今年3月、中外日報社が主催する第11回「涙骨賞」の最優秀賞に、青山学院大学准教授の森島豊氏(元日本基督教団長崎平和記念教会牧師)の論文「日本におけるキリスト教人権思想の影響と課題」が選ばれた。比較的レベルの高い作品が集まった、と選考委員会が概評した総応募数40編のうちから、最優秀賞に選ばれた森島氏の論文は、プロテスタント人権思想の歴史的展開をたどり、キリスト教が日本国憲法に与えた影響を論じたもので、各委員が一致して高い評価を与えたという。
最優秀賞授賞は3年ぶり、5作品目で、キリスト教関係の論文に賞が贈られたのは今回が初めて。同社は1897年創刊の仏教超宗派の新聞「中外日報」を発行している新聞社だが、仏教の各宗派だけではなく、神道やキリスト教などの他宗教も報道対象としている。創刊者の宗教家、真渓涙骨(またに・るいこつ、1869~1956)の名を冠したこの賞は、広く精神文化をテーマとした論文や評論を募って優秀な作品を表彰している。
青山学院大の研究室に話を伺いに行くと、森島氏は「賞という形で研究が認められたことは初めての経験で、とても嬉しかった」と受賞の感想を聞かせてくれた。同時に、キリスト教界より先に仏教界から評価を受けたことについて、「この論文が明らかにしている問題とこれからへの課題は、もっとキリスト教会の方々に知ってほしいこと」だと、論文に掛けた思いを語った。
この論文は、現在の日本が、人権が失われようとしている危機的状態にあるとし、なぜその動きに歯止めを掛けることができないのか、なぜ人権を守ろうとする動きが断片的で継承されていかないのか、と問題提起する。森島氏は、その最大の要因の一つを、「人権を法律に定めて保障しようとした原動力と歴史的経緯を日本人が知らないからだ」と指摘し、日本で人権が法制化されていった過程にキリスト教の影響があったことを述べている。
欧米における人権思想史では、先行研究によって、人権という理念がキリスト教の信仰運動の中から生まれてきたことが明らかにされている。人権の中でも、特に抵抗権の確立は、宗教改革者ジャン・カルヴァンの「王は従うべき存在であるが、王が神に逆らうことをした場合には、それに抵抗しなければならない」という思想が発端となっている。この思想は、論理的には民主主義へと行き着くものであり、国家からの信仰の自由を求める英国のピューリタンたちに受け継がれ、彼らが渡った米国で史上初めて法律として定められることとなった。
日本における従来の人権思想史では、この米国の人権理念が、戦後、GHQによって日本に持ち込まれ、日本国憲法で「基本的人権の尊重」として法制化されたと考えられてきた。この考え方を受けて、「押し付け憲法論」が近年、話題となった。しかし、森島氏は、日本国憲法や人権思想は外国の手助けによってのみ形成されたものではなく、日本人の主体性が関与しており、その背景にキリスト教の影響があることを論文で明らかにしている。
この論文の中で森島氏が注目しているのは、特に日本国憲法に大きな影響を与えた思想家・学者たちが、キリスト教信仰との結び付きに自覚的であったということ。具体的には、明治期の自由民権運動家を通して、キリスト教人権思想に触れていたということだ。
明治期に私擬憲法「東洋大日本国国憲按(あん)」を起草した植木枝盛(1857~92)は、米国の独立宣言にある抵抗権とキリスト教信仰の関係に関心を抱いて教会に通っており、その文章を『明治文化全集』で紹介した大正デモクラシー期の思想的指導者、吉野作造(1878~1933)はクリスチャンだった。また、長年起草者不明となっていた植木の私擬憲法を発見し、その強い影響を受けて、戦後の憲法草案を作成した鈴木安蔵(1904~83)は、熱心なプロテスタントのクリスチャンホームで生まれ育った。この鈴木安蔵の憲法草案がGHQに高く評価され、今日の日本国憲法の成立に大きな影響を与えた。
こうして、潜在的であったとしても、キリスト教の影響を受けて日本国憲法に明文化された基本的人権。しかし現在、憲法の最高法規性について規定する日本国憲法第10章の中で、基本的人権の本質を確認する第97条が、自民党改憲案では全文削除され、失われる危機に直面している。人権は抵抗権に支えられて発展してきたが、その抵抗権は「人間である支配者への義務より上にある神への服従」を根拠としていた。神なくしていかに抵抗する根拠を見出せるのか。国家は宗教団体ではないが、人間である支配者に勝る「価値」を見いだし、その価値基準を正しく継承していくことができなければ、この危機的状況を克服することはできない、と森島氏は語る。
森島氏が、一つの可能性として提示する「価値」は、「歴史的に形成され、文化価値として認められてきた『公共の福祉』としての人権理念」だ。「公共の福祉」は、生まれながらの人間が本来持っている自然権に通じるものであり、国家もこの形成に仕えなければならない。この価値を継承する人間性を形成し、自由な存在としての人間性を国民に与え、この価値の継承者として「教育」することが大切だという。しかし、教育という手段では、それによって真逆の価値を形成することも可能になってしまう。道徳教育の教科化がうたわれ、文部科学省の国立大学への介入が深まっている今日、教育の現場で国家によって人間性が操作されることは容易になりつつある。
そこで森島氏が期待を掛けるのが、私立学校の存在。特に、キリスト教学校教育の責任は大きいとし、論文の結論としている。だが、さらに一歩踏み込むと、森島氏の視線は、キリスト教会に向けられている。キリスト教学校の建学の精神の担い手になるべきクリスチャンが少ないことを深刻な課題と受け止めている森島氏は、「教会がもっと、はっきりと分かりやすく、福音を語らなければならない」と話す。「神は生きておられ、あなたと共におられる。あなたは神に愛されている価値ある存在なのだ」。このメッセージを、教会こそが強くアピールし、正しい価値基準を持った人間を社会に送り出していく、「教会形成から、社会形成へ」という流れを作っていかなければと言う。
「歴史を学んでいると、過去を変えられたかもしれない『あの時』というターニングポイントがあったことが分かる。今がまさに『あの時』。これから起こるであろうことを止めることができるのは今」だと、森島氏は教育の現場から力強くメッセージを発信している。