G リンチ慣習法の禁止
ベトナム戦争の最中、ジョンソン大統領が公民権法案に署名をし、この時、公民権に関わる数々の法律が発効した。これは日本では「人種差別の撤廃」の法律であって、黒人も投票権を与えられ、食堂やバスで座席の差別がなくなったくらいに理解されているが、そんな生易しいものではない。
この時初めて、リンチが禁止になったのである。リンチとは独立戦争の時にバージニア州の保安官であったウィリアム・リンチが英国側に通じている者を通敵罪の現行犯として逮捕し、裁判によらず、その場で銃殺したところから来ている。
米国では数百年にわたって南部で不穏な黒人がいれば、これをリンチしてきた。不穏といってもリーダー的な能力があると思われる黒人や、仲間をまとめる力があると思われる人物がいると、皆でよってたかって殺してしまうのである。「イヤらしい目付きで白人の女を見た」というような噂(うわさ)だけで十分にリンチの理由となった。
町中が集まり、その黒人を捕らえ、殴り、縛り、ロープの端を車のバンパーに結び、町中を引きずり回す。瀕死の状態の黒人は最後に灯油をかけて焼き殺すか、首にロープを巻き、木に吊るして絞首する。町中の者が出てきて見物する。木からブラ下がった死骸と一緒に無邪気に記念写真を取り、写真屋はそれを絵ハガキにして町で売った。
リンチが終わると、人々は家庭に帰り、良き市民、父親、母親、教会の役員などに戻り、日曜には教会の礼拝に出た。これは米国南部の社会の「安全装置」、かつ必要悪であった。これがなくては睨(にら)みが利かず、社会の秩序と平和は保てなかった。これによって黒人を抑えられ、白人は安心して夜は眠れたのであった。
不必要であると思うが、念のために付け加える。リンチとはイジメのことではない。法権力を持たない者による処刑のことである。日本にはそんな習慣がないので、「イジメ」と表現するために「リンチ」をよく使う。それで死んでしまったときには「リンチ殺人」などと使う。これは日本的な誤用である。米国のリンチとは、民衆による処刑のことである。
ナチス・ドイツは特別な犯罪集団だった。しかし、米国南部の地方都市でリンチに参加したのは、極く普通の市民たちだった。だから、余計に恐ろしいのである。リンチで殺された者はたぶん10万人くらいという数字を見たことがある。リンチは慣習法であって、これまでにリンチの首謀者も、参加者も検挙されたことはなく、告発された者はおらず、まして有罪になった者はいなかった。
米国の国会ではリンチ禁止の法案が幾度も出たが、そんなものが通ると社会の秩序が維持できない、と常に否決されてきた。黒人を殺すと罪になったのは、1964年の公民権法が成立したときからである。それまでは米国では黒人を殺しても、罪ではなかった。正確に言えば、みんなで殺せば罪ではなかったのである。
20世紀後半になってからは、公然たるリンチはほとんど姿を消した。しかし、多くの未解決の黒人殺害事件が、白人犯人が逮捕されても、白人の陪審によって無罪とされる例が多いのが現実であった。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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