生きているのではない、生かされたのだ!
明けて2000年、生駒聖書学院の3学期。教室で講義中だった私は、急に立っておれなくなり、家に連れて行くように神学生に頼んだ。しかし、脳内出血で倒れ退院したばかりだったので、気を利かして救急車を呼ばれてしまった。
運ばれる途中、一瞬あの夜の恐怖が頭をよぎった。
「わたしは主であってあなたをいやす者である」「キリストの打ち傷によって、私はいやされた」と、聖書の約束を告白した。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ41章10節)とのことばに励まされた。
採血、胸部検査、MRI、MRA等すべての検査が済み、脳外科の医師は、レントゲンを見ながら2カ月前の脳内出血の跡も見つけることができず首をひねった。内科医の検診に移され、「風邪の菌もないですね。点滴でもしましょうか」と言われた。「それよりお腹がすきました」と答えると、笑いながら「早く帰ってお昼を食べなさい」と、期せずして再検査が終わってしまった。
そして、堺市での開拓伝道のスタート、アフリカ宣教への旅、1日4回の礼拝、九州巡回聖会や沖縄への伝道の旅、名誉神学博士号授与、早朝からの猛声祈祷の日々、365日連続の奉仕の日々が続いた。スーパーミッション(東京・大阪)、NRAや内外での働き、東京の元気が出る聖会、アサエル宣教聖書学院のスタート準備、目まぐるしいほどの日程をこなしながら、1年は瞬く間に過ぎた。
入院先の病院を、1年後に感謝で再訪した。婦長さんは顔を見るなり、「榮さん。ほんとうは去年、あなたは死んでいた人ですよ」と言われた。死んでいたなどと考えたことはなかった。
主がいやしてくださった。信仰によりいやされたと1年間宣言し続けてきた。涙がこぼれそうだった。生きているのではない。生かされたのだ。思いがけない発見だった。いやされた喜び以上の感激だった。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラテヤ2章20節)の聖書のことばを体験する思いだった。
21世紀を迎え、人間ドックで検査してもらうことにした。生まれて初めて自分の意志で病院の門をくぐった。胃カメラも含めて最新の器機で検査が終了し、問診の時にもカルテの報告にも、脳内出血の痕跡も見いだせず、いっさいの後遺症もなく、完全にいやされていた。
問診の内科医に福音を語り、イエス・キリストを信じる決心に導くこともできた。
私は今日も元気で生かされている。聖書の約束は真実であり、神のことばは生きていて力がある。「わたしは主であって、あなたをいやす者である」「キリストの打ち傷によって、私は、いやされたのです」との約束は、そのまま真実である。
人生だれでも順風満帆とはいかないことが多い。いつ苦境に陥るかわからない。
そんな時、深刻になって自分を追い込んではいけないと思う。気分を変えて、ハレルヤと歌いながら、また次のチャレンジが来るのを待つのもよいのではないか。ピンチはチャンスだ。ネバーギブアップ。主は今も生きている。イエス・キリストを信じれば救われるのだ。
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16章33節)
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14章27節)
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Ⅰコリント10章13節)
WHO(世界保健機関)は、人間の健康を「身体的健康」「精神的健康」「社会的健康」の3つに分けていた。人間が求めているのは、基本的にこの3つが満たされることであった。
しかし、この3つが満たされたから幸せになれるものではない。WHOもそれに気付き、「霊的健康」という概念を取り入れた。WHOの健康の定義を完全に満たすことは、人間には不可能だが、イエス・キリストを信じれば可能である。
「愛する者よ。あなたが、たましいに幸い(恵み・繁栄)を得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります」(Ⅲヨハネ2節)
「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められることのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます」(Ⅰテサロニケ5章23~24節)
■天国から追い返された牧師:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)
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榮義之(さかえ・よしゆき):1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、3つの教会の主任牧師、エリム宣教会として国内外の宣教を支援するなど、幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する小冊子『天国から追い返された牧師(三たび輝く命に生かされて・改訂版)』は、著者が2012年7月22日に脳内出血と交通事故で病院に搬送されてからの入院生活、1カ月後の完治体験を書き綴った、神の恵みを証しする書。1999年の左脳内出血発症から、奇跡的に何の後遺症もなく完治するまでの体験談も収録している。