人は病気になると、いろんなことを発見しますね。特に自分がいかに弱くもろいものかということを痛感いたします。そして、健康に生活したり働いたりするためには、どれほど多くの力とエネルギーが必要かということ、そういった力やエネルギーを健康なときに体内に宿しているということが、奇跡に近いようなことであるということなど、普段、健康であるときには忘れていることを、もう一度思い起こさせてくれます。そして、健康を回復すれば、このことを決して忘れないように感謝して、健康という恵みを深く深く感謝して生きていたいと強く思わされます。
しかし、体調を崩したりして思うように生活ができなくなると、やはり精神的にも弱くなりやすく、暗い考えを持ってしまいやすくなります。そんな時に限って思い出される一つの詩があります。それは河野進(1904~1990)という牧師の作られた詩です。
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇跡がある
病まなければ 聴き得ないみことばがある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ
私は人間でさえもあり得なかった
病むという試練をこれほどまでに前向きに受け止めている言葉が他にあるだろうか、といつもこの詩に励まされます。河野進牧師とは間接的につながりがあります。河野牧師の玉島教会に若いときに出入りされた一人の婦人が、年重ねてから高松で私の主催する家庭集会に来られるようになったことから、河野牧師の詩集を読み始めました。『母』という詩集に河野牧師の優しさと、どこまでも慈悲深いまなざしを感じます。弱い存在に目を留めて、弱さの中に限りない意味と希望があることを表現してくれました。これがキリストのまなざしであったのでしょう。
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福江等(ふくえ・ひとし)
1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。