9月4日、バチカンでマザー・テレサが聖人の列に挙げられました。マザー・テレサとの出会いがきっかけで神父への道を歩み始めたわたしにとって、この歴史的な瞬間に立ち会えたことは本当に大きな恵みでした。列聖式の恵みを皆さんと分かち合いながら、マザーの生涯をあらためて振り返ってみたいと思います。
1. 列聖式とは何か?
そもそも列聖式とは何でしょう。カトリック教会では、神に全てをささげて生き、全教会に信仰の模範を示した人物に、死後、尊称を送る習慣があります。尊称には、尊者、福者、聖人と三段階ありますが、その中の最高位である聖人の列に挙げられることを列聖と言い、列聖を公に宣言するための式を列聖式と呼びます。
マザーの場合、生前から「スラム街の聖女」と呼ばれるほど聖性の誉れの高い人でしたから、あらためて聖人の称号を与える必要があるのかと思う方もいるでしょう。確かに、教会が宣言しなくても、神に全てをささげて生きた人は全て聖人で、そのことは神様がよくご存じです。ですが、教会が宣言することによって、その人物の卓越した生涯が多くの人々に知られ、信仰の模範となることには大きな意味があるように思います。聖人の称号は、本人のためというより、むしろ人々の信仰を支え、教会を正しい方向に導くためにあるのです。
2. 酷暑の中での列聖式
9月4日、ローマは朝から雲1つない晴天に恵まれました。列聖式の会場となったサンピエトロ広場は、開場の朝7時と同時にたくさんの人々で埋め尽くされました。この日、広場に集まった人の数は12万人といわれています。
式が始まった10時半までに、ローマの気温は33度に達していました。まだ夏の勢いを残した太陽がぎらぎらと照りつける広場には、ほとんど日陰がありません。式が終わったのは午後1時ですから、開場と同時に広場に入った人たちは6時間も炎天下にいたことになります。今回の列聖式は、ある意味で暑さとの戦いだったと言えるでしょう。
式の冒頭でフランシスコ教皇がマザー・テレサの列聖を宣言したとき、広場は大きな歓声と拍手で包まれました。国籍や言葉、文化が異なる12万人もの人々が、心を1つにしてマザーの生涯をたたえ、このような人物を与えてくださった神に感謝したのです。あの時の感動は、一生忘れることがないでしょう。炎天下で厚い祭服を着て、全身汗だくでしたが、心にはさわやかな聖霊の風が吹いていました。
3. 愛という行動規範
フランシスコ教皇は、列聖式の説教で、「このいつくしみの働き手が、わたしたちにとっての唯一の行動規範は無償の愛だと理解させてくれますように」とおっしゃいました。この言葉こそ、マザーの生涯を的確に要約しているとわたしは感じました。「無償の愛」が行動規範であるとはどういうことでしょう。それは、「誰かが苦しんでいるなら、放っておくことができない」ということです。苦しんでいる「神の子」を、決して見捨てることができない。自分のことは脇において、ともかくその人を助けようとする。それこそ、「無償の愛」を生きるということなのです。
マザーの生涯は、徹頭徹尾この行動規範に貫かれたものでした。18歳の時、マザーは故郷を離れ、修道女としてインドへ向かいました。それは、インドで苦しんでいる貧しい人たちの話を聞き、放っておけなかったからです。38歳の時、マザーは修道院を離れ、スラム街に入りました。それは、貧しい人々の中で苦しんでいるイエスと出会い、放っておくことができなかったからです。42歳の時、マザーは「死を待つ人の家」を開設しました。それは、道端で死にかけている人と出会い、放っておくことができなかったからです。マザーの活動は、世界中にどんどん広がっていきました。それは、世界中に苦しんでいる人たちがいることを知り、放っておくことができなかったからです。
苦しんでいる人がいたら、放っておくことはできない。それこそ、マザーが生き、証しした「神の愛」でした。この愛を、しっかり引き継ぎたいと思います。
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