北京ダックの開発
もう一つ、私が自信を持って開発した食材に「北京ダック」というものがあります。日本人の8割が「北京ダック」という名前を聞いたことはあるが、実際に食べた人は1割にも満たない――ということを聞きました。
北京ダックというのは、アヒルを一羽まるごと焼いて皮を削いで食べる料理です。コースで1人8千円から1万円、もしくは2万円といった高級コース料理の中にしか組み込むことができないものです。この高級な食材を一般の人が安心して食べられる方法はないものかと、私は考えました。
当時、冷凍食品を扱っていた大龍は、関連会社として大龍門という中華レストランを5、6軒出していました。そして、そこに冷凍食品を用意し、そこで客に試食してもらって、大龍の冷凍食品を買ってもらうということをしていました。
わが社の冷凍食品の特色は、コックのいない店でもそれを温めて出すことでレストランが経営できるという点にありました。よく全日空の機内食に私たちのものを使っていただきました。あるいはファミリーレストランのメニュー、居酒屋のメニュー、そういった所にも私たちの会社の商品を使っていただきました。
北京ダックもそのような中華メニューの中で人気の一つだったので、安くて本格的なものを提供したいと私は考えていました。そこで北京に通い、アヒルの飼育方法から餌の与え方、またどのようにスライスして冷凍するか――ということまでを1年間の歳月をかけ、現地スタッフと一緒に開発しながら商品づくりに励んだのです。幸いなことに、そこのオーナーはとても熱心な人で、アヒルのことについてもよく勉強していました。
北京ダックの由来から話すと、政治の中心が中国の南京にあったときには、気候が温暖で、そこで食べていたアヒルは全く冬の餌の心配はなかったのですが、主都が北京に移り、食材から有能なコックたちまで全てが北京に集まってしまうと、問題が起こりました。
つまり、南京から連れてきたアヒルは、マイナス20度、30度の北京では餌を食べることができず、また池が凍ってしまうためにそこにある小魚や水藻を食べることができずにアヒルは育たなかったのです。
多くのアヒルが死んだ中で、農民たちは工夫をしました。冬の寒い最中、小魚や水藻を食べられないアヒルをどのように生かしておいたらいいのだろうか?――そこで考え出したのが、穀類を粉にしてアヒルに与えるということでした。
もちろん慣れてない餌なのでアヒルは食べるところまでいきません。そこで、アヒルの口にジョウゴを当てて粉になった穀類を少しずつ、少しずつ無理やり食べさせて、アヒルの命をつないだのでした。
こうして、一羽一羽ていねいに口の中に餌を入れてやると、やがてアヒルは餌に慣れ、穀類を食べるようになりました。しかも、無理に食べさせたことによって、アヒルは思ったよりもよく太り、脂肪がつき、冬にも耐えられる丈夫なアヒルになったのでした。
そのアヒルをつぶして焼いたところ、上等な北京ダックになりました。しかし、この時アヒルに無理やり食べさせるために、体調の悪いアヒルは、これにより命を縮めてしまうというリスクはあったのですが・・・。
アヒルの飼育について話すと、まずアヒルに卵を生ませます。しかし、マイナス20度、30度という所では、卵を産んでも親がすぐに抱かなかったり、環境によっては卵が死んでしまうということがありますから、朝の3時、4時にアヒルが卵を産むタイミングに合わせて、農民は小屋に入り、その卵を回収し、高温室に入れてふ化させるということをしたのです。
私もその飼育現場に何度も行ったのですが、綿の入った服を着てアヒルの小屋に入り、卵を集めるということはなかなか大変な作業でした。ふ化器に入れてから、アヒルがふ化し、今度は毛が白くなるまで少し温かな部屋で飼うのですが、その部屋に漂うアヒルの糞の臭いは、到底耐えられるものではありません。
このように一貫した飼育をし、アヒルの一羽一羽の健康状態を見ながら餌を食べさせる。そしてこの作業は、北京ダックの完成の2週間前、3週間前、1カ月前、アヒルの大きさによって餌を与える時期は違うのですが、最初自分で餌をついばむ、そして仕上げとして胸の皮の下に脂肪をたくさんつけるというときに、無理やり餌を食べさせるという行為に入るのです。
私たちの会社がリクエストした北京ダックの脂(あぶら)の量というのは、6日から1週間。2、3日で無理やり食べさせてもアヒルの脂肪はつきません。5日、6日、7日――この間に食べさせた餌の量によって脂のつき方が違ってくるのです。
大龍でリクエストしたアヒルというのは、皮の下に脂肪をたくさんつけていく方法ではなく、肉もおいしく食べられるもの、しかも臭くなく、脂もしつこくない――そういうものでした。だから、ちょうど6日頃合いのものをリクエストしたのです。
それから、焼き方も何百羽というものをテストし、一番頃合いのいい焼き方をしたものを北京で職人がスライスし、それを冷凍で日本に持ってきて、北京ダックの完成となるのです。
北京ダックを包むカオヤーピン(烤鴨餅)というのは、小麦粉を練って両面を焼き、これも中国で作ったのです。残念ながらテンメンジャン(甜面醤)という甘味噌は中国では日本人の口に合わなかったのです。
北京ダックは本格的に中国で、カオヤーピンも同じく本格的に中国で、塗る味噌については自社の工場で作る――ということになりました。商品が完成するまで1年、2年、3年をかけ、何百羽というアヒルを焼き、その中で試食を繰り返し、私もともすればアヒルのように太ってしまう可能性もありました。
とにかく手間と労力をかけた食材であったことを思います。こうして中国料理の名菜の一つを冷凍スライスで日本に紹介することができたのです。
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