B・鎖国(2)
そこで、日本は果たして鎖国によって救われたのだろうか。そもそも植民地化と搾取を免れるために鎖国は有効だったのか、それともそんなものは、もともと不要だったのか、という質問が当然出てくる。それらに答えることなど、到底不可能であろうが、実はそれらに答えるのは日本宣教論の任務ではない。
宣教学にとっては、幕府が鎖国をもって植民地化を避けようとした、また、結果的に日本は植民地を経験しなかった、という、その2つの事実が重要である。鎖国をめぐる徳川幕府の一連の施策について論じたり、それを評価するのは恐らく宣教学の任務ではないであろう。それをやっていると、日本が西欧との関わりを絶ったこと、それにより近代化が遅れたことなどに注意が行き、ないものねだりになったりする。
鎖国によって日本文化は西欧的なものに対する親和性をますます失い、ひいてはそれが現在福音の受容を困難にさせているのは事実である。そのことにのみ意識が集中し、いたずらに日本の社会と文化の「福音に対する不毛性」を嘆くことで終わってしまう可能性がある。または日本的な体質を改善しようとする(日本から日本的なものを排除する)ことこそが宣教学の使命である、というような思考に陥ってしまう危険性がある。
鎖国は日本社会の性格を決めた。よく鎖国により日本の島国根性はさらに抜きがたいものになったともいわれる。鎖国が良かったのか、悪かったのかは、ここでは論じない。また、幕府は鎖国によって植民地化を防止しようとしたが、それが果たして有効だったのか、それとも単に壮大なるムダに過ぎなかったのか、などについても先に述べたように論じるつもりはない。
和辻哲郎は『鎖国 日本の悲劇』(筑摩書房)の一番最後に鎖国など不必要であった、鎖国はせずとも日本は植民地化を免れただろう、と言っている。かなり危ない推論のように思うがどうか。ここで和辻の判断の適否は問うつもりはない。筆者にはその資格もない。
鎖国に関する評価や、後世の学者の判断はさておいて、日本宣教学においては、3つのことを覚えておかねばならない。
1つ目は、鎖国という消極的平和政策を幕府が取ったという事実。2つ目は、それが植民地化を防ごうとしての対策であった。キリスト教国に国を奪われるとは、当時の日本にとって「明白で差し迫った危険」と認識された(その認識が正しかったか、誤謬だったかは別として)ということ。3つ目は、ともかく日本は独立を守ったが、それはアジア・アフリカ、および米大陸の有色人種(つまり全ての非白人)の歴史においては例外的とも、また奇跡ともいえる営みだったということである。
独立を保ったことによって、日本は独自の文化を持ち続けることができた。また江戸時代に、この文化はさらなる発展を遂げた。これは、アジアの一国の歴史としては大きな特権であった。この特権は、アジアでは例外的なことだった。
繰り返すと、1つは、幕府はキリスト教国による植民地化を恐怖した。また、白人キリスト教国の政策の中には、有色人種を動物のように扱って、平気で殺戮(さつりく)し、あるいは餓死させて顧みない、そのような要素があることを認識したということである。
もう1つは、日本は植民地化を免れることができた、ということを挙げることができる。鎖国が日本の独立の維持のために有効だったのか、それとも単なる愚行に過ぎなかったかは別として、日本は植民地にならず、独立を継続し得た。
豊前小倉などではキリシタン大名による仏教圧迫政策が取られており、寺院の焼き打ちや、僧や有力檀家の処刑が実行されていた(そのようにラフカディオ・ハーンは彼の『神国日本―解明への一試論』(柏倉俊三訳、東洋文庫)で言っている。出典は英語の論文であり、その向こうにあるはずの日本語の文献が何であるか明白でないが・・・)。
これらキリシタン大名による仏教徒の迫害をポルトガル王はいたく激賞、天において大きな報奨があると言ったとも、ハーンは述べている。折しもカトリックによるオランダのプロテスタントの迫害が盛んであり、この時に日本がカトリック化されれば、それは人間理性への冒瀆(ぼうとく)であったろうとも、ハーンは言う。実はこの時の日本には、しばらく不在であった宗教戦争が起こりかけていたのである。
私見であるが、織田信長の比叡山焼き打ちと秀吉の石山本願寺の破却以来、日本の社会は無神論的な世界観が根本となっていたと思われる。比叡山焼き打ちののち日本では宗教が政治を左右することはなく、日本の政治は常に宗教を道具として使用してきた。比叡山は寺領70万石、中規模の大名に匹敵した。鎖国に際して、幕府は仏教にのみ葬儀を許し、仏教以外の宗教には葬儀を許さなかった。仏教はこれにより、死後儀礼と先祖祭儀のみを執り行う宗教となった。
明治維新においては、今度は250年の間、特権の上にアグラをかいてきた仏教を捨て、復古神道を準国教として登場させて、神社神道として構成した。
この「神社神道」というのは明治政府が、この時に考案したものである。神社神道は古神道とは違う。政府は「神社神道」なるものに対する社会の不満をなだめながら妥協しつつ、この新製品を世に出したのであった。そのことについては、後に十分に紙面を取って論じる。
このように、日本の伝統は政治が宗教をいわば「小道具」として使ってきた、ということである。信長、秀吉以後の日本では、宗教は「小道具」以上の役割を与えられることはなかった。この点が他国とは違う。キリスト教、小乗仏教、イスラム教、ユダヤ教など、いずれも歴史的に宗教人が政治を左右してきている。
米国やフランスにおける「教会と国家の分離(Separation of Church and State)」とは「国家が教会の権威の下にはない」ということである。欧米では教会が政治を左右するという伝統が続いていたからである。しかし、この分離は決して政治と宗教の無縁を主張していない。また、政治行為に礼拝や神事が入ることを拒否していない。
ワシントンのナショナル・カテドラルは、英国女王を法王とする英国国教会(チャーチ・オヴ・イングランド)の会堂であり、1907年にセオドア・ルーズベルト大統領の時に、米国の国家としての礼拝堂として献堂された。米国における重要な国家の行事は、この場所における礼拝をもって行われるのである。
日本においては、既に信長以後は宗教は常に政治に従属し、宗教は政治の上に立ったことはなく、いつも政治の小道具として使われてきた。このように諸外国とは違って、政治が宗教を操ってきたのが日本である。政治は常に宗教の上位にあり、宗教戦争はなくなった。
ところが、その無神論的な伝統が崩れて、カトリックによって宗教戦争が再び始まろうとしていたのである。九州の諸侯の中にはポルトガルから最新鋭の大砲を輸入し、その戦力をもってキリスト教王国を建てようとしているものもあった。
この時の徳川幕府は、鎖国とキリスト教の禁令によって平和を守ろうとし、そのことに成功したのである。このような、いわば無神論的な政治思想が日本社会の特徴である。この伝統に従い、後に日本は世界でもただ1つ、他国に例を見ない「政教分離」という政治思想を生み出した。「政教分離」とは、政治を無神論的な観点から行う日本の伝統に立脚し、その上で日本の政治は宗教を「小道具」として使うことも禁じるものなのである。
誰もがこの「政教分離」はアメリカから来たと思っているが、そうではない。これはまさに純然たる日本的イデオロギーなのである。このイデオロギーの奇妙さに日本のキリスト教は気付いていないのである。そればかりか、この「政教分離」こそが日本宣教の基盤であると思っている。この問題については、後にあらためて整理して述べることとする。
さて、もしこの文章が政治学の研究、または社会学の研究であれば、鎖国の正当性についての追究は意味があるだろう。また、鎖国が日本人の性格に与えたもの、その得失についての論議も重要な一部分だろう。しかし宣教学においては、それらは不要である。なぜなら、それらをいくら論じても「福音宣教」にはあまり足しにならないからである。
宣教学の任務は事実関係を調べ、日本社会の性格をまず把握することである。その上で、そのような性格の社会に対して、どうやって宣教するか、その方策を考究することである。
鎖国を論じて、あの時にああすれば良かったのだとか、だから日本人はダメだとか言っても、それは愚痴にすぎない。伝道の書10章1節にあるように、愚痴は死んだ蝿であり、それが1匹入っていると香料の製造が失敗する。香料は原料となる高価な花びらなどを何十キロも混ぜ合わせて熟成する。死んだ蝿が混入していると失敗し、腐敗臭に終わる。日本伝道を論じるに当たって、そういう愚痴ッポイのを見ることがある。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
*
【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
ご注文は、全国のキリスト教書店、Amazon、または、イーグレープのホームページにて。
◇