バチカン放送局は2日、「いつくしみの特別聖年」に対する具体的な責任を表す「いつくしみを行動で(Mercy in Motion)」運動を支援しようと、東アフリカの難民と共に働いている、イエズス会のジェイムズ・マーティン神父(米国)の働きについて報じた。
「政策決定者や政治家、分析家が国境閉鎖や難民に対する課税、そして「探索と救助」の任務といった問題について論争する一方で、何十万人もの難民や移住を余儀なくされた移民の老若男女が、自らの行き着く所がどこであれ、足場と尊厳を見つけようと苦闘している」と同放送局は述べた。
同放送局によると、イエズス会難民サービス(JRS)は、難民とその社会の安全で持続可能な未来のためには、教育がカギであると確信しているという。
だからこそ、JRSの「いつくしみを行動で」運動は、立ち退かされた世代が、庇護国であるいは帰国時に、自らの生活と社会を立て直す備えを確実にできるようにして、難民のための長期的な解決策に貢献するのだという。
教皇フランシスコ自身が、「いつくしみを行動で」運動への支持を表明したが、この運動はいつくしみの特別聖年に対するJRSの具体的な責任を表すものでもある。
受賞をした自らの著書や『アメリカ・マガジン』の総合編集長として知られているジェームズ・マーティン神父(イエズス会)は、イエズス会の修練の一環として東アフリカの難民と共に働いて2年間を過ごした。
人生を変えたその体験は、『This Our Exile: A Spiritual Journey With the Refugees of East Africa(これは私たちの捕囚:東アフリカの難民との霊的な旅)』(Orbis Books、2011年)という自らの著書として、また「いつくしみを行動で」運動のために自ら心のこもった支援に結実した。
「多くのさまざまな状況のうちにある難民に教育を施そうと、教育のためにJRSが企画した『いつくしみを行動で』はとても重要です」とマーティン神父は言う。
人々はいつくしみの特別聖年を生きることが意味するものを実行しようと、大変な時を過ごしていることが多いと、同神父は指摘している。「自分の家族の中で誰かに親切になれるとか、自分の教区にいくらか献金できるとか言うかもしれませんが、でもあなたが地球規模にできることがここにあります」
マーティン神父は、「いつくしみを行動で」は私たちのいつくしみを地球規模に広げるのを助けることができるプログラムであると指摘し、物事を個人的なレベルですることは大切だけれども、政治や経済の視点を持って、最も窮乏している人たちに手を差し伸べることもまた大切だと、マーティン神父は言う。
「『いつくしみを行動に』はそれをする素晴らしい方法です」と同神父は言う。
マーティン神父は学習と教育がどのようにして双方向の体験となるのかについても語っている。
ケニアのナイロビでJRSと共に過ごした時を思い起こし、同神父は難民自身からいつくしみと愛、そして憐れみについて多くのことを学んだという。
「彼らの多くはとても困難な状況を目の当たりにしていました。家族が自分たちの目の前で殺されたり、大量虐殺に対処したり・・・。自分たちに危害を加えてしまった人々に、また自らに対しても、そのよい生き方によっていつくしみを示さなくてはならなかったのです」と同神父は言う。
マーティン神父は、いつくしみと教育が双方向の道であり、それは難民が単なる慈善活動の対象ではなく、兄弟姉妹であることを私たちに思い起こさせると強調する。
「彼らは私たちが関係を持ち、教わる相手なのです」と同神父は話す。
難民や移住を余儀なくされた移民の国境規制や受け入れおよび統合に関する、積極的で共通の解決策を見つけようとする探求において、政策決定者や世界の指導者たちを巻き込んだ現在の論争について、どうなってほしいかを尋ねられたマーティン神父は、自分の国がもっと多くのことをしてほしいと言う。「私のほうに関しては、自分の故郷の国である米国が、シリア難民に対してもっと開かれ、歓迎するようになってほしいですね」
米国が受け入れたシリア難民の数は、シリアを逃れた難民の数と比べると、そして他の国々が受け入れた絶対数と比べると、米国にとって「困惑」だと同神父は言う。
マーティン神父は、米国と他の国々で人の心をつかみつつあるように見える外国人嫌悪の波についてコメントしている。
「私たちが覚えておかなければならないのは、教皇様が頻繁に述べておられるように、『これらは私たちの兄弟姉妹であり、私たちはキリスト教徒として、カトリックとして、人間として、これらのひどい状況にある人たちの世話をする責任があるのです』」と、マーティン神父は結んでいる。