病は突然、予告なしでやってきた
58歳を少し過ぎた1999年11月下旬、それは突然やって来た。今まで一度も、頭が痛くなったことも腹痛に襲われたこともない。肩凝りすらも経験がないほどに健康体だった。
東京のホテルで夜着に着替えた時だった。突然、右手が痺れて、身体中から力が抜けていくようだった。急いで電話をしようとしたが、右手の指がとんでもないボタンを押してしまう。やっとのことでフロントとつながり、救急車が到着し、近くの病院に運ばれた。夜遅いので明日ということで、点滴を受けながら明け方を待った。
急を聞いて奈良から駆けつけた家内と息子を待ち、MRIの検査を受けたところ、左脳内出血とのこと。すぐさま、脳内外科のある王子病院に救急車で運ばれた。
集中治療室に入れられて、面会謝絶、5日間の治療が始まった。そこに身動きのできなくなっている自分を発見した。昨日まで力強く語っていた自分とは違う自分。声も出ず身体も動かせない全く違う世界にいる自分を発見し、大声で泣き叫びたかったが声も出ない。東京での元気が出る聖会も軌道に乗り、すべての働きがさらに祝福されようとしていた矢先であった。
口惜しい。悲しい。集中治療室のベッドの上で、心は乱れていった。
生涯健康で長寿を信じていた。いつも健康を誇っていたから、なおさら自分が情けなかった。健康は当然だ、当たり前だと信じていたし、人にもそう語ってきた。
しかし病は突然、予告もなしに、冷酷にやってきた。天国に行けることは確信していても、こんなに早く召されるのか。まだすることがいっぱいあるのに。
取り留めのない自問自答が延々と続く……。
「イエス様。どうぞもう少しいのちをください」と、心から祈らずにはいられなかった。
時間をください。家族のこと、学院のこと、教会のこと、ラジオ放送「希望の声」のこと、日本のリバイバルのこと、お世話になっている先生方や兄弟姉妹のこと等々。
私は声にならない声で密かに祈り続けた。涙が溢れて止まらなくなった。牧師だから、他人には涙を見せられない。左手でシーツを引き上げて、胸が張り裂けんばかりに主に願った。
そのような求めの中にみ声が響いた。
「わたしは主、あなたをいやす者である」(出エジプト15章26節)
「キリストの打ち傷のゆえに、あなたはいやされたのです」(Ⅰペテロ2章24節)
思わずハレルヤ! と小さく叫んだ。と同時に、いやされた、生かされるのだとの思いが心に確信となって流れ込んできた。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」との聖書のことばを実践するチャンスだ。イエス様感謝します。ハレルヤ!
この時から、集中治療室が祈りと感謝と賛美の教室に変えられた。
6日目に一般病棟に移され、できるだけ早く用便、洗面などをひとりでするようにと、車椅子を供与された。脂汗をかきながら、必死で車椅子を押し、できるだけ立ち上がり歩けるように練習した。「榮さん、無理してはいけませんよ。ゆっくりね」と言われながら。
車椅子も上手に動かせるようになったと思った頃から、歩く練習が始まった。ソロソロ歩きだが、歩けることが何とすばらしいことかと私は感激した。これからの人生を、こうして一歩一歩進んで行くぞと胸に刻み込んだ時、再び涙が流れた。
私のリハビリは、7階の病棟から1階までの登り降りだった。やがて病院の廊下を行ったり来たりしながら、介護士の方や患者さん方とお交わりするようになった。
■天国から追い返された牧師:(1)(2)(3)(4)(5)(6)
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榮義之(さかえ・よしゆき):1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、3つの教会の主任牧師、エリム宣教会として国内外の宣教を支援するなど、幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する小冊子『天国から追い返された牧師(三たび輝く命に生かされて・改訂版)』は、著者が2012年7月22日に脳内出血と交通事故で病院に搬送されてからの入院生活、1カ月後の完治体験を書き綴った、神の恵みを証しする書。1999年の左脳内出血発症から、奇跡的に何の後遺症もなく完治するまでの体験談も収録している。