カンタベリー大主教は、2月21日に英国中部の都市コベントリーで開かれた集会で、議論を呼んだ主教たちによる教書「誰が私の隣人なのか?」に対する挑戦的な弁明をした。
この教書は、英国の現連立政権に対し非常に批判的であったため、英国国教会に対しコメントを霊的な事項に限定するようにとの批判を招いた。
しかし、メソジスト教会、合同改革教会、英国バプテスト連合の合同公共問題対策チーム(JPIT)が開催したコベントリー・セントラル・ホールでの「隣人を愛せよ:考え、祈り、投票しよう」と題されたイベントの中で、ジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教は、政治家が公共政策に取り組む一方、教会が「円滑に勧められる家業である魂の救済」のみに携わるというのは不可能だと語った。
ウェルビー大主教は、それは「完全に誤った区別です」とし、「イエス・キリストを愛することと、全ての点で人々の繁栄に無関心でいることは両立できません」と述べた。イエスの良い知らせを宣べ伝えることと、社会を変革することは「不可分」で、文脈的には一つの硬貨の両面だと話し、「一つのことをすれば、もう一つもしているのです」と語った。
しかし、大主教は教会が特定の政治的思想に駆られることの危険に対しても警告し、「自己憐憫(れんびん)」に溺れることを避ける必要があるとも述べた。「これは、状況が本当に悪いときにのみキリスト教徒である私たちは幸せだという感覚です。これは共依存の風潮を招きかねず、これによって起こる最悪の事態は、社会問題が教会から締め出されることです。ならば、私たちは何をすればいいのでしょうか」
そして大主教は、失業がなくなったとき、仕事のない家庭が減ったとき、以前より多くのビジネスが立ち上がったとき、教会は喜ぶべきだと語った。さらに、デフレを避け消費を推奨する生活賃金を経済的理由で導入することについても議論した。
そして、政府が国家歳入のうち0・7%を海外への支援に充てていること、また現代奴隷制対策法(Modern Slavery Bill)を可決したことや、紛争地域での性暴力を防ぐための働きを行っていることを賞賛した。
「もし私たちが正義と政治への関わりについて語るなら、襟にある種のバッジを付けている人の話を安直に取り入れることはできません。それは良くないからです。それはイエスがしたことではないからです。ですから、私たちは喜ぶべきことを喜びましょう」と大主教。「もしある世帯が、ある家族が厳しい状況にあるのなら、それを支援する仕組みがあることを喜びましょう。私たちは労働市場での安定性と希望を高める全ての努力を支援すべきで、良い知らせは歓迎すべきです」
さらに、教書「誰が私の隣人なのか?」に対する批判に言及し、「先週の教書ではそのことを励行しました。かなり明白に行いました。全く受け入れられなかった人がいるのは明白でした。読んだ人数が史上最低だったとは言え、ほとんどの人は、それがとても良いとは思わなかったようです」と語った。
大主教は、キリスト教徒が政治に参加する必要を強調した。「公共の利益についての私たちの認識は、私たち自身が神のかたちに造られた者であるということ、またイエスが私たちに与えた、神を愛し、隣人を愛し、互いに愛し合い、敵を愛するという重大な命令から成り立っています」
ここ1、2年の間経済は回復している一方、「2008年に発生した件(リーマン・ショック)があるため、経済のあるべき姿と現在の姿には大きなギャップがあります」と大主教は指摘した。そして、この状況がただ一つの政党のみの過ちではないと強調。「特に1980年代に自分たちのために築き上げた、財政的、経済的構造のせいで起こったことです」と語った。
また、キリスト教徒に対して、「自己憐憫のあとに続き、虚無主義の前に来る冷笑主義に対する挑戦となるような変革へのビジョンを、興奮と動機をもって宣べ伝えましょう」と勧めた。
キリスト教系団体「ソージャナーズ」の創立者ジム・ウォリス氏の言葉を引用し、大主教は、キリスト教徒は政策の「風向きを変える」必要があると述べ、「議論を変え、討論をやり直し、政治的討論がなされる文脈を変えると、結果が変わります。政治家が風向きの変化にどれだけ速く適応するかを見ると驚くでしょう」と語った。
大主教は、「もし私たちが、社会がこうあるべきという私たちの特定の見方に根ざした消費政策を願うグループにただ存在するだけならば、連帯と公共の利益に基づいた高潔な政策が発展できないことに失望し続けることになるでしょう。私たちは、どのような社会の一員でありたいか、そしてどのように達成していくかという問いを自信を持って投げ掛けなければなりません」と述べた。