カトリック麹町聖イグナチオ教会の「メルキゼデクの会」が主催する集い「難民の声を聞こう」が28日、同教会アルペホール(東京都千代田区)で行われた。認定NPO法人難民支援協会(JAR)の田多晋さんから、日本における難民の現状とその支援について話を聞くとともに、難民申請中の当事者2人を招き、日本における難民問題について、会場に集まった約65人の参加者と分かち合った。
JARの支援事業部コーディネーターを務める田多さんは初めに、難民とは「紛争や人権侵害から命を守るために母国を離れてきた人」であることを説明し、昨年1年間の日本における難民申請数は5000件で、特にアジアからの難民が増えていることを伝えた。一方、その中で認定されたのはわずか11人。率にするとたった0・2%で、その数字から、日本で難民と見なされる基準の厳しさについて語った。
法的支援が専門である田多さんは、日本の難民認定制度自体にも問題があると話した。第一に、難民と認められない人々が「不法滞在者」となり、入国者収容所に送られることだ。現在、日本には茨城県牛久市、大阪府茨木市、長崎県大村市の3カ所に収容所があり、JARでは弁護士と一緒に面会をして彼らの生の声を聞き、さまざまな取り組みを行っている。第二に、難民申請してから結果が出るまで平均3年、長い人では5年かかることだ。母国の迫害からやっとの思いで日本に逃れてきたにもかかわらず、認定の結果を待つ間、十分なセーフティーネットがなく、その生活は非常に困難だという。
さらに、難民申請後6カ月間は就労禁止であることや、唯一の公的な難民支援機関である公益財団法人アジア福祉教育財団の難民事業本部(RHQ)からの援助も、申請してから実際に援助を受けられるまでには数カ月かかることから、収入を得ることができない間に、ホームレスなどになってしまう人々もいるという。
難民申請が不認定となった場合、選択肢は「訴訟」「再申請」「出国(第三国、本国)」の3つだ。ただし、人道的配慮による在留特別許可や、仮滞在ということで日本に残ることもできる。しかしその場合、難民認定された場合に受けられる国民健康保険の加入(仮滞在は加入可)や、各自治体を通じての福祉支援、RHQが準備する日本語教育、職業斡旋(あっせん)を含む定住支援プログラムなどを公に受けることはできない。
田多さんは、「難民は、母国では普通に暮らしていた人たちで、十分な生活能力があり、その能力を損なわないように支援することが大切」と、難民一人一人に寄り添う支援が必要であることを語った。そして、「難民には逃れる国を選ぶ余裕はなく、一番速くビザを発行してくれたのが日本であったり、たまたまたどり着いたため日本に来ざるを得なかったというのが現状。こういったことも配慮して、日本にいる難民が次のステップにつながる支援をしていきたい」と語った。
この日は、ナイジェリアとロシアからの難民2人も参加した。ナイジェリア人難民の男性は自然医学博士で、1991年3月に来日した。2008年10月に出版した著書に「聖書からの引用はあるが、コーランから引用が何もない」ということが原因で、ナイジェリアのイスラム教過激派組織「ボコ・ハラム」から「帰国したら殺す」という脅迫を受け、帰国することができなくなってしまった。難民申請したが、結果は不認定で、現在異議申し立ての面接の機会を待っている状態だ。この男性は、「イエス様は、マルコによる福音書11章24節で、『祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる』とおっしゃっている。だから、難民認定されると信じている」と今の思いを語った。
一方、ロシア人難民の男性は現在、パン工場で働き自立した生活を送っている。この日も職場から直接駆け付けた。難民申請をしてから3年目で、近々認定される見通しだという。「仕事が見つかった時はうれしかった。今はRHQから支援を受けなくても給料だけで生活できる」と現状を話した。メルキゼデクの会が毎週月曜日に行っているカレーの炊き出しのボランティアに毎回参加していることを紹介されると、「難民はいろいろな立場の人がいて、それぞれサポートが必要。自分もサポートをしてもらって本当に助かったので、炊き出しを手伝っている」と明かした。
今回の集会を主催したメルキゼデクの会は、カトリック麹町聖イグナチオ教会の活動グループで、平和、人権、正義、環境など、現代社会をとりまく問題について学び、祈り、実践している。この日参加した女子高生(3年)は、「学校で難民について学んでいるが、実際に難民当事者から話を聞けてよかった。貴重な時間だった」と感想を語った。