<パイオニア精神>
米国には「西部開拓者魂」というような神話があるが、全て肥沃な土地をインディアンからただで強奪したのである。これほど甘やかされ、恵まれた「開拓」は世界でも他にない。白人の農民はしばしばただ申請するだけで数千エーカーの土地を与えられた(1エーカーは約1200坪)。
このかなり甘やかされた「開拓経験」は、米国の国民的性格を作った。良い意味では過去にとらわれず、新しいことに挑戦するので、それは多くの発明と先端的な技術を生んだ。しかし、悪い意味では「甘やかされた開拓経験」の結果として物の見方が甘く、逆境に弱く、やたらに攻撃的で、何でも他人のせいにする国民性を作った。
一般に米国人は逃避的であり「打たれ弱」い。苦境に対抗する訓練が欠けており、すぐアルコール依存、薬物依存などに走り、粘りがなく、自暴自棄になりやすい。浮浪者は国中に充満し、社会の負荷となるべき犯罪者層が非常に厚い。
日本では、罪を犯して服役中の者は5万人、米国のそれは180万人である(1999年10月の朝日新聞)。
しかも、刑務所が満杯で定員の2、3倍も詰め込んでいるが、スペースが足りない。それでドンドン仮出所させる。あとは野放しである。単純に言うと、犯罪者の数が日本の20~40倍である。
学校では子どもに積極性を与えるために褒めまくり教育をやる。ところが学校を出ると誰も褒めてくれない。当然である、社会は甘くない。それですぐ落ち込み、非行や薬物依存に走る。鍛えられてないのである。
日本には受験戦争があるが、これが若者の人生に教えるものは大きい。小さな挫折は良い訓練である。米国人はどうも、わずかな例外を除いて地味な努力ができないように見える。
ノーベル賞を取るには、米国以外の国で生まれ、米国以外で初等・中等教育を受け、研究者として初めて米国の大学に来る、という経歴でないと取れないという話がある。
デイビッド・ハルバースタムの『ベスト&ブライテスト』にあるが、ベトナム戦の最中に現地の総司令官や大使が現実的な報告を出すとワシントンでは評価が低く、更迭になる。「悲観的である、米国的でない」というのがその理由である。それではというので「米国的な楽観主義」に満ちた人物が新たに派遣される。
米国は苦労しなくても勝利できるはずで、悲観的な態度は「正しい米国精神」を持っていないところから出ているからである。ところが 現地に着任した司令官からは、じきに現実的な、つまり楽観的でない報告が出てくる。するとまたクビになる。そういうことが繰り返されているうちに、ベトナム戦争がドロ沼に落ち込んで行く、その過程を彼は残酷なまで克明に、突き放して描いている。
また米国人は何ごとにも負けず、タフで挫けない開拓者魂を持っている。いつも積極的で陽気に振る舞って前進するという神話がある。そういう「気分」と「演技」だけは米国の文化の中に満ちている。だから、米国人というのは人前ではコボしたり、ボヤいたりしてはならないことになっている。
ただ、カントリー・ミュージックだけは例外で、カントリーには「泣きとボヤキ」が充満している。米国の民衆の本音がここにある。それが分かるまで、筆者はあの音楽のどこがいったい良いのだろうと長いこと疑問であった。米国でカントリーに根強い人気がある理由がうなずけるというものである。
長年フランク・シナトラは人気投票で、ロイ・エイカフを越えられなかったといわれる。同じことはピーナッツの主人公のあの寂しい、当惑したような表情にもいえる。陽気な米国人が何であんな表情のマンガが好きなのだろうと不審であったが、あれが、米国人がひたすら隠している心情なのだと気付かされた。
実はカントリーが分かるまでは、日本では演歌など「泣き歌」が多いのに、米国には「泣き歌」はないらしい、不思議なことだ、と思っていた。
カントリーが分かるようになって日本の歌謡曲を聞くと、こちらの方がはるかに楽観的である。美空ひばりや村田英雄の「根性」ものは、頑張れば必ず道は開ける、というテーマを歌い絶大な人気がある。そうでなくてもそう信じていこう、そうすれば道は開ける、大切なのは根性だということである。そういう歌を愛好する社会は、かなり健康であるに違いない。
米国のポピュラーには「根性」ものはないようである。ジャニス・ジョプリンの呻きなども70年代の初めに米国のラジオで聞いたとき、一部のイカれた学生が愛好しているが、これはいったい歌なのか、などと思ったが、そうでなくベトナム戦末期の陰鬱(いんうつ)な米社会の全体の嘆き声であったことを今にして思うのである。
さて、本題に戻ると、マニフェスト・デスティニーの概念は、ヨーロッパからの独立と新世界の建設の使命という概念を含んでいる。ヨーロッパからの独立は光の面である。問題は陰の部分、すなわち新世界の先住の住民に対する態度である。それはヨーロッパ的な態度より改善されず、むしろ旧世界より極端に悪化した。
欧州と違う点は、「新世界」には自分の生活空間のただ中に先住民族、また奴隷の黒人たちを抱えていたということである。そこで行われた数々の残虐行為、また殺戮(さつりく)などはマニフェスト・デスティニーの概念と直接に関連を持っているのだろうか。この関連は米大陸の中だけを見ていると十分には分からない。しかし、フィリピン戦争と重ねて見るときに明らかになってくる。
フィリピン戦争はマニフェスト・デスティニーの暗闇の側を見せてくれる。この戦いはそれまでカトリックの圧政のもとで苦しんでいたフィリピン社会に「米国の社会が持っている博愛と公正と善意に基づいた政治」を与えるはずのものであった。
しかし「アジアでも最も悪質な、脳ミソのないサル」であるフィリピン人はこれを理解しない。訳が分からずに、ただキバを剥き出して反抗している様子は、まさにグーグーと同じであり、同じような扱いをしてしかるべきなのであった(Miller, “Benevolent Assimilation” Yale Uuniv. Press, 1982)。
フィリピンで米陸軍が行ったことは、要するに本国でやっていたインディアンの殺戮と同じだったにすぎない。フィリピン戦の初期においては米海兵隊が殺戮になじまず、戦況は膠着(こうちゃく)状態で進展がなかった。
海軍ではダメだというので、米陸軍騎兵隊が送り込まれた。こちらの方は米国の中西部でインディアン狩りを専門にやってきた精強(?)の部隊で、弱者を消すのに慣れており、山刀しか持たないフィリピン人を手慣れた手法で殺戮した。
一つの地方の畑と家屋が全て焼き払われ、フィリピン・ゲリラが食料を得たり、宿泊できないようにした。住民は、夜間は鉄条網の中に追い込まれ、 その施設の外にいる者は射殺された。これら「戦略村」の中にいるのは良民で、その外にいる者はみな悪者でグークである。そういう非常に分かりやすい論理でことが運ばれた。
なお、マニフェスト・デスティニーについての研究書は日本では金沢大学の山岸義夫教授の『アメリカ膨張主義の展開』(勁草書房、1995年)があるのみである。教授はその中でマニフェスト・デスティニーといっても日本では誰も何のことか分からないので米国膨張主義とした、と言っている。なお、山岸教授の本はメキシコ戦争までを詳しく扱っている。それ以後は扱っておらず、ハワイの強奪とフィリピン戦争は入っていない。
英語の書物にもマニフェスト・デスティニーについてのものは極めて少ない。山岸教授の文献表で見ても少ない。これは、米国精神史の汚点であり、恥部であり、好んでそういうことを取り上げようとする書物は少ないのだろう。ハワード・ジンの米国史は、フィリピン戦争がマニフェスト・デスティニーの現れの一つであるとして述べているが、扱いが短く数行の叙述のみ。ミラーのフィリピン戦争論にもわずか一行だけマニフェスト・デスティニーとの関連が述べてある。
2003年6月の朝日新聞に「米国政治と宗教」という記事で恵泉女学園大学の蓮見博昭教授がネオコンとの関連でマニフェスト・デスティニーを短く紹介し、訳語として「明白な使命」としており、内容的にはこの方が分かりやすい。
この語はテキサス併合時(1845年)のニューヨーク・モーニング・ニューズ紙の記事に「米国の領土拡張は神によって与えられた明白な使命」という主張があり、それが初出とのことである。この語と、その概念が新聞などで一般の日本人の目に触れたのは、朝日新聞のこの記事が初めてではないかと思う。
余談であるが、パレスチナ問題もインディアンの土地問題と似たところがある。アラブやベドウィンの羊飼いたちは、何百年も原野を自由に放牧してきた。なるほど形式的には土地は土候の所有であるが、草もロクに生えぬ半砂漠地帯で税金もなく、区画もなく、ずっと自由に使ってきた。所有権はないが、日本的に言えば入会権があった。
ユダヤ人のキブツがアラブやトルコの土候からその土地を買って、耕作を始めたのであるが、それは土地のアラブ民にとっては、自分たちが何百年も自由に使っていたところを、突然ユダヤ人から締め出しを食ったということであった。
こうして1930年代の初期のキブツから絶えずアラブによる妨害、攻撃、殺害、復讐が絶えなかった。つまり、どちらにとっても理解できないことが起こっていたのであって、その意味ではイスラエル人もアラブ側もどちらも被害者だったのである。
入会権(領主の山の制限された利用権で、例えば木を切り倒してはならないが、下枝や落ち葉をとって薪にするのはよい、というような)というと、慣習の尊重で、契約概念とはそぐわぬもの、などと思っていたが、パレスチナ問題ももし当事者がその概念を適用すれば少しは違っていたかもしれないような気がする。英国にもコモンズという入会地の制度があるようである。
マニフェスト ・ デスティニーの第3として挙げるのは黒人問題であるが、これは大きな問題を含むので、別に4章で独立して論じることにする。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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