エジプト革命でうたわれた全てのスローガンの中で、「One Hand(ひとつの手)」が最も人気があった。さまざまな場面で、数千人もの人が、イスラム教徒とキリスト教徒の一致、民衆と軍の一致、そして最近ではテロリズムに対する闘いにおける一致を示すためにこのスローガンを叫んだ。
しかし、ことが進行するにつれて、タハリール広場(首都カイロの中心部にあり、エジプト革命におけるデモの中心地となった)での理想的な一致は次第に消えていった。政治闘争と党派的なレトリックが、時には混ざり合って、一致の妨げとなっている。
そして、恐らく宗教的な一致と相違という2つの事実を認識した上で、エジプト聖公会のムニル・ハンナ主教は、「イマム(イスラム教の指導者)と司祭の交流会2014」の最後のセッションを、「手(hand)」を使った、似て非なる表現を用いて開始した。
「エジプトのために、手(hand)を取り合いましょう」とハンナ主教は語った。
「イマムと司祭の交流会」は、アズハル・モスクとコプト正教会によって2011年に結成された独立団体「エジプト・ファミリー・ハウス」の最もダイナミックなプロジェクトの一つである。プロテスタントやカトリックなどのキリスト教諸教派も重要な参加団体であり、その中で聖公会は宗教的指導者の対話と、実践的なパートナーシップを訓練するにあたって指導的役割を果たしている。
ファミリー・ハウスには、教育、報道、青年、宗教対話の各委員会の働きを通して、同国の大臣と接する権限がある。しかし、宗教対話委員会は、2つ目の権限、つまり全国民的な一致のメッセージを、民衆一人ひとりにまで届けるという権限のために活発に準備をしている。
これは、今やエジプトが、現に存在するテロリズムや偏狭なセクト主義と闘わなければならない現状があるからである。この地域を捕らえているこれらの問題に対して、世界から注目が集まっているとはいえ、あまりにも多くのエジプト人が過激主義に引き込まれている。
「このセッションは、イスラム教徒とキリスト教徒が殺されているという、今エジプトが直面している流血の事態と並行しています」と、アズハル・イスラム研究センターの代表であるムヒ・アル・ディン・アフィフィ長老は語った。「私たちは市民権、愛、平和、共存という文化を広めなければなりません」
この挑戦に対する軍事的な見地からの検討も重要だと、ハンナ主教は強調した。「しかしイデオロギーはもっと重要であり、そしてこのことが、私たちが今日ここにいる理由なのです」と言う。「私は、これが私たちの最後のミーティングではなく、相互の働きの始まりであることを望みますし、そう信じています」
この会は4つのセッションからなっており、そのうちの最後のセッションが11月3日から5日にかけて開かれ、国中からイマム35人と司祭35人が参加した。参加者はトレニーング・セミナーに出席し、地域の歴史的、宗教的スポットを訪れた。参加者の対話は、形式的な教理の議論というよりも、むしろ食事を囲んで肩を組んだり冗談を言い合うような、いのちの通った交流であった。
今年の参加者たちは、前年の70人の出席者と同様のプログラムを経験した。来年にもまた他の70人を招いて同じく開催される予定である。
セッション1は、互いをよく知ることに焦点が当てられ、セッション2は、共に生きることに焦点が当てられた。しかし、参加者がなじむにつれ、目標はより要求的になる。セッション3は協力することに、そしてセッション4は共に働くことに焦点が当てられた。
「私は、みなさんがエジプト全土にわたって共に協力して働くよう、心から深くお願いします。宗教面だけではなく、医療の面でも、国の発展という点でもです」とアフィフィ長老は語った。
初めからうまくいくわけではなかった。最初のセッションの中で、昨年の参加者が体験談を語るために呼ばれた。イマムと司祭は、たった1年前はお互いのことを知らなかったにもかかわらず、新しい友人関係を築いた。(続く)
■ キリスト教の司祭とイスラム教が交流:(1)(2)