B アヘン戦争
英国は産業革命以後、茶葉を多量に中国から輸入するようになった。それまでは上流階級のみのものであった喫茶の習慣が、この時から労働者階級にも及ぶようになった。これは、一般の生活程度が上がったことによる。
大幅の輸入超過となり、英国はこれに支払う銀に不足した。そこでインドで栽培していたアヘンを持って来て、中国に押し付けた。これにより清国内にはもともと医薬品として輸入していた量の1万倍にも及ぶアヘンが流通するようになり、アヘン中毒患者は急速に増大し、清国陸軍は中毒者によって事実上解体寸前となった。
アヘンの半分は米国の商社が扱い、これはトルコから持って来ており、英国の商社と並んで巨額の収益をあげていた。清国はアヘンを禁止しており、たびたび抗議したが欧米側は無視した。
中国の強硬派の大臣の林則徐は、港のアヘンを押収し焼却した。それが発端で戦争となり、英国は砲艦をもって上海を砲撃し、中国は簡単に屈伏しアヘン戦争は終わった。
中国は敗戦後の処罰として、① 罰金を英国に払う。国家予算の2年分に相当する額となった。② アヘンの持ち込みを認めさせられる、③ キリスト教の宣教を許させられる。また、後のことであるが、④ 香港の99年間の無条件の使用、などの条件を呑ませられた。
長崎のオランダ人からこの事情を知り、日本には衝撃が走った。江戸ではこれに基づいてドキュメンタリー風の小説が何種類も出版され評判となり、貸本屋では長いこと順番を待たされたという。
このように欧米の毒牙がアジアに及び、中国はさまざまな懲罰的措置を欧米から受け、その懲罰の中には「キリスト教の布教を許可させられる」という項目も入っていた。キリスト教宣教の自由は麻薬と共に中国に来たのであり、中国を芯から腐敗させる麻薬と一緒に、キリスト教宣教が中国に来たことになる。
日本は自分たちの国が中国よりはるかに小さいので、まず英国は日本を侵略し、これを基地として使用して本格的な中国攻撃を行うだろうと思っていた。ところが強大な英国の軍事力は、そんなことに構わず中国に向かった。事もあろうに大国の中国は脆(もろ)くも倒れてしまった。中国の敗北が日本社会に対して与えた衝撃は計り知れなかった。
鎖国を解いた日本が直面したのは、邪悪な世であった。その元凶といえば西欧諸国であり、日本から見れば彼らの宗教であるキリスト教は悪魔的であった。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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後藤牧人(ごとう・まきと)
1933年、東京生まれ。井深記念塾ユーアイチャペル説教者を経て、町田ゴスペル・チャペル牧師。日本キリスト神学校卒、青山学院大学・神学修士(旧約学)、米フィラデルフィア・ウェストミンスター神学校ThM(新約学)。町田聖書キリスト教会牧師、アジアキリスト教コミュニケーション大学院(シンガポール)教授、聖光学院高等学校校長(福島県、キリスト教主義私立高校)などを経て現職。