和風
約250年間続いた江戸時代は、現代の日本の性格を形成する重要な時代である。鎖国の間、日本は外国との通商がなく、外の世界からは隔離された環境であった。その中で日本社会は、文化的に独自の発展を遂げた。
「和風」と呼ばれる独自の「文化的総合」が行われた。すなわち、衣、食、住、美術、音楽、舞台芸術、スポーツ(武道)、茶道、華道、磁器などの全てにおいて「日本的」なものを生み出した。つまり、生活全般にわたって、部分的でなく、ワンセットの「日本風」が存在するようになったのである。
それはまた、日本的な人間集団、共同体に独自の性格を生み出した。家族の在り方、政治、指導者の性格、習い事の集団、集団における意思決定の過程など、日本社会の特殊な性格がここに生み出された。しかも、これらの日本文化の一つ一つが世界に影響を及ぼすほどの高い文化的レベルを有するものであった。それらが安全で清潔、高い社会道徳を持つ風土を生んだのである。
オーストリアの首都ウィーンには、寿司屋が200軒あるという。日本人の経営は2軒くらいで、ほとんどがロシア人の経営で、職人はベトナム人であるという。日本食はこのように独り歩きしているのである。
米国東部で寿司屋に入ったことがある。台湾人の経営であった。お茶がまずく、ネタは多少プンと臭ったが、白人も混ざってたくさんの客が入っていた。われわれの知らないところで日本食がすでに独り歩きしているのである。
幕府は科学技術の発達を禁止した。技術的な好奇心から鎖国体制が崩れることを恐れたのである。そこで日本人の独創的なエネルギーは全て芸術、手工芸、生活文化に集中し、上質の文化を生み出した。それぞれが、世界的に影響を及ぼしているものも少なくない。このことは、後にあらためて論じる。
明治維新後に日本は、250年以上の間その開発を禁止されていた技術面を大急ぎで追い付こうとした。それで「模倣の文化」「サルマネ」などと悪口を言われた。しかし、これは鎖国時代のこのような事情のためであり、一時的な現象にすぎない。日本人はもともと独創性に富んでいる。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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