<先住民>
マニフェスト・デスティニー(明白な使命)関連の第二の重要なポイントは先住民に対する態度である。それは強奪であり、相手の無視であり、殺戮(さつりく)と絶滅作戦であった。北米大陸にはもともとインディアンが1500万人はいたと思われる。UCLAのソーントンは多く見て1800万人と言っている。
彼らインディアンは白人によって殺され、土地を奪われ、遠隔の土地で狩猟獣などいない所を居留地として指定されて押し込められ、現在居留地には30万人ほどが居住しているのみである。
インディアンにはよく戦った部族と、あくまで平和で、争わなかった部族とがあった。インディアン問題は、土地の問題でもあった。インディアンには土地所有の概念がなく、自分たちの山と森を自由に走りまわって狩猟をするのが彼らの生活であり、土地は誰のものでもなかった。所有権という概念はなかったが、言ってみれば利用権は厳然と存在した。
白人は、そこにインディアンの知らなかった概念を持って来た。それは土地所有の概念と、所有者は排他的な利用権を持つという概念であった。そうしてつまらないオモチャや多量のウィスキーなどを見せ、これを上げようと言いながら書類を出し、首長にサインをさせた。多くの場合字を知らぬから○印か×印にすぎなかったのである。そこで首長がサインすれば、それまで部族が生きて来た山野のすべてが「購入」されたことになってしまった。ウィスキーの何ケースかで一州の大部分が「購入」されてしまったこともあった。
いったん、その書類ができると、ある日突然にインディアンは締め出され、狩猟はできず、通行も許されなくなった。インディアンはそのことが理解できず、前のように先祖代々の土地に入って来ると、たちまち「邪悪なインディアン」にされてしまった。インディアンの方では、突然立ち入り禁止にされてしまい、弓矢を持って対抗した。このようなトラブルが絶えず、そこでミシシッピ川の向こうにインディアンは全部やってしまおうということになり、彼らを中西部に迫いやる法律が次々とできた。
*セミノール族
フロリダのセミノール族はよく戦い、南部の沼沢地に立てこもって抵抗した。最後に米国陸軍が取った戦法は、畑は壊し、作物は抜き、小屋は焼き、草原に火を付け、老人も女も子どもも殺すという絶滅作戦である。こうして戦土たちは家も家族も耕地も失い、食べるものも休息の場所も失い、敗残の姿で狩り出された。最後にわずか3千人に減ってしまったセミノールは、オクラホマに追放された。米国はスペインからフロリダ州を500万ドルで買ったが、セミノール追い出しに3千万ドルを費やした。この経費に戦慄した米政府は他の部族のセミノール化を防ごうと躍起になった。
*テカムゼー
テカムゼーはショウニー族の首長であったが、フランスが中西部に植民地を作ろうとしたとき、諸部族を糾合して戦った。たまたま英国も同じ所を狙っており、英軍はテカムゼーたちを懐柔し、味方につけようとした。英国はカナダ側からフランスを攻めたが、テカムゼーの軍事能力を認めて、英国陸軍少将として待遇し、彼の率いるインディアン部隊はフランス軍を大いに悩ました。ところが、英国軍の司令官が交代し、新しい司令官はインディアンなど認めず、テカムゼーは不利な作戦を強いられ、その犠牲となり戦死した。この天才のあとを継ぐ者はなかった。
*チェロキー族
ジョージア州のチェロキーは白人文化を取り入れ、自分たちの文字を発明し、新聞を発行し、農耕と牧畜に従事しており、すでに狩猟文化は捨てて、農民として生活していた。彼らは暴力に訴えず合法的な闘争の道を取った。チェロキー国を名乗り、国会を召集し、議長を選出し、合衆国議会への請願闘争をした。
ところが、連邦議会に請願をしている最中であるのに、ジョージア州政府はそれを無視して、チェロキー宝くじを白人向けに発売した。インディアンの農地、家屋、牧場には勝手に番号を振り、「当選者」にはこれらが賞品として提供された。こうして、ある日突然当選者と称する白人が来て、インディアンは追い出される、家も畑も失ってしまうということが続出した。やがてチェロキーの全員が逮捕され、地面に杭を打って柵を作った中に家畜のように追い込まれた。
米国議会は請願闘争中であったにもかかわらず、チェロキー移住法を通過させ、全員をオクラホマに移住させた。2人に1人の割合で米陸軍が監視につき、数千人の単位の集団を作り移動させた。1300キロを2カ月半で歩かせる予定だったが、死者が続出し、結局5カ月かかった。病気になるものが続出し、全員の4分の1が死亡した。インディアンたちは全員が泣き叫びながら歩いた。日本で言えば、明治維新の直前のことである。チェロキーはこれを「涙の旅路」(トレイル・オヴ・ティアーズ)と呼び、男は一生に一度はここを旅するようにいわれているという。
(以上は、藤永茂『アメリカ・インディアン悲史』[朝日新聞社]による。著者はカナダの大学の量子化学の教授でインディアン史に興味を持ち、専門外であるがまとめて書いた、と言っている。本書は1840年の中西部移住までしか扱っていない)
いま三つの例だけを出したが、このような例は米国中に充満している。こうして1840年には先住民は全てミシシッピ以西の「中西部」に移住させられた。中西部に移住後も絶滅政策は続いた。ウーンデッド・ニーの虐殺のごとく、一村全体が突然女子どもに至るまで皆殺しにされ、穴を掘って埋められてしまう、などのことが度々起こった。19世紀前後の100年間に、インディアン人口は数百万人から数十万人に滅少した。カスター将軍をはじめ西部の英雄はみな虐殺者である。
現在、中西部のインディアン居留地に約30万人がいるのみで、自殺率、アルコール、薬物などの中毒、若年層の非行率などズバ抜けて高いという。これも神から委託されたマニフェスト・デスティニーによるので、米白人がインディアンを滅ぼし、新しい国を作るのはいわば神聖な任務なのである。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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