1961年、世界中が注目する“世紀の裁判”が、テレビを通じて世界中に放映された。ナチス・ドイツのユダヤ人問題課長として、第2次大戦中のヨーロッパ各地からのユダヤ人強制移住の責任者だったアドルフ・アイヒマンがイスラエルの法廷で裁かれた、いわゆる「アイヒマン裁判」。この映画は、その裁判の様子を伝えるべく奮闘したテレビマンたちの物語だ。
アイヒマンは1939年に国家保安本部第4局(ゲシュタポ)のユダヤ人問題課長に任命され、ヨーロッパ各地からの数百万人のユダヤ人輸送の責任者だった。また「ユダヤ人問題の最終解決」を決めたヴァンゼー会議(1942年)にも参与していた。
ドイツの敗戦後、米軍により拘束されるが偽名を使って捕虜収容所を脱出し、1950年に親ナチスだったペロン政権下のアルゼンチンに渡り、リカルド・クレメントという偽名で生活していた。当時、アルゼンチンには多くの元ナチスの高官や軍人が移住していたという。
1948年に成立したイスラエルは、逃亡したナチスの高官の行方を追っていたが、ヒトラーはじめトップクラスが自殺、処刑された後、ホロコーストに関わった高官として最重要人物と目されていたのがアイヒマンだった。
イスラエル諜報特務庁(モサド)は、彼がアルゼンチンに潜伏しているとの情報をつかみ、2年にわたる調査の末にその居所を突き止めると特別チームを結成し、1960年5月11日に身柄を拘束する(クレメントがアイヒマンである決定的な証拠は、結婚記念日に、彼が妻に贈る花束を買うのを確認したことだったとされている)。そして、アルゼンチンからイスラエルに連れ去られ、ベングリオン首相によって身柄確保が発表され、世界的なニュースとなった。
1961年4月からエルサレムで始まった裁判でアイヒマンは、「人道に対する罪」「ユダヤ人に対する犯罪」など15の犯罪で起訴され、275時間にわたって予備尋問が行われた。
この裁判は世界中の注目を集めることになった。ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントが雑誌『ニューヨーカー』の特派員としてこの裁判を傍聴して書いた『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(みすず書房)の中で、イスラエルに裁判権があるのか、アルゼンチンの国家主権を無視して連行したのは正しかったのか、そして裁判自体の正当性に疑問を投げ掛け、ユダヤ人の中から激烈な批判を受けるなど、激しい議論を巻き起こしたこともよく知られている。
この映画では、強制収容所の映像や、実際のアイヒマン裁判の映像が何度もインサートされる。歴史的な映像を見ることができるのが、この映画を見る最大の意義といえるだろう。
テレビマンの矜持
主人公となるのは、裁判の様子を放送するテレビマンたちだ。正義は法廷で裁かれる。一方でテレビマンの役割は「世界が注目する裁判の内容とアイヒマンの姿をいかに世界に伝えるか?」ということだ。
法廷を撮影する、テレビの副調室の臨場感と緊張感がよく描かれていて、元テレビ屋の人間としてとても懐かしく感じられた。例えば、テレビのスイッチングの様子が詳しく描かれている。スポーツ番組で見られるように、テレビの撮影ではしばしば複数のカメラが設置され、それをスイッチで切り替えることで、滑らかで臨場感のある映像を視聴者に届ける。
アイヒマン裁判でも、法廷には四つのカメラが設置され、1カメが法廷全体の様子を広い映像で映し出す間に、ほかのカメラはアイヒマンの表情を追い続ける。ホロコーストという大量虐殺の責任者だった人間が、生存者の生々しい証言や強制収容所の映像を見せられてどのような表情をするのか? まさにそこに世界の人々の興味がかかっているのだから。
主人公のディレクターは、モニターを通じて何度もアイヒマンに問い掛ける。「なぜ顔色一つ動かさない? 平気でいられる? しかし、お前の無表情もひび割れ、本性を現すはずだ!」。彼はアイヒマンと直接会話を交わすことはない。しかし、モニターを通して2人の間には、問い掛けと応答、そして戦いが繰り広げられている。
この辺りは、とてもよくテレビ屋のメンタリティーを表現していると感心する。
テレビの視聴者のうつろいやすい姿もリアルだ。世紀の裁判は、開廷当初は世界の注目を集めるが、法廷の地味なやりとりに人々はすぐ退屈してしまい、同じ時期に発生したキューバ危機や、ソ連の人工衛星ボストーク1号でのガガーリンの有人飛行のほうに世間の関心は移りかけてしまう。そこでプロデューサーが、「なんとかしろ! もっと劇的に見えるようにしろ!」とディレクターに激高する。この辺りもリアルだ。
しかし、強制収容所の生存者の証言が始まると、再び世界はくぎ付けになる。
裁判を通してアイヒマンは、ほとんど表情を動かすことはない。その姿は、どこにでもいそうな平凡で小心な男にしか見えない。『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』の中でアーレントは、アイヒマンが、血も涙もない「怪物」ではなく、家族を大切にするごく普通の小心者で取るに足らない役人に過ぎなかったことを「悪の陳腐さ・凡庸さ」と書いた。
そして人類史上に残る大量虐殺という巨大な罪を犯した人間が、凡庸などこにでもいる人間だったということが、むしろ恐ろしいことだと問いを投げ掛けた。それは、誰もがアイヒマンと同じ状況になれば同じように命令に従い、同じことをする可能性があるということを意味するからだ。
このことは翌年、米国イェール大学の心理学者スタンリー・ミルグラムによって行われた心理学の実験「アイヒマン実験」(ミルグラム実験)でも裏付けられることになったこともよく知られている。
この映画では、ラスト、アイヒマンに有罪判決が下されたところがクライマックスとなり、テレビマンたちは手を取り合い、自分たちが勝利したというエンディングで物語は幕を閉じている。
しかし、本当にそうなのだろうか?
アイヒマン裁判とアーレントが投げ掛けた「人間の悪」をめぐる問いは、今でも少しも変わることはなく、私たちに問い掛けられ続けているのだ。
■ 映画「アイヒマン・ショー」予告編