キリスト新聞社と東京基督教大学(TCU)共立基督教研究所が共催する「教会と地域福祉」フォーラム21の第3回シンポジウムが28日、日本基督教団霊南坂教会(東京都港区)で行われた。「地域の悩みを教会の悩みに」をテーマに、地域と共に歩む教会の形成について参加者と共に考えた。
「フォーラム21」では、「教会と地域福祉」を日本の重要な宣教課題として掲げ、これまでにも高齢者福祉、児童福祉をテーマにシンポジウムを行ってきた。今回は、精神保健福祉をテーマに、北海道浦河町の社会福祉法人浦河べてるの家理事、向谷地生良(むかいやち・いくよし)氏を基調講演者に招き、「ベてるの家」の活動を通して生まれた「当事者研究」を紹介しながら、障がい者と教会、地域の新しい連携の在り方を提案した。
浦河町にある「べてるの家」は、1984年に設立された精神障がいなどを抱えた人たちの地域活動拠点。現在約100人が共に暮らし、活動している。その中で生まれた「当事者研究」は、本人が抱える、周囲に理解され難い生きづらさや苦労、葛藤といったことを、自分の大切なものとして捉え、その中から生きやすさに向けた研究テーマを見出すものだ。今では大学の研究機関をはじめ、さまざまなところで広がりを見せている。
向谷地氏は、当事者研究の意義について、自分を見つめ、自分を研究することで、自分が弱さを抱えていることを認めることができ、それを一人ひとりの強みに変えていくことができると話す。そして、これは本来の健康を取り戻すことでもあると言い、2000年続いてきたキリストの体である教会も、当事者研究をすることで健康を取り戻せるのではないかと、教会における当事者研究の必要性を語った。
コーディネーターを務めた東京基督教大学教授の稲垣久和氏は、「教会が、当事者研究から学び、これを地域に広める媒体になるのではないか」と発言し、「この研究は、自己を他者に開示して共に一人でないことを確認することにあるように思う」と述べた。また、ベてるの家の働きから、「まずは人々に寄り添い、人々の悩み、人々のニーズを聞く。ここから今日の宣教が始まる」と述べた。
この日は、各分野から3人の講師も招かれた。精神保健福祉士でもある聖学院大学准教授の田村綾子氏は、自身がソーシャルワーカーとして民間精神科病院に勤務した体験から、「制度は必要だが、そこから漏れてくる人が必ず出てくる」と日本の医療制度の問題に触れ、「漏れてしまった人に対する受け皿が必要」と話した。
また、教会については、「教会の制度の現状について、外の人から教えてもらうことも必要ではないか」と、開かれた教会を目指すことの大切さを語った。その一方で、教会で当事者研究に取り組むことを提案した。当事者研究をすることで、「自分は何を求め、何に悩んでいるのかが分かれば、教会のニーズも自ずと見えてくる。そしてそこからから地域に足りないものが見えてくる」と話した。
日本基督教団京葉中部教会牧師の山本光一氏は、ベてるの家がある同教団浦河伝道所の代務者として、2年ほど勤めた経験を持つ。その間、つらいのは、病気になることではなく、病気になったことで罪人扱いされ、家族と社会から排除されることだと気づいたという。
「教会は外の人たちによって変えられていく」と山本氏は言う。「制度から漏れてしまった人たちの受け皿を作っていくには、われわれが努力するしかない」。日本のクリスチャンが、家族や周りの人たちと仲良く暮らすことしか祈れなくなっていると危惧を示した。
精神科医の立場から登壇した日本アライアンス教団千葉キリスト教会牧師の山中正雄氏は、精神科医では無理なことでも、牧師としてならばできると話す。「真実で健康な人はイエス様だけで、全ての人間は病人だという共通項をもって向き合う」と言い、「教会はよくなるお手伝いができるのではないか」「医師よりも牧師として患者に寄り添っていきたい」と話した。
さらに山中氏は、偏見とは上から目線で裁く行為だと言い、「私たちは全員罪人で、本来ならば裁かれなければならない者」だということを知ることが大事だと話した。教会にはさまざまな試練があるが、それをどう共有し、絆をどう作るかが鍵で、「お互いさま」という関係が大切だと語った。そして、弱さを知っている人の方が、いろいろなことが分かっていると語った。
この日は参加者によるグループ討議も行われ、そこでも自分たちの体験などを通して、現在の教会について多くの意見が出された。各講師もグループ討議に参加し、刺激を受けたと話した。最後は、聖フランシスコの平和の祈りを、登壇者・参加者が一斉に唱えて閉会した。
次回の第4回シンポジウムは、9月に開催される予定。