新約は旧約とは違って、聖霊は留まっておられます。クリスチャンはある交わりを持つべきだと聖書は言っています。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」(2コリント13:13)
聖書は聖霊の交わりを持つようにと、言っています。見える人間同士は、見えるから交わりができます。私たちは聖霊が見えませんから分かりにくいのです。
この聖霊とはどういう方なのか。聖霊には権威があります。マタイによる福音書28章19節では、「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」とあります。聖霊とは、神様の霊です。権威ある方なのですが、見えない聖霊様と交わっていくことは、分かりにくいことですが、どのような方か見ていきたいと思います。
ペンテコステの日、神の霊が降ってきました。聖霊様が降ってくると、ある体験をします。
「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。』ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。『この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか』」(使徒10:43~47)
割礼を受けている信者は6人。「そして御霊は私に、ためらわずにその人たちといっしょに行くように、と言われました。そこで、この六人の兄弟たちも私に同行して、私たちはその人の家に入って行きました」(使徒11:12)
ペテロを含め7人が聖霊の賜物が注がれたのが分かった(使徒10:45)。どのように分かったのか?彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである(使徒10:46)。
本論に戻りますが、聖霊が降ってくると、新しい言葉を語ります。「私は聖霊を受けたから大丈夫、聖霊のバプテスマを受けて、聖霊体験をしたんだ」と言って、異言をやめてしまう方、あるいは、続ける方もいるでしょう。聖霊を受けるということは、異言、新しい言葉を語るという体験のことをいうのではなくて、もっと深い交わりの中に入っていくのです。
では、聖霊とはどういう方かを見ていきます。(続く)
■ 聖霊との交わりとは:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)
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徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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