機体に世界中のさまざまな民族の人たちの笑顔を乗せ、大空を舞うジェット機。ANA創立60周年を記念した「ゆめジェット」だ。世界36カ国、7千を超える応募作品の中から選ばれたこのデザインを描いたのは、「世界中に笑顔を広げるアーティスト」として活躍するRIE(間弓莉絵)さん。さまざまな挫折や困難を経験しながらも、小さな少女の笑顔に救われたというRIEさんに、アーティストとして歩んできたこれまでの日々について話を聞いた。
大阪府堺市で生まれ、ガラス工芸家の父と大学でテキスタイルを学んだ母、ガラス絵や油絵、陶芸を趣味とする祖父母という芸術一家の元に育ったRIEさんは、幼い頃から絵筆を握っていたという。一目でRIEさんの絵だと分かる「笑顔でいっぱいの丸い顔」は、中学生の頃から描いてきたRIEさんのスタイル。
母がカトリック信者だったこともあり、中学2年生の時に受洗。ガラス工芸家の父と同様に、「自分の手から生み出す」モノづくりの仕事がしたくて、美術短大に進み、陶芸を学んだ。しかし、芸術家として歩む生活の大変さを知っている父から猛反対され、アーティストの夢を一度は断念せざるを得なかった。将来を思いあぐねていたRIEさんは短大卒業後、ワーキングホリデーでオーストラリアへ渡ることを決意。オーストラリアでの1年間の生活は、RIEさんに「世界で働きたい」という夢を抱かせることになった。
帰国したRIEさんは、テレビ番組で世界を飛び回る女性リポーターを見て、「これだ!」と思い、その場でテレビ局に電話し、リポーターになるための方法を聞いた。「思い立ったらすぐ行動してしまうんですよね」と言うRIEさんは、リポーターになるためにはプロダクションに入って、オーディションを受けなければならないことを聞き、オーディションを受けやすい東京に移ることに。しかし、東京の高い物価と家賃が生活を圧迫し、オーディションを受けるどころではなくなり、またもや夢を断念してしまう。
この時、22歳になろうとしていたRIEさんは、「夢は子どもの時に見るもので、大人になったら口にしてはいけないものだ」と思ったという。そして、生活のために不動産会社の営業員として働くようになるが、完全歩合制のその会社で休みなく働くうちに、対人恐怖症となり、「自分は何のために生きているのだろう?」と思い詰め、躁うつ病を発症してしまう。「これ以上、会社にいたら胃に穴が空く」とドクターストップがかけられ、会社を辞める決意をした。そんなRIEさんに転機をもたらしたのは、3歳年下の妹が誘ってくれたマレーシア・ボルネオ島へのホームステイができるエコツアーだった。
「営業で働いていたとき、誰も私に話し掛けてくれず、自分が必要とされていることや、愛されていることを感じられなかった」と当時のつらい思いを振り返るRIEさん。ボルネオ島に来ても、最初はなじめず一人でポツンとしていたという。そんなRIEさんのところに、ステイ先の子どもが一点の曇りもない満面の笑みを浮かべて片言の英語で話し掛けてきた。「その子に、『日本に行きたいけれど、行くことができない。でも、こうしてあなたが来てくれるからいいの。あなたに会えることが私の宝物なの。ありがとう』と言われ、大事なものに気付かされました」と語るRIEさんの目からは涙が溢れた。
その笑顔を見て、「こんな私にも笑顔を向けてくれる人がいる。人として認めてもらえている」と感じたという。学校に行くことができないほどの貧しい中でも、笑顔を絶やさない明るい子どもたちや、もてなしてくれる島の人たちの心の豊かさを感じ、RIEさんは「日本人としてできること」を考え始めたという。
帰国後、RIEさんはすぐに、「日本人としてできること」を紙に書き出した。日本人であるというだけで、どれだけ多くのことができるかをあらためて知り、「希望があってもそれがかなわない国の人々のために、日本人としてできることをしていこう」と決意した。そして、そのためにまず、自身の病気を克服しようと決めた。
その第一歩として、友人の紹介で都内のカフェで働くことに。ある時から、店の入り口に置かれたボードに日替わりの案内を書くことを任された。そして、そこに描いた絵が店の人の目に留まり、店で行われることになっていた結婚式の二次会のための「ウエルカム・ボード」を描くことになった。絵を見て喜ぶ新郎・新婦の笑顔を見て、「自分の絵で笑顔を届けることができた」と感じたRIEさん。ボルネオ島で出会った少女の時と同じように、再び笑顔がRIEさんの背中を後押しした。
その時から「笑顔」と「絵」が、RIEさんにとって切り離せないものとなった。ただ、人への恐怖は消えず、自分の絵を他人に見せるまで3カ月近くかかることもあった。RIEさんは、「水面に小石を落としたときに、少しずつ広がっていく波紋のようにゆっくり笑顔を広げていけたらいい」と思っていたと当時の思いを語る。
小さな公募展で入選を重ね、アーティストとして少しずつ自信が出てきたRIEさんに、さらなる自信を与えたのが、ANA創立60周年記念機体デザインコンテストだった。応募総数7042件の中から大賞に選ばれ、そのデザインがANAのボーイング機にペイントされ、大空に羽ばたいたのだ。「以前から、自分の絵が描かれた飛行機を飛ばすのが夢だと周りに話していたのですが、周りの反応はいつも『何言ってんの?』と冷ややかで・・・。でも、ANAのコンテストを教えてくれたのは、そういった人たちだったんです」とうれしそうにRIEさんは話す。
「夢ってかなうんだなと本当に思うんです」と語るRIEさんだが、実はアーティストとして活動するこの8年の間に3回スランプに陥っている。特に3回目の時は、本当にアーティストをやめる決心をして、最後の個展を開いたという。しかし、その個展に訪れたあるスペイン人が、スペイン語で「rie」が「笑って!」という意味だと教えてくれた。「その言葉が、神様からの『このまま絵を描きなさい』という声に聞えました」と、RIEさんは涙で潤んだ目で振り返る。
今年3月に出版された片柳弘史神父の新著『世界で一番たいせつなあなたへ』では、RIEさんが挿絵を描いた。同書では、インド・コルカタでマザー・テレサと共にボランティア活動をした片柳神父が、マザー・テレサの言葉やエピソードから、身近に触れたマザー・テレサの姿をつづっている。
マザー・テレサの言葉にぴったりの絵ばかりですねと言うと、「何度も何度も、マザーと対話を繰り返して描きました」という返事が返ってきた。そして、この本の中にある「わたしは神さまの手の中の小さな鉛筆。神さまが考え、神さまが描くのです」という言葉が大好きだと話す。「神様が私を使って描かせてくださる絵を通して笑顔を広げることが、神様のお役に立てることだと思っています」と語るRIEさんの顔は、見る人の心をリラックスさせ、笑顔にさせるRIEさんの絵同様に、包み込むような慈愛に満ちていた。
東京・銀座の教文館では、「マザー・テレサフェア2015」に併せて、RIEさんの個展「世界で一番たいせつなあなたへ」が、3階キリスト教書部内ギャラリー・ステラで、21日(月祝)まで開かれている。時間は午前10時~午後8時(日曜日は午後1時~8時)。入場無料。期間中は、朗読会やサイン会なども行われる。詳しくはこちら。