しかし、いまだにこういった関係には困難が残る。司祭は決してモスクでは歓迎されないし、イマムは決して教会では歓迎されないという者もいる。自分の宗教の栄光を強調する者もいるし、一見他の参加者が乗り気ではないように見えるという者もいる。
「とても骨が折れる仕事です」と、このプロジェクトのディレクターであり聖公会の信徒であるサレム・ワセフ氏は語る。「それでも、私はみなさんに、ただ『私か、あなたか』ではなく、『私とあなたと共に』という文化を強調するために集まっているのだということを念押しします」
しかし、相互交流の体験談はこれらの痛みを上回る。カイロから南東に130キロ離れた都市ファイユームのミチャス神父は、(イスラム教徒の)アリ長老の妻が病気になったとき、長老のもとを訪ねた。東部イスマイリアのスリヤル神父は、アブデル・ラーマン長老と共に学校や病院を訪問した。北東部ポートサイドのキリロス神父は、ハッサン長老と共にセクト主義の問題を解決した。そして、中部マラウィのヒシャム長老は、町の多数の司祭と共に喫茶店に行き、人々に宗教者へ対する印象をついて尋ねた。
このような行動の現れは、ハンナ主教から見て、この会の最も重要な成果の一つである。
ハンナ主教は、「私たちはただ講義を聴いたり、場所を訪ねたりするためにここにいるのではありません。しかし、みなさん一人ひとりは、ここから帰ったあと、最も近くにいるイマムか司祭を探して関係を築き、セミナーを持ち、そして街を共に歩かねばなりません」
現に、この会に参加したイマムと司祭は、滞在していたドッキのホテルを出発したあと、表通りで次の滞在地へのバスに乗るまで4ブロックほどを歩く必要があった。通行人は会話を止め、振り返って普通ではない光景を見た。
司祭の中には、住んでいる街を歩いていると、ほとんど侮辱ともいえる目にあったり、つばを吐きかけられたりすることもあったと告白する者もいた。しかし、共に歩くことで大きな違いを呼んだ。
「エジプト人は宗教者を愛します」と、中部ベニスエフのアルサニウス神父は話す。「そして、司祭とイマムが共にいるところを見たら、共に働き、狂信を克服するように働くでしょう」
「このような愛の展示は、地域全体に広がるパン種のようです」
アルサニウス神父は、ベニスエフでファミリー・ハウスの地域支部を設立するのを助けたいと考えている。ミクハイル神父とエマド長老は、カイロのスラム街キロ・アルバワ・ヌスで働きを始めたいと願っている。
これらが成功するならば、以前開かれたクラスを通して開設されたアレクサンドリア、ルクソール、ポートサイド、イスマイリア、ギーザの支部と同様の道を通るであろう。これらの支部によって、彼らの永続する価値を証明する現実的な働きが、この会の外で行われる。1年にわたるこのコースによって築き上げられたイマムと司祭の友情関係は、今後も継続する協力関係を生むだろうか。
期待と希望を持って、ワセフ氏は参加者に、友好関係の深まりの測り方を教えた。チームとして共に働いているか。地域に住む全ての階級の人に働きかけているか。地域社会での働きにおいて、すでに他の第三者とも合同して働いているか。そしてこの全てのことを行うための計画を、期限を設けて詳細に書き出しているか。
「私たちは、憎しみの文化を愛の文化に変えるために、懸命に働いています」とワセフ氏。「これは私たちの国の繁栄のため、そしてイスラム教徒とキリスト教徒のお互いへの思いを変えるための働きです」
「このプロジェクトは、未踏の分野に到達することを助けます」
■ キリスト教の司祭とイスラム教が交流:(1)(2)