残る人生を、キリストにささげる
さて、私はこのようにして料理というものを生涯の目標として長い道のりを歩んできましたが、65歳になったとき、事業も山あり谷ありでしたが何とか成功し、「味の開発」というライフワークも達成できました。子どもたちも信仰を持ってそれぞれクリスチャンホームを築いている今、今度は残る人生を教会のために、そして私たちを救ってくださったキリストにささげるために用いたいと思うようになりました。
そこで、大龍の顧問としての仕事を半分にしてもらうように交渉して許可されたので、自由に教会で行事があれば出向いて奉仕したり、呼ばれれば料理教室で教えたり講習会を開いたり、自分で味の研究をしたり――という生活ができるようになりました。
翌年2010年は、自由に、楽しく奉仕ができた年でした。4月。66歳になった私は、横浜華僑基督教会の長老を引き受けることになりました。妻の玉屏は、教会53年の歴史の中で初の教会代表を務めていたので、彼女のサポートをしたいと考えたのです。そして私は、仕事中心の生活の軸を教会中心に向けて移行したのでした。
これまでの私の楽しみといえば、ワインでした。お酒はやめていましたが、当時の主任牧師はワインを楽しむ牧師だったので、健康のためと言い訳をし、週2回から3回ワインを飲んでいました。その牧師が離れた今は飲まなくなりましたが・・・。
それでその当時の土曜日の楽しみは「刺身」「ワイン」「刑事コロンボ」というのがお決まりのものでした。それが、この時から少し変わり、残る人生を100パーセント(心ではそう思っていましたが、なかなか・・・)神のご用のために用いたいという思いから、朝に「聖書」寝るまで「聖書」と、聖書に親しみ、読み続ける毎日でした。
そして、真剣に考えました。自分は何をもって神に奉仕するのか?と。そうでした。私には料理があるのでした。料理人として、神と人に、そして教会に仕えたいと思いました。
この年の5月15日から18日にかけて、私は韓国のソウルにある平康教会に行くチャンスが与えられました。何万人もの信徒が集まる大きな教会でした。そこで私は今まで歩んできた道において、どんなに大きな神の恩寵のうちに導かれてきたかを証しして、教会の厨房を借りて中華料理を作り、教会員の方たちにふるまいました。
そして、一緒に食べることで私たちは心が結ばれ、言葉以上に良い交流ができたことを感じました。もはや国の違いも、文化の違いも、あらゆる隔たりも、私たちの間にはありませんでした。
6月16日。私は新大久保にある東京中央教会の「希望宣教会」で奉仕することになりました。そして、ホームレスの聖歌隊の人たち50人分のコース料理を作り、全員にふるまったのです。
礼拝には300人から500人のホームレスたちが集まってきます。その聖歌隊の人たちに、心からのねぎらいの気持ちから、おいしい中華料理を味わううちにひとときのくつろぎを持っていただくことができました。
この日、ふと私は不思議な気持ちになりました。何か終末の光景はこのようなものではないかと思われたのです。再びこの地上にイエス・キリストが来られる日、そこにはもはや金持ちも貧乏人もなく、財閥もホームレスもなく、知識人も身分の階層もなく、そして老いも若きも、男性も女性も、老人も子どもも、こうして仲良く一つ食卓を囲み、神の愛を賛美する――そういうものではないかと思われました。
自分が好きで選んだ道ではないのに、神は私に料理という宝を授けてくださり、味の開発人としての使命を授けてくださいました。今ほどそれを喜ばしく、誇りに思ったことはありません。私は最後の日まで「キリストの料理人」として神と人に奉仕したいと思ったのでした。
9月23日から25日には軽井沢の「恵みシャレー」でセミナーを開きました。「いつまでも若々しく生きたいあなたのための講座――おいしく食べていきいきと――」という主題のもとに、私は講師を務めました。
あまり人は集まりませんでしたが、思えば初めてこの「恵みシャレー」の修養会に出席したのは14歳の時でした。あのつらいコックの修業を始めたばかりの頃で、辞めたいと思う気持ちと格闘し、手探りで道を歩んでいた頃でした。
あの時、自分がこのように世の中に認められるような料理研究家となり、事業を成功させ、神と人に仕える者になろうとは思ってもみなかったことでした。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道の書3:11)
このように聖書は教えてくれます。本当に全てのことに神が定められた時というものがあるのです。今どんなにつらくても、時がくれば神は道を示してくださり、山頂に到達できるようにしてくださるのです。
今道に迷い、人生に失望している若い方たちがいたら、私の苦しかった修業時代のことや、家庭や子どもの教育のことで悩んでいた日々のことを話してあげたいと思うのです。そして、神はその愛する子らのために最も良い道を用意し、いつかはそこに到達できるように導いてくださるということを証ししたいと思います。
私は現在、ますます大きな希望と確信をもって、残る生涯をキリストの料理人として奉仕するために励んでいるのです。
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