―佐藤さんの論文や研究の中心には「死者」があると感じます。例えば、生きている人間が「死者の声を代弁」することが「死者の最後に残された権利をはく奪する」と厳しく批判されていたことが印象に残っています。「死者の暗い記憶」をアカデミズムとして研究するというスタンスは、とてもユニークだと感じるのですが。
民俗学ではそういう死者が存在するという研究はたくさんあるけれど、そこから「思想的課題」を引き出そうというのはとても少ない。むしろ文学や神話学の研究に近いのかもしれません。
ただし、それのようなやり方は「パトス(情念)」という側面を重視するような思想になる。パトスだけというのは、思想の主題としては極めて危ういところもあるわけです。それでも、人間を「パトス的存在」として捉えなければというのも、近年の研究の傾向です。
人間は理性だけでは割り切れないし、「情念(パトス)」が連帯や共感を可能にしているのも確かなわけです。倫理学では、伝統的には「共感」や「思いやり」「同情」という概念は「頼りにならない」として評価されてこなかった。でも果たして「感情・情念」抜きで人間を考えることができるのでしょうか。むしろ人は「感情・情念」によって緩やかにつながっているのが自然です。
ならば「思いやり」や「親切」をもっと評価してもいいのではないか。カントは、いいことをすべきというのを「完全義務」と呼び、「思いやり」や「友情」は「不完全義務」と書いていますが、そのような「不完全義務」も大事なのではないかということが、近年アカデミズムでも議論されるようになってきています。そこからは「倫理」や「義務」でなく人がつながっていくかという課題にもつながっていくわけですね。
―「死者の記憶」というところが佐藤さんの思想の根幹にあると思います。なぜそこにこだわられるのでしょうか。なにか原点があるのですか。
原点・・・原点は何でしょうね(笑)。思い出してみると、高校までは全然宗教には興味がありませんでした。それで京都大学に入って考古学研究会に入りました。京都は至る所に遺跡があるから楽しくて、中世、近世のお墓を調査したことがあります。
今の苔寺のほうの裏山の藪を歩いていると、黒い土が斜面にざーっと流れているところがあって、よく見ると近世の遺物が流れている場所でした。よくよく見ると、白い骨みたいなものがたくさん落ちていた。どうやらそこは、遺灰を捨てていた場所だったようです。まるでごみを捨てるように、そこには散らばっていた。その光景に衝撃を受けて、イメージとして強く残っています。
私たちは普通、死者たちはお墓に埋まっていると思っている。でもそれ以外にも「至る所で人は死んできたんだ」と気付かされた。僕たちは今「死」というものを特別視しがちですが、あの光景を思い出して「死」は至る所にあると考えるようになりました。
その後、宗教哲学を研究するようになって、「他者」としての「死者」を特権視する議論への違和感を感じるようになりました。あの山を思い出すと、特別も何も、人は至る所で死んでいて、その「痕跡」を至る所に残しているではないか。あらゆる山や野で人は生きて亡くなっていったのではないか。全ての人は死者になる、その中である死者だけを特別扱いするのは違うのではないかと思い、いろんな死者を考えることが自分の中で自然な振る舞いになってきたような気がします。
「死者たちは平和を願っている」などと言ってしまいがちだけれども、死者にもいろいろいるはずだと思うのです。死者にも、良い人、悪い人がいるはずです。そういう“死者の個別性・多様性”が大事なのではないかと思い始めたきっかけはその体験だったと思います。
―私は新卒で長崎の職場で働いていて、浦上天主堂のすぐ裏に住んでいました。夜中家に帰るとき、何か「怖い」という感覚がいつもありました。だって舗装されている道路を掘ったら、原爆で亡くなった方の骨が埋まっているはずで、皮膚感覚で「なんとなく怖いなぁ」と感じていたという経験がありました。だからそのお話はとても分かります。
霊魂観というほど大げさな思想ではなくて、皮膚感覚ですよね。例えば宗教学では「怪談話」の研究があります。太平洋戦争に関しては70年代までは、復員兵の幽霊などの話が平和教育と絡みながら結構あったけれど、原爆に関してはあまりありません。
怪談はある意味で死者を「分かるもの」にするわけです。でも原爆で大量の人々が苦しんで亡くなったということは、分かることができない、数としても質としても人間の想像のキャパシティーを超えた部分があるのかもしれない。原爆の場合、死者は「痕跡」としてはたくさん残るけれど、それをストーリー仕立てで理解することに抵抗を覚えるほどのものなのだと思います。
―例えば、ちょっと懐かしいアニメ「日本むかし話」とかを見ると、怖い話が結構あって、大人になった今見なおしても圧倒的に怖いものがあります。それは、理解すらできない圧倒的な不条理で、それがすごく怖い。そのような物語が「昔話」として受け継がれてきたこと自体が、何らかの人々の知恵が詰まっているのかなと思います。
そうでしょうね。もともと私はプロテスタント思想家のポール・リクール研究から始めたのがあって、プロテスタンティズムの「謙虚さ」というものが、人が倫理的に生きる上で大事なのではないかと思っているところがあるのかもしれません。知りえない・分からないことを認める「謙虚さ」というのは、それはそれで、死者を尊重する1つの態度じゃないかとも思うんです。つまり“謙虚さ”を、生きる者に限定しないという意味においてです。パウロが「思いあがらない」と書いているように、自分の知にはしょせん限界があるということです。それは、死者にも当てはまるのだと私は思うのです。
ポール・リクールもまさにそうで、「絶対知の高みにあがってはいけない」「分からないものは分からない」という哲学者です。その思想が自分の中にインストールされていて、もしかすると、それを都合よく死者論に転用しているのかもしれません(笑)。
でも「うぬぼれない」「思い高ぶるな」というのは旧約聖書のヨブ記だってそうです。神に答えを求めるな、分かろうとするなと書いてあるわけですから。
―佐藤さんはキリスト教の洗礼は受けていらっしゃらないですよね。
教会に行ってみたことはあるんですが洗礼は受けてないんです。雰囲気が合わなかったというか(笑)、まじめな話をすると「復活」の意味が分からないです。キリスト教の根本思想の中で、生き方を問う部分は分かるけれど、それをなぜ神様に基礎づけてドグマ(教義)にしなければならないのかが分からない。だから「信じる」ことはできない。
でも、思想としては興味を持って、哲学をやるからには源流からやりたくて、ならばギリシャ哲学とキリスト教だという興味から京都大学のキリスト教学科に入って、博士課程まではキリスト教研究者としてやってきました。
そして『ポール・リクール哲学におけるキリスト教思想研究』というテーマで博士論文を書きました。でも信徒ではないから、コミットできないのにそれをやるのはつらかったです(笑)。博士課程が終わるぐらいに、キリスト教云々ではなく、僕たちが持っている宗教的なものを論じる宗教哲学があることに目覚めて研究をするようになってからは、楽しくなりました。
もともと京大には「宗教を語らない宗教哲学」という伝統があるけれど、学生の頃はそれも、僕には意味がよく分からなかった。宗教は人間にみんな共通する「人間の精神の深み」「価値としては高いもので深いもの」と当たり前のように教室では語られていた。でも私はそれにピンとこなかったのです。なぜ「深み」が宗教なのかということを当たり前のように語るのか、よく分からなかった。
私が大学に入学したのは1995年4月で、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた直後でした。そのころは自分自身も「宗教は怖い」という感覚があり、宗教とどういう距離を持っていいか分からなかったのです。当時、多くの伝統宗教は「オウムと私たちは違う」というスタンスでしたけれど、それもうさんくさいと思っていました。その後、テレビで細木数子が出てきたりして「癒やし」「スピリチュアルブーム」が一番盛んになって、「宗教っぽいもの」をみんな求めていた時代でもありました。その後2000年代になって、自分がようやく宗教というものに立って適切なポジションをとれるようになってきた気がします。
―なぜ“適切なポジション”がとれるようになってきたのですか。
宗教という概念そのものがいろいろあり得るということが、自分の中で分かるようになってきた。「オウムが宗教か」どうかという議論は、悪く言えば学者がつくってきたもので、そもそも「宗教とはこういうもの」という議論をやらなくていいし、むしろ危険なのだという共通理解ができていった。
アカデミズムでも90年代以降の宗教本質論批判の中で、それがやっと自由に語れるようになった。「宗教概念」を問い直し「宗教の本質など言えない」とする議論を東京大学関係の研究者の方々が精力的に紹介・吟味していくなかで、「宗教という概念を広げていこう」という議論が広まった時期でした。悪とか救いとか宗教的なものとして語られてきたものをきちんと論じようという研究も増えていきました。今では宗教本質論批判なんて誰もが言うことですけれども。
―1つパラダイムが変わったのですね。それはなぜなのでしょう。
英語圏では80年代にそのような議論があって、輸入されたことがあると思います。それまで「宗教は内面の体験である」というプロテスタント由来の定義があり、それが当然と思われていた。しかし、80年代からのイスラーム復興運動の高まりや移民の増加、そして世界がグローバル化する中で、どこかイスラームは劣った宗教であるというような欧米由来の偏見に対する、見直しがアカデミズムでも始まってきたわけです。
例えば今では「イスラム教」とはいわず「イスラーム」と言います。イスラームは法律や生活と不可分だから「イスラム教」と呼ぶのはおかしいという理解が進んだからですが、逆に言えば、そこには「宗教は内面のものである」というプロテスタント由来の前提があったわけです。それが見直されざるを得なくなってきた。
もう1つは冷戦の崩壊です。もはや第三勢力としてのイスラームを無視できなくなってきた、そういうアカデミズムの大きな潮流の変化があると思います。
―南山大学はカトリックのミッション系の大学で大学生を教えていらっしゃる。そこでのやりづらさのようなものはないのでしょうか。
やりづらさはないですね。普段は主に宗教論とか全学共通の科目を担当していますが、教えているのもキリスト教学科以外の学生さんがほとんどで、彼らは宗教を信じていません。そこで“私は信じていない”という立場から「皆さん宗教なんかうさんくさいし、学ぶ意味はないと思っているでしょ?でも宗教的なものは皆さんも幾らでも触れているし、持っているんですよ」というスタンスで授業をします。
―例えばどんな授業を?
オバマ来日の時は「原爆と宗教」というテーマの授業をしました。あとは、例えばキルケゴールのイサク奉献批判と浄土真宗の開祖親鸞の言葉とされるものがまとめられている『歎異抄』、それにオウム真理教事件の林郁夫の手記を並べて読んで、学生に考えてもらいます。
キルケゴールはイサク奉献を論じながら、「信仰は倫理的なものを一般的に停止することだ」と書いています。信仰という神との個人的で特別な関係のために、倫理という一般的なものを切断せざるを得ない、ということです。
『歎異抄』にも、親鸞と弟子の唯円の問答に、親鸞が「そなたは聖人の言うことを信じるか」と言われたので「はい」と答えたところ、「では、人を千人殺してみないか。そうすれば浄土に往生できる」と重ねて問われた。そこで自分(唯円)は「千人はおろか1人も殺せません」と答えたところ、親鸞から戒められたというエピソードがあります。
これはある意味、旧約のイサク奉献の物語や、オウム真理教の林郁夫が地下鉄サリンで教祖麻原彰晃から迫られたことと同じともいえる。日常的に大事だと思っているものを、ある目的のために停止するということは「君たちもそういうことがあるかもしれないよ?」という形で、学生に問い掛けてみます。
―すごくユニークな授業ですね(笑)。でもそういう問い掛けをすると学生も「怖くて」「遠い」宗教ではなく、自分のものとして考えるきっかけになるでしょうね。
一方で、こういう議論をすると、「それは宗教をあまりに一般化し、普遍的な主題に落とし込むことで、宗教の大事な部分をそぎ落としているのではないか?」と批判されることもあります。でも宗教の「宗教らしいこと」を取り出して、「宗教ってほらこんなにエキセントリックで未知の世界ですよ?」と示すことが宗教を神秘化してきたのではないでしょうか。
そのような「宗教の“深み”だけに終始する」という態度が、宗教を過度に「特殊なもの」にさせてきてしまっているのではないでしょうか。宗教の中には独自のロジックがあります。それを取り出して理解することは大事です。でも、それだけに終始するのはどうか。学生が生きていく上でアクチュアルなものとして議論してみる。そういう誰もやらないことを宗教哲学がやってもいいのではないか、と考えています。いわば「凡人による凡人のための宗教哲学」です。
―なるほど。でもお話しうかがっていると佐藤先生の議論はユニークであまり「凡人」とは言えないと思いますけれど(笑)
(笑)でも講義を聞いた学生さんが、私たちを取り巻く現代社会や倫理を考え直す可能性を学んでくれたり、8月6日や9日、あるいは終戦記念日に、戦争死者のことを考える想像力をわずかばかりでも広げることができたら、それだけでもキリスト教主義の大学において宗教教育をする意味があるのではないかと信じています。
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佐藤啓介(さとう・けいすけ):1976年青森県生まれ。京都大学大学院文学博士後期課程学修認定退学。博士(文学)。聖学院大学を経て、南山大学人文学部准教授。専門は現代ヨーロッパの宗教哲学・宗教思想。研究テーマは悪、苦しみ、死者など。『スピリチュアリティの宗教史(上)』(共著、リトン)、『愛・性・家族の哲学第1巻 愛』(共著、ナカニシヤ出版)など。