E マニフェスト・デスティニー
ここで米国において広く持たれていた一つの理念を紹介せねばならない。それはマニフェスト・デスティニー(明白な命運)である。これは、別名ホワイトマンズ・バードゥン(白人の義務)とも呼ばれる。
古いヨーロッパの伝統的な社会は圧政、混乱、腐敗の極みにあった。米国は自分自身をそれらから切り離して独立し、理想の国を建て、「新世界」ができ上がった。米国は欧州における王政と貴族政治の呪詛(じゅそ)から自由であり、ジェファーソンの人権宣言にあるように「全ての人」の権利が保証される「理想の世界」のはずであった。
この新世界の実態は粗末なものであったが、あくまで建前上は「理想世界」で、人類の理想を実現したものとして米国は全世界に対して義務があり、また特権を持つのだと考えた。そのような「高貴な任務と特権」を別名マニフェスト・デスティニーと呼んだのである。
さて、マニフェスト・デスティニーとの関連で次の3点を考えたい。それらは、領土拡張、先住民の待遇、そして黒人の待遇である。
<領土拡張>
第一は領土の拡張である。初めは、合衆国は東部の13州だけであり、 東海岸沿いのヨーロッパに面した地域だけであった。米国は独立後も英国やフランスと戦い、その版図を広げ、ルイジアナの買収、オレゴンの買収などをもって領土を広げた。またその後のことであるが、ロシア領であったアラスカを購入した。
これらは全て合法的な領土獲得であるが、それとは違い合法的ではない領土拡張のケースが三つあった。
一つはテキサスの巧妙な獲得である。メキシコ共和国領のテキサスはもともと原野であり、少数のインディアンが住むのみであった。そこに1万人ほどの米国人が入植して牧畜をしていた。その米国人たちが乱暴にもテキサス共和国の独立を宣言した。メキシコ政府はこれを反乱として軍隊を送って鎮圧しようとした。ところが、その間に米国政府は、このテキサス共和国を独立国として承認してしまった!
さらに「テキサス共和国の要請」があった、ということで米国陸軍が出てメキシコ軍を追い払った。その後テキサス共和国(米国旗で星は一つ)の国会は米国との合併を請願し、米議会はそれを受諾した。
まさにシナリオ通りである。これによって米国はテキサスを獲得した。このようにして米国は一見して合法的にテキサスを隣国から奪ったが、これはずっと後にソビエト連邦が東ヨーロッパの諸国を衛星国にしたときの手法で、その元祖は米国である。
米国は人類にとって「理想世界」であるので、こういうことをしてもそれは正義である。もちろんソビエトがやれば人道上の罪である。米国には神より委託されたマニフェスト・デスティニーがある。他国の領土を米領にするのは、この委託にかなうことである。
二つ目はメキシコ戦争である。米国は新しく自領となったテキサスの国境に大軍を置いたが、メキシコ軍との摩擦が起こり、やがてそれを口実として戦争が始まった。メキシコの敗戦に終わると、賠償として国土をメキシコから取り上げた。
カリフォルニア、ネバダ、ニューメキシコなどが米領となり、テキサスの強奪とこの戦争によってメキシコは、領土の半分を奪われてしまった。
これで米国は領土を30パーセント近く増やし、長年米国の悲願であった太平洋岸への進出もカリフォルニアを得ることによってかなえられた。神に祝福されたこの国は、正義と平等と愛の国であるからこれも許されるのである!
メキシコからの領土の獲得には、米国なりの論理があった。それによれば、メキシコはなるほどスペインから独立という形はとっているが、実際はスペイン本国政府と同じような圧政的な政治を行い、米国はメキシコの人民やインディアンをそのような圧政から解放する使命がある、というものであった。
米国は「理想世界」である。高貴な使命をおびた国である。だから、誰に対しても恥じることがない。神から委託されマニフェスト・デスティニーがあるのだ。
三つ目に、ハワイ王国の併合がある。メキシコからカリフォルニアなどを奪い、念願の太平洋岸までの進出ができた米国にとって、太平洋は今や米国の海であった。
それで「自国の安全とその保証」のために、ハワイ王国を併合した。米海兵隊の数十人が、ハワイの宮殿を占領し、女王を幽閉した。その混乱の中で米国は、米国市民を保護するためと称してハワイに軍隊を送った。そうこうしているうちに、米議会はハワイの併合を決議してしまった。
ハワイ女王は何度も米国議会に抗議をしたが、何らの結果も生まなかった。米国領となったハワイでは、直ちに学校教育が英語で行われるようになり、ハワイ語は禁止され、現在ではハワイ語を話して生活している者は事実上いない。
もちろん太平洋は米国の海であり、太平洋が安全であることは米国のために重要である。弱小の島国が存在しておれば、いつ他国がこれを占領するかもしれない。それは米国の安全を脅かす。
太平洋には、そのような弱小の島嶼(とうしょ)国家があってはならないのである。これはナチスが考えたレーベンスラウム(ドイツの生存のために必要な空間)と類似の思考である。
このようにマニフェスト・デスティニーを有する米国は、自国の領土を拡張する権利を神から与えられているのである。
なおこの時ハワイは、日本に助けを求め、日本は巡洋艦の浪速(なにわ)、高千穂(たかちほ)を送った。名目は混乱の中で日本移民を保護するというものである。
しかし、やがて日本はこれらの軍艦を引き揚げ、ハワイヘの深入りを避けた。ハワイは自衛のため、カイウラニ王女と東伏見宮依仁(ひがしふしみのみや・よりひと)親王との結婚を打診してきたが、これも実現しなかった。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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