イスラム教過激派組織「イスラム国」が、日本人2人の殺害を予告する映像を公開し、身代金2億ドル(約230億円)を要求してきてから、期限となる72時間がすでに経過したが、イスラム国側からは依然連絡がない状況が続いている。
政府は、期限を23日午後2時50分ごろとみていたが、期限から20時間以上が経過した24日正午現在も状況の変化は伝えられていない。菅義偉官房長官は23日午後開いた記者会見で、「依然として厳しい状況ではありますけど、2人の邦人の解放に向けて、あらゆる努力を、関係者に協力要請をして、今、全力で取り組んでいる」と述べた。
2人の安否を問う質問には、「さまざまな情報に接していることも事実でありますので、そういう中で2人の早期解放を求めて、政府としては全力で、関係各国やさまざまな団体の方に協力要請している」と語った。また、日本政府の立場については、2人の早期解放と、テロに屈せず、国際社会の対テロの取り組みに貢献していくという姿勢には全く変更はないと強調した。
一方、NHKの報道によると、礒崎陽輔首相補佐官は23日夜、記者団に対し、「中間的な仲介のような情報はある。しかし、今現在、安否そのものは確認できていない」と述べたという。24日午前には、外務省で岸田文雄外務大臣や外務省幹部らによる緊急対策本部が開かれ、対応を協議。岸田外務大臣は記者団に対し、「現状の確認を行ったが、新たに報告することはない」と話したという。
期限前の23日午前には、イスラム国に拘束されている2人のうちの1人、後藤健二さんの母親・石堂順子さんが記者会見を開き、発表したコメントで「イスラム国の皆さん、健二はイスラム国の敵ではありません。解放してください」などと訴えた。
■ 後藤さん、湯川さん救出のためシリアへ渡航か
後藤さんは、昨年8月からイスラム国に拘束されているとみられている湯川遥菜(はるな)さんを救出するためにシリアへ渡ったとみられており、石堂さんも記者会見で、後藤さんの妻の話として、「先に拘束されている知人(湯川さん)を助けるために、救出するために、何がなんでもという形で飛んで行ってしまった」と伝えた。
報道によると、湯川さんは昨年1月、民間軍事会社「PMC(ピーエムシー)」を設立。同4月にシリアに渡航したが、反体制組織「自由シリア軍(FSA)」に一時拘束された。そこをFSAと交流のあった後藤さんに助けられた。湯川さんはその後無事に帰国するが、6月にはイラクへ。後藤さんは湯川さんの依頼で同行したと伝えられている。PMCのサイトに掲載されている写真の中には、後藤さんと湯川さん、また他の男性3人が共に写る写真(6月30日付)が掲載されている。その後、湯川さんは7月下旬にシリアに入り、8月にイスラム国に拘束されたとみられている。
湯川さんが拘束されたあと、後藤さんはロイター通信の取材に応じ、「湯川さんはものすごく親しみやすい感じの人です。話し方も攻撃的ではなく、多少は英語が話せなくてもソフトな雰囲気づくりっていうのを自然にできる人なんです」と話していた。
後藤さんは昨年10月22日ごろ、シリアに向かったとみられており、知人には29日午前には帰国するとメールで伝えていたという。シリアのイスラム国支配地域に入る直前には、知り合いのシリア人のガイドに「イスラム国、ISISの拠点と言われますけども、非常に危険なので、何か起こっても私はシリアの人たちを恨みませんし、何か起こっても責任は私自身にあります」などと話す映像を託していた。このシリア人ガイドによると、後藤さんはシリア入国の目的を、イスラム国支配地域の市民の様子を伝えるため、また湯川さんの情報を得るためと話していたという。
1週間経っても連絡がない場合は、家族に電話するよう伝えられていたといい、1週間経っても後藤さんが戻ってこなかったため、このガイドは約束どおり後藤さんの家族に連絡したという。
後藤さんはガイドに渡した映像の中で、何が起こっても責任は自身にあるとした上で、「どうか日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください。宜しくお願いします。必ず生きて戻りますけどね」と語っていた。ガイドはNHKの取材に対し、「後藤さんは同行した別のガイドに裏切られ、イスラム国に拘束されてしまったのではないか」と話している。
■ 困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添いたい
「困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添いたい」。昨年5月、後藤さんは本紙のインタビューでそう話していた。「私が取材に訪れる場所=『現場』は、『耐えがたい困難がある、けれどもその中で人々が暮らし、生活を営んでいる場所』です」と言い、「困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添いたいと思うのです。彼らには伝えたいメッセージが必ずあります。それを世界に向けてその様子を発信することで、何か解決策が見つかるかもしれない。そうすれば、私の仕事は『成功』ということになるのでは」と語っていた。このインタビューは、当時シリアの大統領選を直前に控えた中で、後藤さんが取材のためシリアへ渡航する直前に行われた。
後藤さんは、昨年10上旬にもシリアへ渡っており、10月2日と3日に撮影した「シリア現地レポート」といういくつかの映像をユーチューブで公開している。イスラム国に包囲されたシリア国境の町コバニの様子や、市民の声、またトルコ側へ脱出する避難民の様子を伝えていた。
同23日には本紙にコラム「戦争に行くという意味」(26日掲載)の原稿を送っており、24日にはコラム用の写真を送付後、「今確認できる環境におらず」とのメールを最後に連絡が途絶えていた。
コラムでは、「同じ戦争の渦中に暮らしながら、戦闘の最前線で戦う兵士と成り行きを見守るしかない一般市民との間には『見えない一線』というものがあります。戦場を訪れるジャーナリストはそこを行き来します」と説明し、イラク戦争取材時に米軍から敵とみなされた「見えない一線」を超えた経験を紹介。「戦争は、人間の心に深い切り傷をつけ、本来豊かである人間の感情を複雑にこんがらがった糸のように狂わせてしまいます。ましてや『見えない一線』を越えてしまったら、命の保証はほとんどありません」とつづっていた。
■ 戦争・貧困で苦しむ子どもたちなどテーマに 講演や授業、著書も
後藤さんは、番組制作会社を経て1996年、映像通信会社「インデペンデント・プレス」を設立。「戦争・紛争」「難民」「貧困」「エイズ」「子どもの教育」の5つの人道分野にフォ-カスし、困難な環境の中で暮らす子どもたちにカメラを向け、世界各地を取材してきた。
国内での講演活動も行っており、小学生から大学生まで、いくつかの学校で授業も受け持っていた。戦争や貧困などで苦しむ子どもたちをテーマにした著書も5冊あり、イスラム国も含めシリアの現実を子どもたちに伝える新しい児童書の出版の話もあったという。また、仙台市出身で、東日本大震災の際には、日本ユニセフ協会を通じて被災地の支援活動にも取り組んだ。
母親の石堂さんは記者会見のコメントで、後藤さんについて「幼い頃から心の優しい子でした。健二はいつも『戦地の子どもたちの命を救いたい』と言っていました」と話しており、前述のシリア人ガイドもNHKとのインタビューで、「一般市民や子どもの取材しかしていないのにどうしてイスラム国に拘束されたのか。後藤さんは立派な人」と語っていた。
後藤さんが所属している日本基督教団田園調布教会の高津俊(たかし)牧師は本紙の取材に応じ、「紛争の犯人を糾弾するのではなく、互いに平和を求めるために、現場の声、様子を報道して、全ての人が平和を願うために、後藤健二さんの存在はシリアの地に住む平和を願っている人々にとっても利益となるはずです。だから、そういう人を身代金目的や憎悪の対象とするのは間違っています」と語っていた。
また、日本の英字紙「ジャパンタイムズ」は、後藤さんを知る別の日本人牧師の話として、「(後藤さんは)固い信念を持ち、伝えるべきことを伝えることに専念していた」「彼は強い正義感があり、そして子どもといった傷つきやすい人々のことを常に気遣っていた」と伝えている。