「あのお姉さんが、助からなかったなんて・・・」。救助された女生徒は、そう言って涙を流した。
韓国の旅客船沈没事故で亡くなった22歳の女性乗務員、パク・チヨンさんは、船の沈没前、救命胴衣を高校生たちに配りながら自らは着用せず、生還できなかった。
船が傾き続けるなか、チヨンさんは自身の着用を後回しにして、高校生たちに救命胴衣を手渡した。「お姉さんは救命具を着けなくていいの?」と尋ねると、「乗務員は一番最後。みんなを助けた後で」と言い、浸水が始まると「先に行って。海に飛び込んで」と大声で指示していたという。
16日午前9時前、珍島(チンド)沖で、船体は大きく傾きつつあった。食器が割れ、椅子は壁に滑り落ちた。20数人の高校生たちは3階の食堂にいたが、救命胴衣がどこにあるのかもわからなかった。
女性乗組員のチヨンさんは、傾く船内を回って10着以上の救命胴衣をかき集め、食堂にいた高校生たちに渡していたという。恐ろしさから泣き出す生徒に笑顔を向け、「安心して。みんな助かるから」と励まし続けた。
乗客は「その場を動かないで」というアナウンスに従い、横になったり手すりをつかんだりして体を支えていた。船内に水が入り始め、沈没が避けられない事態になると、チヨンさんは「早く海に飛び込みなさい」と叫んだ。
高校生たちは力を振り絞って船外に脱出し、周囲に集まっていた漁船に救助された。その後、チヨンさんの行方は分からなくなっていたが、同日正午ごろ、海上警察によってチヨンさんの遺体が発見された。
病院で治療を受けた高校生のキム・インギョンさん(17)は、「みんな怖がっているなかで、お姉さんが私たちに勇気をくれた。それなのに、本人が船から抜け出せなかったなんて、信じられない」と話し、泣いた。
チヨンさんは船舶会社に入社して2年目だった。父親を病気で亡くし、残された母と妹を経済的に支えるため、大学を休学して非正規職員として働いていた。明るく礼儀正しい性格で、誰からも好かれていたという彼女の献身は、乗客を置いて逃げ出した船長や航海士たちの行動と対照的だ。
韓国のインターネット上では、チヨンさんをたたえる書き込みが殺到し、彼女に「善きサマリア人賞(Good Samaritan Award)」を与えるよう、政府などに呼びかける動きも出ている。新約聖書のルカによる福音書10章25節からのたとえ話に基づくもので、マザー・テレサが1971年に同様の賞を受賞している。
チヨンさんの行為は、1954年に起きた洞爺丸事故のエピソードが重なる。当時、青森と函館を結ぶ青函連絡の洞爺丸が台風により横転沈没。乗り合わせていた3人の外国人宣教師が救命胴衣を人に譲り、ディーン・リーパー氏(YMCA)とアルフレッド・ストーン氏(メソジスト)が海難死した。
救命胴衣をもらって生還した人たちが語り伝えたことで報道され、三浦綾子さんの小説『氷点』のなかでもその様子が描かれている。