1日に85歳で召天した伝道者・滝元明牧師の凱旋式・リバイバル感謝聖会が14日、新城文化会館(愛知県新城市)で行われた。日本を代表する伝道者の死を惜しみ、日本のリバイバルを願って、猛暑の中、全国から約900人が集まった。3日には滝元牧師の凱旋式(召天式)が新城教会で行われており、約600人が参加。14日の凱旋式・感謝聖会も当初は同教会で予定されていたが、多数の参加希望者がいたため会場を変更しての開催となった。
第一部の凱旋式は、司式の平岡修治牧師(橋本バプテスト教会)が開会のあいさつをし、懐かしのゴスペルフォークグループ「グロリアシンガーズ」が登場、「主が声を出すと」を賛美して始まった。そして、有賀喜一牧師(全日本リバイバルミッション代表)が、「『凱旋式』と呼ぶのは型破りですが、まさに滝元先生にふさわしい」と語り、立ち上がった会衆と共に「ハレルヤ!」と叫んで、申命記34章5~6節を朗読。「今日、新しいリバイバルの前進の日としてください」と力強く開会祈祷をした。
新城教会が四軒長屋の建物を使っていた60年前の写真など、「滝元明の思い出」が映し出され、亡くなる1週間ほど前に収録した、病床の滝元牧師がこれまでの感謝を伝えるビデオレターも紹介された。さらに、滝元牧師の孫たちや、ジョン・フルカー、ロン・ブラウン、ティム・ケプラーらが特別賛美をささげた。
凱旋式でメッセージを伝えた平岡牧師は、滝元牧師のメッセージで救われたことを語り、最初に滝元牧師が末期がんだと聞いたときは一晩中泣き明かしたと話した。しかし、カナンの地に入れなかったモーセを思い出したと言い、申命記34章5〜6節には、モーセが主の命令によって死に、誰もモーセが葬られた場所を知らなかったとあり、モーセと同じように滝元牧師も主が取られたと思わされたと語った。
また7節には「モーセが死んだとき(中略)彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった」とあり、これも滝元牧師の最後の姿と同じだったと言い、「先生の地上の生涯は終わりました。しかし、先生の天的生涯は終わりではない。やがて先生とお会いするのを楽しみにして、いい報告ができるように歩んでいきましょう」と結んだ。
親族によるあいさつでは、滝元牧師の長男で、新城教会主任牧師である滝元順牧師が、全国、また海外から集まった参加者に感謝を述べ、「私の父は本当に幸せな男でした」「8月1日に本当に安らかに天に帰って行きました」と語った。
7月7日に肝臓がんが発見された滝元牧師は、その直前の5日まで第一線で働いた。11日には食道の静脈瘤(りゅう)が破裂したが、日曜日であった翌日12日には新城教会で最後のメッセ―ジを語った。その後、20日間の入院生活を過ごし、この地で85歳11カ月の生涯を全うし、天へと帰っていった。
順牧師は、「この新城文化会館は、父が最初に伝道した場所です。今日は、父ではなく、ここまで用いてくださった主に焦点を当てましょう。父の一番願っていたことは日本のリバイバルを見たいということです。私は彼の願いを引き継いで、日本のリバイバルの実現のために祈っていきたいと願っています」と述べた。
第二部のリバイバル感謝聖会は、ジョー・ハイト牧師(米ヤキマ・バレー・ライフ教会)の開会祈祷で始まった。終戦の日の前日となったこの日は、戦後70年のとりなしの祈りと悔い改めの祈りが行われた。滝元牧師の次男である滝元望牧師(SIRネットワーク代表)が祈りを導き、「私は3年8カ月前から太平洋戦争の戦場に行ってとりなしの祈りをしてきました。70年はエレミヤ29章4節の『将来と希望』を与えるものです。70年前、日本の教会は、天皇に忠誠を誓い、神社に参拝し、積極的に戦争を押し進めました。首相の70年談話に意味があるのではなく、日本の教会が神の前に自らの犯した罪を悔い改めることです。この祈りはダニエルからネヘミヤまで受け継がれたように、私たちの孫、ひ孫、その後まで引き継がれるものです。アジアの国々を蹂躙(じゅうりん)し、侵略したことを悔い改めます。今日、日本の教会に将来と希望を与え、聖霊の力を与え、そのためのリバイバルを与え、米国、英国を祝福してください」と、とりなしの祈りと悔い改めの祈りを促した。
そして、ティム・ケプラーによる特別賛美「この国のいやし」があり、1993年の「全日本リバイバル甲子園ミッション」から2015年の「沖縄70リバイバルミッション」までの様子が、スライドショーで映し出された。また、海外からのアーティストが、「アメイジング・グレイス」(ロン・ブラウン)、「Awesome God」(ティム・ケプラー)、「He Is」(ジョン・フルカー)を賛美した。
滝元牧師が、1993年の全日本リバイバル甲子園ミッションで語ったビデオメッセージも上映された。滝元牧師はこのメッセージで、「ハレルヤ!」と叫びながら登場し、「私は19歳で教会に行き2回目で信じました。洗礼の時に、伝道者になり世界中に行きたいと祈り、神様はその祈りを聞いてくださり、痔(じ)も癒やされました。他の宗教でも癒やしはあります。しかし、罪の赦しはキリスト教だけです。神様はあなたの家庭を祝福し、あなたの千代まで祝福すると言います」「イエス様を信じる者は永遠の命を与えられます。それまで死ぬことが怖かったですが、この言葉で怖くなくなりました。私の父も母もイエス様を信じて天国に帰りました。このキリストを信じましょう」と招き、炎の伝道者といわれるのにふさわしい力強いメッセージを語った。
滝元牧師の臨終の際、順牧師はネパール宣教に出掛けており、滝元牧師が召天するわずか15分前にインターネットの通信で顔を見ることができたという。「モーセには比べられませんが、父は日本のリバイバルでは先駆者的な働きをしたといえる」と順牧師。モーセはエジプトから民を引き連れ、カナンの地を見ながら死ぬが、その後ヨシュアと新しい世代が用いられた。新約聖書学者のN・T・ライトは、クリスチャンとは神のプロジェクトに加わる者と定義していると言い、「神様は天地創造から新天新地までの壮大なプロジェクトを持っている。父も、神様の日本のリバイバルというプロジェクトに参加し、今や私たちがヨシュアの世代といえる。この完成は宣教の業によってなされる」「私たちは、神様のプロジェクトを受け継いで完成を見たい。この日本で信じられないほどの多くの人々が主を信じて新天新地に入る、主の再臨を見たら幸いだと思います。今日、私たちはヨシュア世代として決断の時としたい」と語った。
そして最後には、奥山実牧師(宣教師訓練センター所長)が、「滝元先生は自分の教会の成長だけを考えていない。日本中の救いを願っていた。私は第二、第三の滝元明が出てきてほしいと思う」「現在のリバイバルは教会刷新だけではなく、異教徒がたくさん救われることです。滝元先生も最先端を行き、世界のリバイバルを祈っていた。今、世界中で日本のリバイバルが祈られています。日本のリバイバルが来ます」と述べ、祝祷をささげて聖会は幕を下ろした。
聖会後には、滝元牧師が生前、参加者をもてなすようにという遺言を残していたとし、新城教会で夕食懇談会が持たれた。
京都市から参加した50代の女性は「燃やされましたね。励んで主の愛を伝えていきます」と語った。全日本リバイバル甲子園ミッションを経験し、埼玉県から来たという50代の女性は、「第一部は涙、涙、涙で聞いていました」と感想を語った。滝元牧師自身も生前、参加することを切に願っていたというこの日の聖会は、聖霊の風が吹く賛美、御言葉、祈りに溢れ、参加者に涙を運ぶ聖会だった。
滝元牧師の自伝『われ土方なれど』によれば、滝元牧師は愛知県の山奥、下津具(しもつぐ)村で、近所にはたった4軒しかない山の中の家で生まれた。東京で救われた後、郷土伝道を志して土方をしながら開拓伝道をした滝元牧師。その人を主は日本のリバイバルの器として尊く用いられた。何と感謝なことだろうか。