ローマ・カトリックの伝統に則った「グレゴリオ聖歌・ラテン語による荘厳司教ミサ」がこのほど、東京大司教区カテドラル関口教会聖マリア大聖堂(東京都文京区)で開かれ、会堂を埋め尽くした1千人を超えるカトリック信者らが心静かに祈りを深めた。ミサは来月献堂50周年を迎える同カテドラルにささげられ、主司式を務めた東京教区長の岡田武夫大司教が、説教の中で「東京教区の中心の教会であるこのカテドラルを通して、キリストの光、キリストの恵み、力が人々に伝えられ、人々が癒やし、慰め、励ましを受け、またキリストを信じて歩む喜びで満たされますよう、聖母の取次ぎによって祈りましょう」と呼び掛けた。荘厳なパイプオルガンの音と聖歌隊によるグレゴリオ聖歌、会衆全員が声を合わせて「Deogratias(デオ・グラッイアス=神に感謝)」と祈る歌声が鳴り響いた。
このミサは、信徒有志でつくる「カトリック・アクション同志会」(相良憲昭会長)の主催。「国籍や言語、世代の違いを超え、脈々と受け継がれてきたカトリック本来のミサの良さを伝えたい」と1991年から毎年1回、秋の土曜日に同カテドラルを借り、司教に司式を依頼して開催しており、今年で24年目となった。説教以外すべてラテン語で執り行う主司式は、教皇庁駐日大使を務めるバチカンの大司教のほか、故・白柳誠一枢機卿、ラテン語に堪能な溝部脩名誉司教らが歴任。一昨年からは岡田大司教が務めている。
カトリックの典礼の根幹をなすミサは、1962年に「第2バチカン公会議」が開かれる以前には、世界中の教会でラテン語によって執り行われ、荘厳なグレゴリオ聖歌が歌われてきた。もっとも、教会が全世界でより良く使命を果たせるよう、教会を刷新するために開かれた「第2バチカン公会議」以降は大きな転換がなされ、全世界の教会で母国語の使用が積極的に勧められた。以来、日本でも日本語によるミサが当たり前となり、それと同時に、ミサの中でグレゴリオ聖歌や日本語の旧仮名遣いを用いた歌詞によるカトリック聖歌が歌われる機会はほとんどなくなり、公会議後に新しく現代の日本語で作られた典礼聖歌を中心に、教会によってさまざまな歌が取り入れられるなど、カトリック教会共通の「聖書と典礼」に基づきながらも形式にとらわれないミサが一般化している。
こうした変化を背景に、1991年から「グレゴリオ聖歌・ラテン語による荘厳司教ミサ」を開催してきた意味合いを、「カトリック・アクション同志会」の事務局長で、このミサを実現した立役者の一人でもある秋山晉一郎さん(76)は、「2000年の歴史を持つカトリック信徒として、その原点を今一度思い起こしてほしい、本物のミサを知ってほしい、という思いに尽きます」と説明する。それはもちろん公会議後の教会の歩みを否定するものではなく、「日本人として日本語によるミサにあずかることができるのは悲願だったことでもあり、当然のこと。公会議後の50年でカトリックの敷居が低くなり、地域により開かれた教会として良くなった面は非常に大きい」と評価する。その一方で、「典礼と布教というのは車の両輪だ、ということを忘れてはいけない」と強調。「典礼とは私たち信徒が秘跡にあずかることですから、それにふさわしい祈りの形があります。なんでも厳格であればいいというのではないですが、なんでも改革すればいいというものでもない。その意味で警鐘を鳴らしたかったという思いもあります」と同志会の思いを代表して熱く語る。当時の教皇庁駐日大使の快諾を得て開催にこぎつけたが、初回の参加者は300人ほどで、「この人数で大丈夫かなあ、と不安でしたね。それがまさか24年も続くとは。ここ数年は若い世代の参加も増えていて、びっくりしています」とにこやかな表情を見せた。
荘厳司教ミサは毎年、司式者だけでも、主司式者と共同司式者の各大司教、司祭に、東京教区のみならず全国各地から十数人の司祭が顔を揃え、古くは「ミサごたえ」と呼ばれた侍者も十数人が務める。この全員が聖堂内を練り歩く、入祭、閉祭の際の大行列は壮観だ。また各教区の聖歌隊で構成する約120人の大聖歌隊に2人のオルガニストがグレゴリオ聖歌をはじめ荘厳な典礼音楽を支え、約2時間の長いミサの間、この大聖歌隊の指揮を秋山さんともう1人の指揮者で務めている。
すべてがラテン語で行われるこのミサに、初めて参加した一般の信徒らも一緒に歌い、その意味が理解できるのは、秋山さんら同志会が毎年手弁当で作る100ページ以上にもなる冊子(ミサレット)の力が大きい。このB5版の冊子は開いて左側にラテン語の文字や譜線とフリガナ、右側に日本語、英語で意味が書かれ、しかもそれが一行ずつきれいに揃えられている。「それにいちばん苦労する。ちゃんとラテン語と日本語を一行ずつ揃えるのはとても荷がかかるんです」(秋山さん)。このミサレットの制作一つとっても一冊約500円のコストが掛かっており、カテドラルの借用料や司式司祭への謝礼などを合わせると年1回のミサに約120〜140万円の経費が掛かることから、同志会では年会費5000円の正会員のほか、一口1000円からの賛助会員も募集。現在約5000人の登録会員と約500人の賛助会員がいるが、登録会員の中にはすでに亡くなっている人も多く、年に一度のミサを続けていくためにも新たな正会員、賛助会員の確保が課題となっている。
荘厳司教ミサでは、グレゴリオ聖歌、ラテン語以外にもカトリックの伝統を大切に伝え続けてきた。それは、ミサをあずかるに際した信徒の心構えだ。というのも、現在、多くの教会では日曜の主日のミサでもベールを被って祈る女性の姿を見ることはあまりない。また以前はどの教会にもあったひざまずいて祈るための台もない教会が珍しくなく、台があっても、ミサの中で最も重要な「聖変化」の場面においてもひざまずかずに立ったまま祈る信徒が多い。さらに以前は聖体拝領もひざまずき、口で受ける信徒が多かったが、現在は手で受け取るのが普通になっている。同志会では、こうした傾向が定着することを憂い、この荘厳ミサの時だけでもより神聖な気持ちでミサにあずかってもらおうと、写真でも分かるように、女性信者にはできるだけベールの着用を呼び掛けている。今回のミサでも、聖変化のときには全員がひざまずいて祈り、御聖体も、汚れているとされる手で受け取るのではなく、司祭の手から直接口で受ける昔ながらのやり方を踏襲する信徒が多かった。
こうした伝統的なミサのあずかり方を奨励していることについて、秋山さんは、「ベールをかぶって静かに祈る女性には、隣の人も話し掛けられないでしょう?神聖な聖堂で、ミサという秘跡にあずかるのですから、ひざまずく場面ではひざまずき、できれば御聖体も口でいただくのがふさわしいと私は思っています」としみじみと話す。現在では多くの教会で、通常、ミサが終わるとすぐに騒がしくなりがちだが、この荘厳ミサでは長いミサが終わった後にも荘厳なパイプオルガンの音が鳴り響き、じっとひざまずいたまま祈り続ける信徒の姿も見受けられた。
同志会では毎年ミサの感想を集めており、「ラテン語による御ミサにあずかれますこと、大変に有り難く、毎年楽しみにしています」「久しぶりのグレゴリオ聖歌に、子どものころの侍者を思い出しました」「最近カトリック信者になったものですが、とても魅力的な経験でした。ラテン語に触れる機会はないので、またぜひお願いします」「ラテン語が不得手な岡田大司教様が頑張っておられる姿に、ひょっとしてこれは神の計らいなのかなと思ってしまいました。ミサの途中から会衆が一つになったような気がして、感動して涙が出ました」「これがカトリックの御ミサなのだと心が震える思いがしました。グレゴリオ聖歌は神に心を向け、静かに祈る場にふさわしい」といったコメントが多数寄せられている。
秋山さんは、「私自身、小6で洗礼を受け、ミサごたえや聖歌隊に関わり、ラテン語もグレゴリオ聖歌も否応なしにたたき込まれました。最初は、いろんな人から『老人のノスタルジアでしょう』と言われたこともありましたが、決してそんな気持ちで続けてきたのではありません。これからもこれが本物のミサなんだ、こういうミサがカトリックには今も生きているんだということを示し続けていきたい。いいものはいいんです。若い世代にもぜひ一度その良さを知ってもらいたいですね」と話し、来年秋にも開かれる荘厳ミサへの参加と同志会への協力を呼び掛けている。
なお、今年の荘厳司教ミサには、日本聖公会東京教区主教の大畑喜道氏やウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会主管牧師の峯野龍弘氏らも参列。ミサ後の懇親会では岡田大司教らを囲み、和やかに歓談する様子が見られた。
荘厳司教ミサについての問い合わせは、カトリック・アクション同志会(電話・FAX:03・3337・0815、〒166−0002 杉並区高円寺北4−21−16 秋山方「カトリック・アクション同志会事務局」)まで。正会員と2口以上の賛助会員には、バチカンの動静や日本のキリシタン史などの情報が満載の同志会会報「ステラマリス」が届けられる。