「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16~18)
あなたは、自分の顔が好きですか。1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの学者アレキシス・カレルは、著書『人間―この未知なるもの』の中で次のように述べています。
「私たちの知らない間に、私たちの顔つきは、心の状態によって少しずつ造られていく。そして年齢を経るにつれて、それは増々はっきりとし、人間としての私たち全体の感情・欲望・希望など、すべてのものを表す看板のようになる」
アブラハム・リンカーンも言いました。「男は40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持たねばならない」
私たちの顔は、私たちの品性・品格を写す鏡のようなものかもしれません。
冒頭の聖句は、私たちが自分の品性を磨き上げるために大切なことを教えてくれます。
①「いつも喜んでいなさい」
これは、いつも冗談を言ってゲラゲラ笑っていなさい、という勧めではありません。いつでも心を前向き・肯定的・創造的に保ち、何かあっても微笑を絶やさないような心の態度のことです。
人は笑うとき、顔の筋肉を13本使い、怒るときは47本使うのだそうです。いつも怒っている人は、それだけ早く顔にしわを刻むことになり、しかも醜いしわが入ります。しかし、いつも微笑んでいる人は、しわは少なく、しかもきれいなしわを刻むことができるのです。
②「絶えず祈りなさい」
祈りとは、「天地創造の唯一まことの神に向かい、心と手を合わせ、自分の幸福だけでなく、他の人々の幸福も願うこと」です。
2001年、福岡で世界水泳大会が開催されました。この大会の注目は、イアン・ソープ選手が7種目で金メダルを獲得できるかどうかという点でした。
しかし、最初の得意とする200m平泳ぎで、なんと4位になってしまいました。殺到したマスコミに「今、どんな心境ですか」と尋ねられると、彼は「別に、特にないよ」と答えると、さっさと仲間の応援に加わりました。
その後ソープ選手は、残りの6種目すべてで金メダルを獲得したのです。
ソープ選手は、別の選択も可能でした。最初の種目で失敗したとき、ガッカリしてロッカールームに一人こもり、誰にも会いたくないという態度を取ることもできました。
しかし、彼は自分のことだけを考えるような心の狭い人間ではありませんでした。他の仲間が戦っているのを心から応援できる余裕があったからこそ、その後のレースに全勝できたのです。
③「すべての事について、感謝しなさい」
イソップ物語に、「金の卵を産むガチョウ」の話があります。このガチョウは、毎日一個ずつ金の卵を産んでくれるのですが、若者は早く金持ちになりたいと思い、ガチョウを殺し、お腹の中を探ります。しかし何も出てこなかったというお話です。
この物語は「欲張りの人は結局損をする」「今を感謝しない人は大切なものを失ってしまう」ということを教えてくれます。
私たちの仕事に対する態度も三段階あります。一番下の段には、「仕事をさせられている」と思いながら働いている人々がいます。ですから、一日の終わりには疲労感が押し寄せてきます。
真ん中の段には、「仕事をしてやっている」と思いながら働いている人々がいます。これらの人々は、自分の収入や労働環境について、いつも不平不満でいっぱいです。仕事を喜びとすることができない人たちです。
一番上の段には、「仕事をさせていただいている」という感謝の心に満ちている人々がいます。彼らは、仕事を喜びとし、置かれている環境を感謝して受け取ることのできる人たちです。
この祝福の階段は、上に行くほど空いています。
このように「喜びと祈りと感謝」は、私たちの心を実に豊かに育ててくれるのです。そして、その豊かにされた品性は、あなたの顔の上で輝きを放つでしょう。
◇