秋も深まるニューヨークのクイーンズにあるカフェで、平野博文さん・良子さん夫妻と会った。平野さん夫妻は、ニューヨークの都心マンハッタンから車で1時間ほど北に行った所で、聖書の御言葉を焼き入れたクッキーを製造している。平野夫婦がいかに神に癒やされ、変えられたかという証しは、今年2月に掲載したニューヨークの「父の学校」の記事で紹介している。
この神の御言葉を入れて焼く「ニューマ・クッキー」の製作が始まったのは、今年2015年の春のこと。ニューマ(Pneuma)とは、ギリシャ語で、風、息、そして霊を意味する言葉だ。現在は、日本語、英語、韓国語、スペイン語で御言葉を入れたものが主だが、レーザーで文字を焼くため、注文するときにワードファイルで好みの言語の御言葉を提出すれば、中国語やヘブル語など、どの言語でも焼くことができるという。
ただ入れる文字は御言葉だけ。平野さんによると、レーザーを使うため、文字だけではなく会社のロゴでも何でも焼き入れられる。しかし、これは「神から御言葉を焼くように」と言われて始めた事業。その原点からは外れたくないという信念を持っている。
以前、クッキー製造に使っている商業用のレンタルキッチンのユダヤ人オーナーが、息子の誕生日用に「ハッピーバースデー」と入れてくれと依頼してきたことがあった。「ハッピーバースデー」は無害なメッセージだし、その文字を入れること自体は実に簡単な作業であったが、平野さんは「できない」と答えた。そのためオーナーは、代わりに「Love never fails(愛は決して滅びない)」(1コリント13:8)と入れるよう依頼し、平野さんはクッキーの袋に「ハッピーバースデー」のシールを貼って渡した。この時オーナーは、「あなたたちは、ビジネスの機会を逃している」と言ったそうだ。
平野さんがこの事業のアイデアを夢を通して神から語られたのは2013年4月のこと。夜中の2時ごろに鮮明な夢を見て目が覚めた。しかし、このことは妻の良子さんには何カ月も言えなかった。それまでいろいろなアイデアを練っては、利益追求のためにさまざまなビジネスを手掛けてきたため、この夢の話を打ち明けても、「またお金もうけのことを考えているの?」と言われるのが怖かったからだ。そのため平野さんは、「もう一度同じ夢を見せてくださるか、人を送ってください」と祈ったそうだ。
ちょうどその頃、平野さんは、札幌キリスト召団の「恵泉塾」の創設者である水谷恵信牧師の著書『壊れた私、元気になった』を読み、いたく感銘を受けていた。恵泉塾は、元高校教師の水谷牧師が神からの啓示を受け、競争社会に対応できなくなった心の壊れた人たちを、自分の家庭で受け入れたのがきっかけで始まり、それが広がったものだ。本部がある北海道余市町では、現在70~80人ほどが一緒に聖書の勉強をしたり、農作業をしたりしながら共同生活をしている。そのような生活の中で神と人の愛に触れ、壊れた心が癒やされていき、やがて社会性も回復されていくのだ。塾生や献身者から滞在費は一切取らない。塾生の労働から生まれる農産物を売ったり、カフェを経営したり、卒塾生から献金があったりと、不思議と経済が成り立っている。現在、恵泉塾の母体である札幌召団には日本各地に300人ほどの信徒がおり、19年を経て1000人ほどの卒塾生がいるそうだ。
その水谷牧師に平野さんが実際に会ったのは2013年夏のこと。当時、群馬にいた平野さんの弟はずっと統合失調症を患っており、良くなったり悪くなったりを繰り返していた。その弟が、幻聴幻覚により突然イタリアへ飛んでしまう。母親から頼まれた平野さんは、会社から3週間休暇を取って弟を迎えに行き日本に連れて帰るが、帰国後も弟は家出をして事故を起こすなどして精神病院へ緊急入院する。
その入院先の群馬の病院に、北海道の余市から水谷牧師自らやってきたのだ。「私は弟さんのために、ましてお兄さんやご家族のためにここへ来たのではありません。行って会うことが神の御心であると示されたので来たのです」。その時に水谷牧師が語った言葉が、今も鮮明に記憶に残っているという。その後、弟は恵泉塾と連携する札幌の精神病院へ転院し、昨年3月に入塾。現在は服用していた薬も減り、昔板前として修業を積んでいた経験もかわれ、恵泉塾が経営するカフェの厨房で働いているそうだ。平野さん夫妻も昨年夏、1カ月以上の休暇を取って体験入塾をしたそうだ。
その水谷牧師が2013年10月にニューヨークを訪れ、その際平野さんは恵泉塾を米国でもやらないかと打診された。その時の平野さんは、片手で安全パイを握りながら、片手間での人のお手伝いだったら喜んでする、という生ぬるい信仰の状態だったという。ところが水谷牧師が日本に帰国する当日、平野さんは車で出勤する途中に、「お前は何てにぶいやつなんだ。あの(御言葉クッキーの)夢は私が見せたのだ。お前が人を送ってほしいと頼むから、わたしは人を送った。とっておきの人物を」と神からはっきりと、しかも2回も語られたのだ。そしてその声は最後に「水谷に従え」とも言ったのだ。その瞬間、電流が体中を流れるような感覚を覚えたという。
当初、平野さんは「水谷に従え」というのは、課長や部長に従うようなものだと思っていたそうだ。でも後に分かったのは、「水谷に従え」というのは、「水谷牧師のように、自分を殺してすべてを神に委ね、イエスに従い、人を愛するためだけに生きなさい」ということだったのだ。
このような体験の後、黙っていることもできず、平野さんは良子さんに、クッキーの夢のこと、また神からの声のことを打ち明けた。良子さんもこれは神の導きに違いないと同意し、神の導きに従う道を歩むと決意した。神様の絶妙な配慮の中で助け手が与えられ、必要な物も与えられ、恵泉塾の一環として御言葉クッキーの製造所を立ち上げる準備を進めていくことになる。御声を聞いてから約1年後の昨年9月末、それまで勤めていた会社を退職したのだった。
そして、それが神の御心であることを証明するかのごとく、機械の購入などの立ち上げ資金も奇跡的に集まった。最も高かった買い物は、レーザーで文字を入れる機械で、1万7千~1万8千ドル(約200~220万円)もするものだった。特別注文をして頭金を30パーセント払い、機械の納期までに残りの資金が集まるようにひたすら祈った。資金の話を水谷牧師にすると、「(恵泉塾の資金を動かして)私に助けてほしいですか? それとも神に助けてほしいですか?」と聞かれた。「神に助けてほしい」と平野さんが答えると、水谷牧師は「それが良い。私が助けると私に頼るようになるから。私に頼らないで、神に頼りなさい」と言ったそうだ。そこで2人が神にひたすら祈っていると、平野さん夫妻が発行するニューヨーク恵泉塾のニュースレターを読んだ見ず知らずの女性が、必要な金額を日本から送金してきてくれたのだ。機械納品の3日前だった。
「すべてのことが神によって行われているので、販売のための売り込みは一切しない」と平野さんは言う。平野さんは昔の会社時代、老舗メーカーのプロ用の高級包丁を販売しており、米国や欧州などを周って人前でプレゼンテーションをすることが多々あり、またそれが得意でもあった。ところがこのクッキーにおいては、ウェブサイトの運営やニュースレターは書くが、プレゼンテーションや売り込みはしたくないのだという。「自分の力で達成したと思いたくないのと、神にすべてを委ねているからです。ヨハネの黙示録にもあるように、『わたし(神)は、あなたの行いと労苦と忍耐を知っている』と神がおっしゃるのだから」と平野さん夫妻は言う。
今はクッキー製造をニューヨーク恵泉塾の塾生労働の一部とすることを考えているが、ゆくゆくは余市の恵泉塾のように、農業もできるような広い土地が欲しいそうだ。ニューヨークの恵泉塾も開いたばかりで、今年の夏、初めて日本からの青年1人を3カ月間受け入れた。その青年はある教会の牧師の息子で、重度の統合失調症を患って再起不能状態となり、余市の恵泉塾に6年半いたそうだ。景色が灰色に見え、物を食べても味も分からなかった状態だったが、6年半の歳月を経て北海道の自然が美しいと思えるようになり、食べ物の味も分かるようになった。そして社会復帰をした今、米国を3カ月間訪れ、証しをして回ったという。
このニューヨークの恵泉塾も、余市同様面談があり、ルールは設定されているが、老若男女を問わず、その人の信仰の有無も関係なく、キリストの力と愛で癒やされたい人には誰にでも門は開かれている。現時点では、聖書の学びなどすべてが日本語で行われているため、日本人が対象だが、「将来的に違う言語の人も来れば、神がその時にはバイリンガルのスタッフを与えてくれるでしょう」と平野さん夫妻はさらりと話す。
この御言葉クッキー「ニューマ・クッキー」は、小麦粉やバターなど、原料の97パーセントがオーガニックの手作りバタークッキーだ。最近は抹茶を混ぜた、抹茶クッキーもできた。さっそく頂くと、サクッとした食感で、口の中にバターと抹茶の味と香りが広がり、抹茶とバター好きにはたまらない味。添加物など余計なものは何も入っていないが、代わりに御言葉と平野さん夫妻の愛がいっぱい詰まったクッキーだ。
オンラインで注文を受け付けており、最小オーダーは12枚入りセットが17ドル(約2000円)。米国外にも発送可能で、ギフトとして贈るのには絶好の品だ。一人でも多くの人に、神の御言葉を食べてもらいたいと切に願う。