サクセス・ストーリーのようであるが、実はそうではない。彼女が政治の世界でやっていけることを内外に印象付ける出来事は、女性ヒラリー・クリントンとしては決して喜べない事件に端を発していると言わなければならない。
次回、いよいよ夫ビルが起こした最大の事件(として人々の記憶に残っている)「モニカ・ルインスキー事件」とこの事件へのヒラリーの対処法について見ていくことにしよう。
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