「ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:16、17)
ニュースを見ると、「ハロウィン」で、悪魔やゾンビの仮装をした人々が街に溢れ大変な騒ぎだったそうです。「ハロウィン」は北欧の民間宗教に由来した祭りで、そこで祀られているのは「死神=死をもたらす神」。教会とは全然関係ありません。私たちがあがめるのは、命の与え主である神様です。
今、世の中では、素直に人を愛せない、屈折した価値観が浸透し、何か悪魔的なものを呼び込んでしまう風潮があります。それに惑わされてはなりません。私たちを罪から救うために、ご自分の命まで捨てて十字架にかかって死なれたキリストをあがめる者でありたいと思います。「命を呼び込み、救いを招き入れる」歩みでありたいと思います。宗教音痴の日本人の中にあって、キリストの愛の水準にかなう生き方を選び取って本当に幸せになりましょう。
私たちの罪を清めるために十字架で尊い血を流されたイエスの救いを事実として受け止めましょう。世の中には人が作り出したさまざまな処世訓や哲学といわれるものがありますが、神の言葉が語る原則にもう一度自分自身を据えて、恵みをしっかりといただきましょう。
今日は、大切なことを2つ確認しましょう。
1. 神が語られる通りにキリストを知る
人の知識としての知り方とは、図書館の「偉人伝」の中で「イエス・キリスト」を知るような知り方です。一方、聖書が語るのは、「キリストが私を愛してくださった。キリストの死は、私のためだった」(14、15節)ということを知ることなのです。もはやキリストとあなたは、他人の関係ではありません。もうすぐクリスマスですが、単にキリストの誕生日をお祝いするというだけでは終わりません。キリストがこの世にお生まれになったということは、罪が支配し悪の力がはびこっているこの世に、神の恵みと救いが進入し、死ぬべき私たちが永遠の命へと結び付けられ、本当の救いを体験できるようになったということなのです。クリスマスは、それを祝う時なのです。
2. 新しく生まれ変わらせていただこう
キリストが私を愛して私のために死なれた、ということを受け入れるならば、あなたが何者であろうとも、新しく生まれ変わらせていただけるのです。
聖書が語っている救いは、私たちの存在、生命の一番深いところから、まったく新しくされるということです。イエスが与えてくださる新しさは、私たちの命の質までも入れ替えることができるのです。
罪を赦(ゆる)され、神の前に義とされることの意味の大きさを忘れてはいけません。聖餐式で配られるパンは、ただのパンではありません。十字架にかかられたイエスの命を表すパンです。配られるぶどう酒を軽んじてはいけません。それは、十字架の上で流されたキリストの尊い血です。聖餐式は、単なる儀式ではありません。救い主イエス・キリストを100パーセントいただいて、必ず救われ、病は癒やされ、一切の悪しきものから解放されるのです。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。