「・・・主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。『これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。』夕食の後、杯をも同じようにして言われました。『この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。』・・・したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。・・・」(Ⅰコリント11:17~29)
立春が過ぎましたが、まだまだ1年で一番寒い時期です。この春に向けての日々、主イエスに強められ、心も体も守られて歩みましょう。イエスと共に歩んでこそ、私たちらしい生き方ができるのです。
今日開いた箇所でパウロは、本来のあるべき教会(聖餐式)の姿からかけ離れてしまったコリントの教会の信徒たちの状況に、苦言を呈しました。例えば、食事の場面です。私たちは、刻んだパンやカップに入ったぶどう酒を用いて礼拝中に聖餐式を行いますが、この形がまだ定まっていなかった当時、信徒たちは頻繁に共に食卓を囲み、食事のたびにその場で神に感謝をささげ、クリスチャンとしての交わりを持っていました。
しかし、いつの間にか人々は食事にばかり気を取られ、信徒としての交わりある食事会ではなくなってしまったのです。そして分派・分裂まで起こったのです。私たちはもう一度基本に戻るために、三つのことを心に留めておきましょう。
1. 自分の信仰のズレに注意しましょう!
コリントの信徒たちのように、私たちもいつの間にか聖書やイエスの御言葉からかけ離れた生活をしていませんか? 信仰生活を送る中で、私たちはそれぞれ自分の理屈や考えがあるでしょう。私たち人間のすることは常に軌道修正が必要です。心の思いを十字架のイエスの御心に重ね合わせてみて、自己中心になっていないか、信仰にズレやブレがないか確認しましょう。
2. イエスの身代わりの死を信じ、忘れない!
クリスチャンとしての信仰は単に個々の精神性に基づくのではなく、100パーセント、キリストの事実に基づいています。イエスが私たちの罪を清めるために十字架で流された尊い血潮は、私たちのためです。イエスが死なれたことで罪人であった私たちも死にました。このことをきちんと受け止めようではありませんか。
3. 今も共におられるイエスを忘れない!
「・・・わたしを覚えて、これを行いなさい」に続く箇所は、聖餐式で聞き慣れた部分です。このように、今もイエスと私たちは一つの命として歩ませていただいていることを聖餐式の度に思い起こすのです。
アメリカに留学中、ルーマニア出身の先生に出会いました。独裁者チャウシェスクによる共産主義の下、神と救いを語るキリスト信仰は目の敵。牧師の彼はすさまじい迫害を受け20年近くも投獄され、激しい拷問にあって体は傷だらけでした。洗脳のため閉じ込められた棺桶のように小さな独房で、共産主義のテープを延々と聞かされました。
意識は次第に破壊され、家族のことや自分の名前、生きているか死んでいるかも分からなくなる中で、繰り返し彼の意識に現れたのは「イエス」という響きでした。その意味は直ぐに分かりませんでしたが、突然、これは私の信じる救い主の名前だ! と思い出し、そこから全てを思い出し、自分を取り戻したのです。
彼は言いました。自分の名前すら忘れる状況でも、神が聖霊によって私たちの魂にイエスの名を刻み付けてくださったのだ、と。今も共にいてくださるイエスの愛を、今日も味わっていきましょう。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。