アジアを代表するフォトジャーナリスト・大石芳野氏の写真展「戦争は終わっても終わらない」が、立教大学池袋キャンパス・チャペル会館(東京都豊島区)で6日から開催されている。主催の立教大学キリスト教教育研究所(JICE)は写真展に伴い、大石氏を招いての講演会を7日、同大キャンパス内で開いた。大石氏は、この日集まった参加者約150人を前に、戦後70年たっても消えることのない戦争による傷の深さと大きさを、アジア太平洋戦争における広島・長崎・沖縄・東京大空襲を経験した人々を記録した写真を通して語った。
40年にわたり、戦争の惨禍に見舞われた世界中の地域を取材し、そこで暮らす人々を正面から撮影してきた大石氏。戦後70年の今年、日本の戦争が残した傷跡と、それに苦しみながらも不屈に生きる人々に焦点を当てた作品192点を写真集『戦争は終わっても終わらない』(藤原書店)としてまとめた。今回の写真展は、そのうち35点が展示され、講演会もそれらの写真をもとに「戦火を生き抜く・平和を生きる」と題して行われた。
大石氏は冒頭、戦争を体験した人にとって、戦争の影というのは決して消えることはないと述べた。「極限状態の中、黒こげのたくさんの死体をまたぎ踏みつけて逃げた記憶は、『戦争だから仕方なかった』で片づけることはできず、生涯にわたって慣れることができない記憶となってその人たちを痛めつける」と言い、「戦争は終わっても終わらない」のだと力を込めて語った。そして、「戦争は、生きてきた長さのほんのわずかの期間でありながら、『戦争ほど不幸なものはない』という気持ちを、長きにわたって抱き続けることになってしまう。そんな一人一人の思いを受け取り、自分と重ねてもらえればと思う」と話した。
写真展に展示されている作品は全てモノクロ写真で、大石氏はそれらをスクリーンに映し出しながら1枚1枚丁寧に説明した。長崎で被爆し、戦後体調不良のまま浮浪児となり、原爆差別に傷つきながら生きてきた男性の写真が紹介された。大石氏の「彼は前を向いて生きてきた」という言葉は、その人の曇りのない目が証明していた。また、被爆した浦上天主堂(長崎市)の木製のマリア像やミサの写真なども紹介され、明治時代になっても続いていたキリスト教弾圧の歴史も戦争の傷跡と共に残っていることが伝えられた。
広島の写真では、被爆の後遺症に苦しみながらも、ひた向きに生きる女性の姿などが紹介された。東京大空襲で江東区の隅田川一帯は火の海となり、火だるまになって逃げまどう住民、川面いっぱいに筏(いかだ)のように連なった遺体が忘れられないと語る人々の写真。また、「思い出したくないから戦争の話はしたくない」と言いながらも東京大空襲の焼け跡が残る東京都江東区の同潤会アパート(2002年解体)で暮らす男性のポートレートも映し出された。
大石氏は、「次につながることとして考えてほしい」と言い、毒ガス製造の島・大久野島の写真を紹介した。薬品と思われる染みが残る貯蔵庫内部を撮影した写真を映し、ここで多くの毒ガスが製造され、当時中国大陸に輸送されていたことを説明した。続けて1989年に撮影した、病院で治療を受ける男性の写真も紹介した。その男性が何も知らされないまま大久野島に連れてこられ、監禁同様に毒ガスの製造をさせられていたこと、撮影当時、毒ガス製造による後遺症で、入退院を繰り返し、毒ガス被害者の治療で知られる忠海病院(現在の呉共済病院忠海分院)院長、行武正刀氏(1935-2009)の診療を受けていたことを説明した。「忠海分院の症歴室には現在、行武氏が診療した約4200人の患者カルテが保管され、これは非常に貴重なものだと思う」と大石氏は語った。
大久野島の毒ガス製造とつながることを示唆したのは、捕虜などを被験者にして人体実験を行った旧日本軍「731部隊」に関連した3枚の写真だ。中国ハルピン市に残る日本軍が使っていた官舎は現在、集合住宅になっているという。ハルピン市の中にある平房区(当時のピンファン)には731部隊の建物がある。大石氏の写真には、人体による冷凍実験を繰り返した後や、薬品がこびりついた実験、研究の器具が撮影されていた。
沖縄の写真では、幼い子どもを失った女性の写真を紹介し、防空壕の役割を果たしていた自然壕で多くの子どもの命が失われたことを明かした。衝撃的な写真は子どもの頭蓋骨だ。大石氏は「すべて大人の責任だと訴えるよう」と表現し、「自然壕は、日本兵との同居が悲劇を招いた」と語った。大石氏は、沖縄の基地についても現在の基地の写真と共に言及した。その写真は、基地のフェンスの向きが外側を向いており、「アメリカ軍は沖縄の人を囲っているように見える」と述べた。さらに、「私たちは沖縄から遠くにいて分からないことも多い。しかし、何が真実なのか、何が事実なのか見極めていくことは大切だ」と話した。
大石氏は、沖縄の子どもたちが一つ一つの石に番号を付けて積み上げた、23万6095個の「石の声」と題した写真を見せ、「この石の数は戦争で亡くなってこれまでに名前が判明した沖縄県内外と国外の総数」と説明し、それを見た子どもたちが、「戦争ってそういうこと、命ってそういうことなんだ」と受け止めたことを話した。そして、炭状になって誰のものか分からない人骨の写真を映し、「私はこれが戦争なのだと強く思う」と述べた。
最後に大石氏は、「戦争は政治の暴力。気配の波を感じた時ならまだ止めることができると信じて、40年写真を撮り続けている。コソボの人の話を聞いて思ったのは、気配が小さいうちならまだ止められるということで、遠いコソボの戦争であっても、本気になれば日本からでも止められるのではないかと考えている。今は、日本の政治も戦争という方向に来ているので、気配の波が大きくならないうちに声を上げて、何とか戦争を阻止していかなければならない」と強い思いを語った。
主催のJICEは7月17日、「平和安全法制整備法案」採決に対して、立教大学チャプレン団と共に、キリスト教に携わる者として日本の重大な歴史的局面に沈黙を選んではならないと考え、「敗戦70年を迎えて」と題したメッセージを発表した。また、戦後70年の今年は、「思索と行動」をテーマに活動を展開している。来年2月29日から3月3日には、今回の写真展・講演会に関連して、沖縄の戦争の歴史をたどる「沖縄フィールド・トリップ」の開催を予定している。
講演会に参加した大学生の女性は、「大石さんの話に感動した。戦争で深い傷を負った人たちの思いを知り、戦争についてもっと学ばなければならないと思った」と感想を述べた。また大学でコミュニケーション学を教えている教員の女性は、「言葉の力以上に写真が語る力を強く感じ、1枚の写真に込められた意味について考えさせられた」と語った。
写真展は14日(土)まで。入場無料。時間は平日午前10時から午後6時30分(最終日は午後1時)まで。問い合わせは、キリスト教教育研究所(電話:03・3985・2661、メール::[email protected])まで。