「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら」(詩篇18:2)
母親が外出から帰ると、家の裏庭で子どもたちの楽しそうな声がします。母親はそっと様子を見に行くと、何と子どもたちは森からやってきた数匹のスカンクと戯れているではありませんか。臭いが洋服に着いたら洗濯しても絶対に落ちません。それで母親は大声で叫びました。「危ない!早く逃げて!」。びっくりした子どもたちは、それぞれスカンクを一匹ずつ抱えて、そこから逃げていったのです。
この出来事は、正しい情報を持っていないと正しい判断や正しい行動が取れないことを教えています。今日、多くの人々は過度のストレスに曝(さら)されていて心身共に疲れ果てており、時には健康を損ねてしまうこともあります。
「休日恐怖症」「日曜神経症」「昇進ノイローゼ」「単身赴任うつ」「サンドイッチ症候群」「燃えつき症候群」「上昇停止症候群」「青い鳥症候群」「空の巣症候群」「テクノストレス」。これらは心を病む現代人に付けられた病名です。
現代社会に生きる私たちは、ストレスと無関係に生きることはできません。ですからストレスに負けないで、ストレスを上手に前に進む力に変えることを学ぶ必要があります。そのために二つのことを知る必要があります。
(1)創造者なる神を知る
画家のゴーギャンは、地上の楽園を目指して旅立ち、タヒチ島に辿り着きました。しかし、そこも彼にとって楽園とはなり得ませんでした。彼は自分の最後の作品に、自分の心の内を表すかのようなタイトルを付けました。そのタイトルとはこうです。
「われわれはどこから来たのか。われわれは何か。われわれはどこへ行くのか」
私たちがこの問いに対する答えを見出すためには、私たちに命を与え、私たちの人生に素晴らしい計画を持っておられる創造者なる神を知らなければなりません。
なぜなら、この神はこう言われるからです。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)
(2)同行者なる神を知る
私たちは、しばしば孤独や絶望や挫折を経験します。しかし、そんな時に共にいて慰めや希望や勇気を与えてくださる神がおられることを知っている人は、何と幸いなことでしょう。
神は天から私たちを見下ろして、ただ「ガンバレ」と声援を送るだけの方ではありません。この神は、今から2千年前に人として私たちの世界に来られたイエス・キリストです。そして33年間この地上を歩まれました。そこで私たち人間が経験する孤独・痛み・悲しみのすべてを経験されました。
このイエス・キリストは、私たちに言われました。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:20)
一つの美しい詩を紹介しましょう。
「あしあと」 作者:マーガレット・F・パワーズ(松代恵美訳)
ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた」
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