神はどんな存在だろうか?聖書にはシンプルに「神は愛」と書かれている。その神の愛を知り、過去に持っていた傷が癒やされ、今はその愛を自分に与えられたギフト(賜物)を用いて世の中に伝えたいと話すフォトグラファーがいる。彼女の名前は青山沙織さん(28)。建築やアーティスト、製品、レストランやカフェのメニューなど、コマーシャルフォトを中心にさまざまな分野の写真を撮影している。
幼い頃から、物事一つ一つについてよく考える子だったという沙織さん。比較的裕福な家庭で育ったこともあり、将来を見据えて中高大一貫の学校を選択した。しかし、自身のアイデンティティーがどこにあるか悩むようになり、さまざまな疑問、問題にぶつかるごとに考え過ぎて、絶えず悩みを抱えるようになった。周囲からも理解されなかったり、厳格な父親と関係がうまくいかなかったりと、成長するにつれて悩みはより大きくなっていった。
そんな彼女に転機が訪れたのは大学生の頃。母親の友人のクリスチャンを通じ、一冊の本に出会った。「その本は一般の人に向けて牧師さんが書いた本。薄くて活字の苦手な私でも読める本でした」と振り返る。その中にあった「天のお父さん」というフレーズが心に響いた。「クリスチャン独特の表現で最初は意味がよく分からなかったけど、『肉親以外に父親がいるの?』って疑問に思って、気になる表現でした」と言う。
また同級生にもクリスチャンがおり、大学3年生の頃に彼女が通う教会に行ってみた。「当時はちょうど就活もあって、今まで抱えてた問題の上にさらに(就活が悩みとして)のしかかってきた。自殺も考えたけど、今振り返るとすごいタイミングだったと思います」と振り返る。教会に行って聖書を読み、自分の行動や考え、価値観が何度も「罪」と指摘され、「自分は洗礼を受けちゃいけない」と思った時期もあったというが、「神様は、自分がちゃんと悔い改めてるなら、私の罪を赦(ゆる)し傷も癒やしてくれる、と聖書を通して語ってくれました」と、洗礼を受けた経緯を語る。
そんな彼女が写真の魅力に目覚めたのは、教会に行き始めてからのこと。教会のホームページに載せるために、毎週写真を撮っている人と会ったのがきっかけとなった。その頃はまだ、写真のための専門の奉仕チームというのは特になかった。沙織さんの当時の趣味はコスプレで、その撮影のためにそれなりのカメラを持っていたこともあり、教会でもさまざまな場面で撮影を頼まれるようになった。「誰かの役に立っている」と、やりがいを感じた彼女は、写真撮影を担当していた教会のスタッフに写真撮影のためのチームを作ることを提案した。
写真撮影という教会での奉仕から始まり、現在はフォトスタジオでプロのフォトグラファーとして働くようになった沙織さん。教会では、沙織さんの提案通り、写真撮影のためのチームも立ち上がり、クオリティーの高い写真を提供するとともに、新しく奉仕に加わる人たちに技術指導を行っている。
写真は動画と違い、動きがなく、音を加えることもできない。一瞬を捉えたその画像自体で全てのメッセージを伝える必要がある。「写真は、その一瞬の空気とか被写体の本質を伝える媒体。それらが見えなければ意味がないし、その“瞬間”を的確に捉えなければならない」と沙織さんは難しさを語る。しかし、「いろいろな時に写真を頼まれて、私が撮った写真をみんなが喜んでくれた。個人の技量を褒めてもらえるのもうれしいし、そうやって人の役に立とうという心を神様が喜んでくれるのが一番のやりがい」と、うれしそうに語る。
「私の場合は、“天のお父さん”っていうフレーズだったけど、神様と知り合うきっかけを私ができることを通して提供したい。そして一人でも多くのクリスチャンじゃない人に神様に触れてほしい」と笑顔で語った。