イラクでがんや白血病に苦しむ子どもたちを支援するNGO「JIM−NET」が、2006年から取り組んでいる「チョコ募金」。イラクの子どもたちが描いた絵をデザインした缶ケースの中に、北海道の銘菓「六花亭」のチョコが入っている。募金500円当たり、1缶が募金者に贈られるというもの。今年は、イラクとシリアの少女4人が描いた絵柄が缶になり、16万個が製造された。子どもたちが描く純真可憐な絵は、非常に愛らしく、毎年大人気だ。今年も既に10万個が提供されたという。
「毎年、バレンタインデーの時期に多く出るのですが、今回は年内でこのスピードですから、もしかしたらバレンタインデーまでには終了しているかもしれませんね」とスタッフの一人が話してくれた。集まった募金は、必要経費を除き全て子どもたちの支援に充てられる。今年はイラクの子どもたちの医療支援だけではなく、シリア難民の支援にも充てられるという。
26日には、JIM−NETの「戦後70年最終章」、また「2016チョコ募金スペシャル企画」として、立教大学太刀川記念会館で「いま、ここにいる私たち」と題したクロストークイベントが行われた。立教大学大学院キリスト教学研究科と共催で行われ、世界各国での取材経験を持つドキュメンタリー写真家で元自衛官の村田信一さん、ドキュメントリー番組「グレートジャーニー」で有名な探検家で医師の関野吉晴さん、JIM−NET事務局長の佐藤真紀さんの3人が登壇した。
この企画は今夏、国内で大きく話題になった安保法案が可決された矢先、村田さんがJIM−NETの事務所で企画について話したことから始まった。ドキュメンタリー写真家としての仕事でまさに戦場を目の当たりにしている村田さんは、「今の政治は、戦争を知らない政治家たちが、戦争のことを話している。われわれ戦地を体験し、そのむごさを見てきた者が発信する場がほしい」と話したという。クロストークの相手として、モンゴル、アフリカなどを中心にした旅の経験も豊富な関野さんを選んだ。登壇した3人全員が顔を合わせるのは今回が初めてだったが、それぞれがそれぞれの立場から話をした。
関野さんがモンゴルで出会った少女プージェー
メーンイベントのクロストークを前に、関野さんはモンゴルで出会った少女の話を映像を交えて語った。映画化もされたというモンゴルの少女プージェーの話は、1999年までさかのぼった。モンゴルの大草原を馬に乗って、関野さんの前に現れたプージェーは、明らかに怒っていた。「写真を撮るなら、こっちに来ないで!」と怒鳴りつけたプージェーに、「後にも先にも、こんな小さな女の子に怒鳴られたのは初めてでした」と関野さんは笑った。
偶然出会ったこの少女は初め、取材対象としてはあまり好ましくないと思っていた。モンゴルの遊牧民一家らしく、男性中心とされるモンゴル社会で、大家族が暮らす様子を撮りたかったのだ。しかし、プージェーの一家は病弱な祖父は寝たきりで、一家を支えるのはプージェーの母親であった。父親は一家を残して蒸発してしまったため、幼いプージェーも馬やヤギの世話をすることを毎日の仕事にしていた。
映像を見ると、とにかくよく働くプージェーの姿があった。ある日、一家の稼ぎ頭であったプージェーの母親が落馬して、大けがを負ってしまった。そのまますぐに病院に行けばよかったのだが、当時保険などの制度はなく、お金がなかったプージェーの母親は受診することすらできなかった。そして、事故から数日後に急死してしまった。
その悲しみ乗り越え、たくましく生きるプージェー。その後モンゴルでは、オイルやレアメタルなどの採掘が行われるようになった。時代は刻々と変化し、馬やヤギが行き交っていた道には、大きなトラックが行き交うように。そんな近代化の波にのみ込まれつつあったプージェー一家に新たな悲劇が襲った。遠方の学校に通っていたプージェーは、里帰りのために実家を訪れる。しかしその矢先、交通事故に遭い、命を落としてしまったのだ。映像の中で無邪気に笑うプージェーと、きょうだいのようにして育ったいとこの少年。その少年は彼女の死後、プージェーの話をするだけで、顔をくしゃくしゃにして泣いた。
数十年にわたる旅の中で、関野さんはさまざまな「難民」を目にしてきた。モンゴルの経済成長の中で、必死に生きたプージェー一家と現在の難民問題を重ね合わせ、関野さんは次のように語った。
「難民になるのは、常に弱い立場にある人々。権力のある人、強い立場の人は、(難民として国外に)出ていくことはない。現在、中東から難民が欧州に押し寄せている。彼らもまた時代に翻弄(ほんろう)された弱い立場の人々なのだ」
「やはり軍事派遣はすべきではない」
3人によるクロストークで最初にマイクを握ったのは、世界各地のさまざまな戦場を撮影している村田さん。自衛官として3年間勤務した村田さんは、まずその経験を語った。「自衛隊とは、どんなところか見てみたかった」と、入隊した動機は意外に単純なものだったという。自衛官としてハワイでの洋上訓練に参加。巨大な米空母を前に「とてもこの国には勝てない」と思ったという。規模、数、全てに圧倒された。
その後、ドキュメンタリー写真家となり、パレスチナ、ソマリア、チェチェン、ルワンダ、イラク、シエラレオネなどを取材して回った。自衛官としての経験から、戦地で武器や戦車を見ると、大抵それがどんな役割を果たすものか予想がつくという。安保法案が可決された今、自衛官が戦場を知らないまま「任務だから」と任地に赴くことに、村田さんは大きな抵抗を覚えている。戦場に一瞬でも身を置いた経験のある村田さんは、「やはり軍事派遣はすべきではない」と訴える。
変わった学生たちの政治意識 分かれる反応
武蔵野美術大学で教鞭も執る関野さんは、今夏の国会内外の動きについて、特に学生たちが動き出したことは大きいと話す。SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)によって、全国の学生たちの政治の意識も変わってきた。しかし一方で、授業の中で沖縄や中東の話をした後、無記名のアンケートをとると、「反戦教育ですか? もううんざりです」と書く学生もいるという。デモに行っても、投票に行っても何も変わらないと思っている学生も多くいると話した。
「日本の皆さんには、空気だけでも感じてほしい」
JIM−NET事務局長の佐藤さんは、「日本にいる皆さんには、今、子どもの命が危険にさらされている地域の空気だけでも感じてほしい。われわれNGOの使命の一つがそれを伝えることなのでは」と話す。「正義のための戦争なら、子どもを巻き込んだ戦いをしてもよいのか? 人としてやっていいことと悪いことの区別は最低限つけなければならない」と話した。
佐藤さんは、イラクで出会った少女サブリーンちゃんのことについても映像を交えて話した。イラクでは、湾岸戦争とイラク戦争の時に米軍が使用した劣化ウラン弾によって、がんや白血病に侵される子どもが急増。サブリーンちゃんもその一人だった。目のがんに侵された彼女は、絵を描くことが大好きだった。見えなくなった右目をかばい、左目だけでかわいらしい絵を描き、その絵はチョコ募金の缶のパッケージにもなった。しかし、がんが再発。左目も視力を失い、絵を描くことができなくなった。小さな声で、「私はもう死にますが、私の描いた絵でイラクの子どもたちを救ってあげてください」と言い残し、この世を去った。
「日本の人たちに、私のことを、イラクの子どもたちのことを忘れないでほしい」と話していたサブリーンちゃんは、わずか15年という短い生涯を閉じた。イラクでは、病院が十分に機能していない。一番衛生的でなければならない場所に衛生的なものがなく、薬も常に不足している。JIM−NETでは、こうした医療現場への支援を中心に、一人でも多くの子どもたちの命を救うべく活動を続けている。
最後に村田さんは、「『これから世界はどうなってしまうのだろう?』と思うことも少なくないが、希望がないと前に進めない。いろいろなことにアンテナを張って、新しい社会が生み出されればと思う」と話した。関野さんは、エクアドルのハチドリの神話を例にして、自分の活動を表現した。アマゾンに大火事が起き、小さなハチドリがくちばしで水を一滴ずつ運び、消火活動をしていた。大きな動物たちは、「そんなことをして何になるんだ?」とばかにしたが、ハチドリは「自分のできることをしているだけ」と話したという。このハチドリのように、関野さんも「自分にできることをやっていく」と話した。