労働における聖霊の働き
ここでは、聖霊はどのように労働に関わるのか、その原則について述べる。聖霊は前項の「労働をどのような態度や姿勢で行うべきかに関する聖書の御言葉と教え」で述べたことを、キリスト者のうちで実現させるように働き、彼をその方向に従って働くように助け導く。従って、キリスト者が聖霊に満たされることは、労働においても極めて重要である。
労働における聖霊の働きを理解しやすくするために、準二分説に基づく人間の構成を示す。この準二分説においては「物質的部分」を体と呼ぶ。また、「非物質的部分」で地上の方に向いており、物質的部分(感覚の領域)と接する部分を魂と呼ぶ。神の方に向いており、聖霊を受け魂の部分とリンクする部分を霊と呼ぶ。
魂には、知性、感情、意志、能力などの機能があり、霊には神との交わり、良心、洞察力(霊的直感力)などの機能がある。また「物質的部分」の外側には家庭、職場、社会などの労働の場がある。この図において、労働に対する人間の一般的な霊的行動の流れは、神→霊→魂→体→家庭・職場・社会と見なすことができよう。
(イ)実体論的な労働に対する聖霊の働き(義認、救いにおける聖霊の働き)
聖霊は人間をキリストにある新しく造られた者に新生する、Ⅱコリント5:17「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」参照。およびテトス3:5「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました」参照。
また、聖霊は人間を、キリストにあって良い行いをするように造られた作品にする、エペソ2:10「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです」参照。そして聖霊は、真の義と聖とを備えた神にかたどって造られた、新しい人を彼のうちに植え付ける、エペソ4:24「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした」参照。
この新生において聖霊は人間の霊に触れ、新生は瞬時的に起こる。この霊自体は人間のあらゆる活動の源であり、聖霊は問題の中心部である人間の魂、すなわち、人間のあらゆる活動を生み出す中心的な源にまで達する〔15〕。
人間が意識の中心(自我、魂)を持っていて、そこから全ての思いと行動とが出てくることは、聖書が明らかにしている通りである〔15〕、箴言4:23「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」参照。およびマルコ7:21~23「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです」参照。
魂(知性、感情、意志)は人間存在の中心であって、あらゆる思いと意志と感情、さらにあらゆる種類の外に現れた行為の源である〔15〕。
聖霊による新生は、人間の魂を、罪を愛することから神を愛することに変える。聖霊は人間に新しい知性や意志、あるいは感情を与えるのではなく、人間の知性、意志、感情が、神に反抗してではなく、神のために用いられるように方向を変えるのである。この新生において聖霊は全く主権的であり、聖霊は願うように働かれる〔15〕。
霊と魂が相互作用すると、良心は意志に影響する。良心が安んじていれば神の前での確信を持った意思決定ができる。洞察力(霊的直感力)は思いに影響する。霊で受けた印象は思いによって御言葉と照らしながら解釈され、観念化され、言語化される。交わりは感情に影響する。霊なる神との霊における交わりは、私たちの感情に触れ、感情を沈静し、その愛が甘く迫り、歓喜を生み出す〔11〕。
霊の新生が魂、すなわち知・情・意に働き、この魂の活性化が素晴らしい労働に結び付く。労働における霊性は労働の内容ではなく、働き人の霊性に依存する〔2〕と言われている。従って、新生により神の方に向きを変えられた魂を持つ人間の労働は、以前の神を信じない場合の労働とは全く変わった別次元のものとなる。新生した人間は、神の方に向きを変えられた魂を用い、その体を通して労働を行う。それは神が意図された純粋な喜びに回復させられた労働の姿である。魂は霊の制御の下で機能するようになる〔2〕。
魂が霊に服するようになると、私たちの心の中には霊的な判断・行動のパターンが展開し、条件付けされるようになる。聖霊はこの霊主導の認知行動パターンを実現するため、信仰をいぶき、油を塗り、知恵と力を備えてくださるのである。また、あらゆる真理に導く〔11〕。私たちは聖霊の力をいただいて、この世における神の代理者となるようにとの指示を受けているのである〔2〕。
また、私たちは聖霊によって聖書の御言葉に目が開かれ、御言葉を良く理解できるようになる。そのため私たちは、聖書の御言葉にある世界管理という労働の本来の目的に目が開かれ、労働を本来の目的に添って行うようになる。また、私たちの体を通して行う実際的な労働に関しても、聖書の多くの御言葉にその指針が述べられているが、その指針にのっとって魂と体を用いて労働を行うことができるようになる。
さらに、聖霊は人間の生活の中に入ると彼らの霊的な目を開くため、彼らは神の御旨に関する事柄を知ることができるようになる。そして聖霊は人間の洞察力(霊的直感力)を鋭くする。労働をする場合、私たちにはビジョン、使命、プランなどの将来を見ることや将来を予測することが必要となるが、聖霊は私たちの霊的な目や耳を開き、目に見えないものを見えるようにし、神の御声を聞きやすくし、神の御心から生まれるビジョン、使命、プランなどを悟ることができるようにする。
聖霊は私たちの生活に神の意志を伝えるように導く源となるため、聖霊に満たされると、ビジョン、使命、プランなどが与えられやすくなり、またいつも神からの語り掛けを受けながら労働を行うようになる。すなわち、霊を通して神の御声を聞き、この御声の実現に向けて魂と体を用いて労働を行うようになる。
(ロ)関係論的な労働に対する聖霊の働き(聖化における聖霊の働き)
聖霊は交わり、祈り、賛美と礼拝の祭壇などを通して人間と神との関係を強め、人間の良心を敏感にし、この世に罪と正義と裁きとを認めさせる〔22〕。従って、聖霊は私たちが労働を行うとき、不正や不義の誘惑から私たちを守るだけでなく、私たちが不正や不義を正しい方向に向けさせる勇気を与えてくださり、また恐れずに意見を言うことができるようにしてくださる。すなわち、霊を通して神の御声を聞き、この御声に従って魂と体を用いて正しい方向で労働を行えるように導いてくださる。
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(参考並びに引用資料)
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。