フランソワ・オランド仏大統領は、覆面をして武装した2人の男が、同国の風刺週刊紙「シャルリー・エブド」の本社を襲撃した事件で、少なくとも12人が殺害されたことを確認した。シャルリー・エブド紙は物議を醸すことが多く、2011年に預言者ムハンマドの風刺画を掲載したあと、イスラム世界を侮辱したとみなされ、本社が放火されたこともあった。
AP通信によると、オランド大統領はこの銃撃事件をテロ攻撃と呼び、またここ数週間の間に、いくつかのテロ攻撃を妨害したと言及した。この襲撃で、12人が死亡した他に10人が負傷した。
AFP通信は、パリ警察に近い情報筋の情報として、男たちは「カラシニコフ自動小銃とロケットランチャーを装備していた」と伝えた。男たちは町の中心部にある建物を襲撃したあと、警官と銃撃戦を行った。
フランスのニュースチャンネル「BFMTV」によると、シャルリー・エブド社の向かいにある職場で働いている人が、黒い服を着て目出し帽をかぶった男2人がカラシニコフ自動小銃を持って建物に入ったところを目撃したという。
「そして私たちは銃声、それもたくさんの銃声を聞きました」と目撃者は証言。「私たちは屋根の方へと避難しました。数分後、通りの真ん中で発砲を続けたあと、男たちは逃げていきました」
その匿名の目撃者は、男たちがロケットランチャーを所持しているのも見たと話している。
事件翌日8日には、捜査当局が行方を追っていた容疑者3人のうち、最年少のハミド・ムラド容疑者(18)がフランス北部の警察に出頭。残りの容疑者2人は、サイド・クアシ容疑者(34)とその弟のシェリフ容疑者(32)で依然逃走中。捜査当局は、各容疑者の知人や仲間とみられる数人の身柄を拘束し、調べを進めている。ムラド容疑者は、今回の事件では移送などを手伝ったとみられている。
ロイター通信によると、ロッコ・コンテント警官はシャルリー・エブド社の中の風景を「殺戮」だと語った。
シャルリー・エブド社は、その風刺画で長い間物議を醸し出しており、イスラム教を侮辱したとして糾弾されていた。2006年2月、もともとはデンマークの新聞「ユランズ・ポステン」紙に掲載された預言者ムハンマドの風刺画を再掲した。
2011年11月にさらに預言者ムハンマドの風刺画を掲載したあと、シャルリー・エブド社には火炎瓶が投げ込まれた。そして2012年9月には、イスラム教の預言者を裸で描いた。こういった風刺画によって、20のイスラム教国にあるフランスの学校、領事館、文化センターは報復攻撃の恐怖にさらされ、一時閉鎖に追い込まれた。
報道によると、イスラム過激派は、フランス政府が米国が中東において率いている連合軍への参加も含めたテロリストに対する軍事行動を継続していることを理由に、フランス市民を攻撃対象にしているという。
フランスの中部の都市ディジョンでも2014年に襲撃事件が起きている。この事件では、男が「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫びながら乗用車で群衆に突っ込み、13人が負傷した。