フランスの新聞「シャルリー・エブド」に対して7日に行われた襲撃は、パリにあるユダヤ食料品店で起きた警察や買い物客に対する攻撃とともに、世界教会協議会(WCC)のコミュニケーション・フォーラムで、表現の自由や宗教的価値、教会の役割について活発に再考するきっかけとなった。WCCが12日、公式サイトで伝えた。
このフォーラムは12日、スイス・ジュネーブにあるエキュメニカル・センターで開かれた。発題者の中には、セオドア・ジル氏、ゲオルギオス・レモポウロス氏、ニャムブラ・ンジョロゲ牧師・博士、ミシェル・ンゼイル氏、ピーター・プルーブ氏、ペニエル・ラジクマル牧師・博士、ヒエルケ・ウォルターズ牧師・博士を含むWCCのスタッフがいた。
参加者たちは異口同音に暴力を非難した。しかし参加者たちは、表現の自由について、それが宗教間の緊張をあおったり、宗教の伝統を悪霊化ないし画一視したり、他者への恐怖を伝えた場合について、多様な意見を表明した。
2人の参加者は、暴力との関連でしばしば波瀾万丈のキリスト教の歴史を認めつつ、1948年の国連の世界人権宣言を含む人権の遺産におけるWCCの役割について議論した。
一部の発言者は、国家による表現の自由の適用における二重基準や、「冒涜(ぼうとく)」に対して擁護する法律の乱用、そして宗教的・民族的少数者の画一視に対抗する教会の役割に言及した。「表現の自由は、啓蒙思想の覇権を強めうることが多い」と、宗教間対話・協力プログラム部長のペニエル・ラジクマール氏は述べた。健康と癒やしプログラム部長であるニャムブラ・ンジョロゲ氏は、パリの襲撃事件に対してメディアや市民が大きな関心を寄せているのに対して、ナイジェリアのボコ・ハラムによるもっと大きく致命的な襲撃や残虐行為に対する関心が少ないことを指摘した。
「もちろん、表現者に賛成しているとき、あるいは少なくとも自分が攻撃され過ぎていないときは、表現の自由を支持することはたやすいことだ」と、WCC出版部の編集長であるセオドア・ジル氏は述べた。しかしジル氏は、出版物が賛成しかねるものであったり、攻撃的であったり、偏見のあるものである場合は、それはずっとより難しいことなのだということに触れた。
発題者たちは、画一視や暴力の挑発を避けるためにメディアが自らを監視する必要があるかどうか、あるいはどのようにそうする必要があるのかについて、意見が合わなかった。数人の発題者たちは、民主主義においては、宗教という聖なる空間でさえも、疑い疑問を投げ掛けることが必要であるということ、そしてそれは表現の自由に対する権利の一部であるということを是認したものの、外国人に対する嫌悪や反セム主義、そしてイスラム教に対する嫌悪を助長することは、西洋の民主的な価値の保護の名において正当化することができない、とした。
宗教と世俗主義が、フランス社会や欧州において持つ特殊な位置もまた議論された。
パリでの一連の襲撃事件では、容疑者も含め20人の命が犠牲となり、WCCはこれを非難した。レモポウロス総幹事代行は、「世界教会協議会は、そのために宗教によって進められるいかなる正当化をも完全に拒否し非難する。私たちは、真の信仰と善意ある全ての人々と共に、犠牲者とそのご遺族のために祈るとともに、犯人が罰せられるように、この襲撃を引き起こしたその過激な思想が消されるように、そして正当化された怒りがイスラム教徒に対する報復につながったり、反イスラム感情の火に油を注ぐことがないように祈る」と述べた。