36年前の1980年、23歳の私は大きな期待を持ちながらトヨタ自動車(株)に入社した。技術職として採用された私だったが、新入社員には特別な教育期間が設定されていて、工場や販売店での実習が数カ月続くことになった。
初めての工場勤務での体験は大変衝撃的であった。機械工場や組み立て工場など幾つかの工場を体験したが、体を張って行う仕事は大変厳しいものだった。あまりの厳しさのため、入社早々諦めて故郷に帰る者もいた。
しかし、工場勤務の厳しさ以上に衝撃的だったのは、工場のモラルの高さである。至る所に品質向上のための指標が張られ、作業工程の中には、良い仕事をするための工夫が実に数多く存在した。
さらに、班長、組長といった現場責任者の働きぶりは、見事というしかなかった。休憩時間には、実習で送られてきた私を気遣い、何度も励ましてくれたのを覚えている。数カ月で実習を終える私と違い、彼らは世界一の工場で生涯身を削って働くことに誇りを持っていた。
私は、トヨタ自動車の基盤がこのような現場の人々によって支えられていることを強く実感したが、同時にここまで献身的に仕事をさせてしまう会社組織の在り方に恐ろしさを感じ、将来に不安を抱いたのも事実だった。
それから30年ほどの歳月が流れ、その間多くの模範的な企業戦士に育てられた私は、技術開発分野の中で、ある程度の責任を持つ立場になっていた。責任の大きさに潰されそうになりながら、逃げることなく日々の業務に向かう自分がいた。世界一の技術開発を担う誇りも持てるようになっていた。
しかし、ここまでの道のりは大変険しかった。人生の大半の時間を会社の仕事に費やさなければならない立場の中で、家庭や教会の働きに心を向けることは至難の業だった。全ての領域で不十分な歩みだったが、神様の特別な守りと祝福があったことを感謝している。
かつて日本の近代化は家内工業とも呼ばれる家族を中心とした働き手で開始された。家庭と職場が同じ共同体に属していた。やがて生産性向上を目指して工場が建てられると、夫が工場で働き、妻が家庭を守る分業体制となっていった。日本独特の職場という共同体が家庭とは別に構成されていった。
この職場は本来、経営者と従業員が仕事を媒介として契約関係を結ぶことによって生じるものだが、日本の職場における経営者と従業員は、欧米社会にはない強い人間関係でつながっている。経営者は仕事を抱えるというよりも、従業員を家族のように抱え込むことになる。
このような傾向は、大企業になるほど顕著に見られ、トヨタ自動車においても家族的な共同体意識は極めて高く維持されている。ほとんどの社員は、トヨタの一員であることを大きな誇りとしている。
単純作業を繰り返すだけの社員であっても、トヨタで働くことには大きな意味がある。安全基準や品質基準は独自に高く定められ、業務の効率化を阻むことも多いが、表立って反対する者はなく、むしろ基準の高さを誇りとする者が多い。困難な状況下でも何とか工夫して仕事をこなそうとする態度がほとんどの人に見られる。
個人の意見は尊重され、常に議論の対象になるが、採用されるのは上司の意見である。ストレスがたまり、つぶやく者も多いが、表立って言う者は少ない。ただし上司は、会社役員たちや外部組織との調整が求められ、特異な考えが通ることは滅多になく、常識的な判断が時間をかけて実行されることになる。
部下もそのことはよく理解しているので、自分の意見を無理に通そうとする者は滅多にいない。むしろ、自分を抑え、上司の考えの足りなさを補おうと努力する。自分の意見よりも、トヨタらしくあることが最も良いと考える全体の考え方が、じっくりと進むべき方向を決めていくため、決め事は遅いが、動き出すと非常に力強い動きとなる。
このような誇り高い共同体の一員であるために、各人は自分自身を抑え、相当のストレスをため込んでいるのが現実である。しかし、彼らの希望はその共同体につながっていることであり、通常はそこから切り離されることを望んでいない。職場は、彼らにとっては大切なかけがえのない「場」なのだ。
日本の企業を支える人々は、同じような環境にある。結果として日本の生み出す製品の品質は高く、サービスのきめ細やかさは世界一である。しかも、彼らはその企業共同体とは別に、それぞれが家庭という大切な共同体を持っている。長時間労働を強いられるため、家庭にいる時間が少ない中でも、それぞれが妻や子どもたちに対して相当の気遣いをしながら、精いっぱいの努力をしている。
いまだ家庭や職場といった共同体における責任を担っていない者はともかく、家庭や職場を支え、そして日本を支えているこのような人々に対し、教会は自らの共同体への参加を呼び掛ける宣教を繰り返している。
「welcome home!」と教会に掲げられる言葉は優しい言葉である。一度は訪ねてみたいと思う。しかし、共同体の中には必然的に共同体を支える気遣いと苦労があることを十分知っている人々にとっては、敷居の高さを感じる言葉なのかもしれない。
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