明治学院大学キリスト教研究所(東京都港区)は23日、宣教師研究プロジェクト公開研究会を開催した。北陸学院大学教授の辻直人氏が、今年3月に発見されたばかりの成瀬仁蔵(1858~1919)に関する新史料を用いて、「成瀬仁蔵の帰一思想―その生成過程及び帰一協会との関わり―」と題して研究発表を行った。学外からの参加者も含め11人が参加した。
今回、辻氏が発見した史料は、日本女子大学(当時・日本女子大学校)の創設者として知られる成瀬が、米シカゴ大学のアーネスト・D・バートン教授(新約聖書学)へ書き送った10ページにわたる直筆の書簡など、成瀬が中心となって設立した「帰一協会」に関するものだ。教育史を専門とする辻氏が、在米日本人学生の研究を調査する目的で訪れたシカゴ大学図書館の資料室で、何気なく手にしたファイルの中で見つけた。帰国後これらの史料について、成瀬に関する論文を発表している関東学院大学教授の影山礼子氏に伝えたところ、大発見であることが分かったという。
一方、ちょうどその頃、渋沢栄一記念財団が帰一協会について研究しており、そこに影山氏に代わって辻氏が参加することになった。辻氏は帰一協会について研究テーマとしてこなかったが、この書簡を手にしたことにより、これまでとは違う新たなテーマに足を踏み入れることになった。「これは偶然なのか、キリスト教的に言えば摂理というのか。ある意味、史料が呼んでいて、出会うべき史料に出会ったという感じを受けた」と、不思議な導きを感じた体験を語った。
新しく見つかった史料を分類すると、「シカゴ大学バートン教授との往復書簡(1909~13年)」「新聞切り抜き」「帰一協会趣意書(英文)」「米国帰一協会関係」「バートン教授と各大学との往復書簡」の5つになる。
辻氏は新史料から発見したこととして、▽1911年夏に成瀬が渋沢栄一らに提起した「concordia(帰一)」の構想は、1909年の書簡の中に帰一思想と関係のある内容が書いてあることから、成瀬は帰一思想をもっと早い時期から抱いていた、▽欧米知識人に帰一協会の趣旨を共感してもらい、連帯して活動することを模索した1912年8月~13年3月の欧米訪問について、これまでは米東海岸とのつながりが強調されてきたが、実際にはシカゴ大学のバートン教授にも協力を依頼しており、バートン教授が「米国帰一協会」の設立に大きな役割を果たした、▽バートン教授が米東海岸の知識人に成瀬の活動を紹介し、1912年11月30日に設立された「米国帰一協会」の評議員・会員にもバートンの紹介した知識人が多く含まれている――などを伝えた。
実はバートン教授は、1909年に日本女子大学校の夏の修養会で講演し、成瀬と直接会っている。また、その直後成瀬はバートン教授に送った書簡の中で、帰一思想の原点と考えられる「夢と展望」を10年以上温めてきたことを書き記している。辻氏は、これらの発見を通して、成瀬の帰一思想の生成過程を明らかにした。
帰一思想とは、「個人も社会も国家も宇宙も、全てが調和して統一していく」という思想。辻氏は、「日本女子大学校設立の頃から思い描いており、それが徐々に鮮明となり、1909年にバートン教授と対談したことが大きな影響を及ぼしたことが、今回の史料で判明した」と話した。また、男子も女子も人格者として対等に教育を受けるべきと考えていた成瀬にとって、女子高等教育が帰一思想を具現化するための第一歩であったと語った。
今回の史料は、米国帰一協会の形成についても明らかにした。辻氏は、バートン教授に宛てた1912年の書簡からは、成瀬の熱意と迫力が伝わり、実に興味深いと話す。そこには、バートン教授に面会し、帰一協会に関する計画と理念について意見をもらいたいと書かれている。
さらに、成瀬は当時の日本の状況について、「霊的な問題を熟慮しつつも、統一した動きを実現していない」と分析し、「しかし、幾つかの信仰や風潮が一致や協力をする兆候を見せており、あらゆる国民の運命として自意識が1つにまとまっていく」と記しているという。
その書簡に対してバートン教授は、「提案された帰一協会はとても興味がある」と応じ、成瀬が米国を離れる前に一度会いたいと、1912年9月26日付で返事を送っている。その後、バートン教授は、クラーク、ニューヨーク、コロンビア、イェールの各大学やユニオン神学校などの教授に宛てて、「成瀬という日本人がいるので、今調べていることに協力してほしい」といった内容の書簡を送っている。
これらの書簡も今回発見された。なお、米国帰一協会の名簿には、評議員30人、会員112人が名を連ね、そのうちバートン教授が連絡をした人物から5人の名が含まれているという。
辻氏は、史料で明らかになったことを話した後、成瀬がどこで帰一思想の発想を得たのかを考察した。「キリスト教的人類愛」「自由主義神学・ユニテリアンとの関係」「松村介石の影響」「三教会同」「日本の国際的地位」といったトピックスを挙げ、見解を述べた。
その中で、成瀬が牧師の経験があったことや、留学時の米国の教会で見た儀式の様子に少なからず失望を抱いていたこと、多元的宗教との関わりなど、精神面での影響を話した。また、宗教と政治、もしくは国家といったレベルにおける影響にも触れ、宗教を超えた一致の重要性を深く感じたのではないかと語った。
さらに、成瀬の著作集の内容から、「自我が宇宙的自我へ広がっていく発想、まさに女子も男子も関係なく、さらには国家も文明も宗教でさえ関係なく統一していくという発想」が読み取れるとし、これはキリスト教を超えてしまっていると指摘した。
辻氏は、「1901年に日本女子大学校を設立した後、成瀬が理想とする帰一思想に向かう過程の様子や、その実現を目指して、12年に渡米した頃の様子が今回の発見で明らかになった」「成瀬の壮大な思想が展開する過程の一端を明らかにする貴重な史料」と、新史料の重要性を強調した。
その上で、成瀬の研究は、シカゴ大学で書簡を見たとき、その筆の勢いに圧倒され、内側から出てくる強い思いに興味を持ち、思いがけず与えられた研究だと話した。今後は研究を深め、発見した史料の意味付けなどをしていきたいと語った。